佐野源左衛門常世を祭った神社です。
鎌倉武士の誇り、忠誠心は半端ない、一旦事有れば、いざ鎌倉と痩せ馬に鞭うち駆けつけた💨武士道とは人に遅れをとるべからず。
鎌倉時代の「鉢木」の主人公として知られる佐野源左衛門常世を祀る神社です。
規模は小さく、やや寂れた雰囲気ですが、生け垣は手入れされてゐました。
境内には祠の他に石碑や解説板があります。
こちらは謡曲「鉢の木」で知られた鎌倉時代の武士、佐野源左衛門常世を祭った神社です。
鎌倉幕府の執権であった北条時頼は、旅の僧に身をやつして、諸国を行脚したと言われています。
言い伝えによれば、この辺りに時頼が差しかかったのは、ひどい大雪の晩でした。
一軒のあばら家に宿を乞うと、何のもてなしもできないのでと、一度は断られましたが、重ねて頼むと、泊めてくれることになりました。
あばら家の主は、佐野源左衛門常世という武士で、以前は領地も持っていましたが、一族に横領され、いまは貧窮の身でした。
旅の僧に、せめて暖を取ってもらおうと、主人は丹精していた梅と松と桜の鉢の木を、惜しげもなく囲炉裏にくべてしまいます。
恐縮した時頼が、あばら家のなかをよく見ると、痩せてはいるものの馬が居り、古い鎧櫃があります。
主人に尋ねると「いざ鎌倉」という時には、真っ先に馳せ参ずるべく、どんなに困窮しようと、これだけは手放さぬと答えます。
深く感じ入った時頼は、翌朝には発って行きました。
その翌年、鎌倉から突然の触れがあり、源左衛門が痩せ馬に跨がり、古鎧を身に着けて駆けつけると、思いがけず時頼の前に呼び出されました。
そして雪の夜の礼を言われた上、汝こそ真の鎌倉武士であると称えられ、鉢の木にあやかって、加賀の国梅田の庄、越中の国桜井の庄、上野の国松井田の庄を、領地として与えられたということです。
史実であるかどうかはわかりませんが、この逸話が昔から人々を感動させてきたことは、事実であると思います(*^^*)
上信電鉄の佐野のわたし駅が開業して急に距離感が縮まった印象を受けました。
今まで通り過ぎてしまっていた所だっただけに上信電鉄の皆様に感謝ですね。
これでサンピエール病院にも近くなって一石二鳥でした。
謡曲「鉢木」と常世神社一族の不正のために領地を横領され、窮迫の生活をしていた武人佐野源左衛門常世が、大雪の日に宿を頼んだ修行者(実は鎌倉幕府の執権北条時頼)のために、秘蔵の盆栽“ 鉢の木 ”を焚いてもてなしたのが縁で、表彰されたという謡曲「鉢木」の物語は有名で、戦前は学校の教材になっていました。
これは出家して、最明寺と名乗った時頼の廻国伝説に基づいてつくられたものですが、常世神社は、常世が佐野の領地を横領せられてのち、住み着いた所といわれる「常世屋敷」で、墓は別に栃木県佐野市葛生町の願成寺境内にあります。
(境内案内板より)由緒書を読む限りでは佐野源佐衛門常世は実在の人物のようですが、謡曲「鉢の木」観阿弥清次の作とされており、時頼の時代から百数十年後の作ですから、勿論史実ではなく、主人公である佐野源左衛門常世は実在人物ではなく、また特定のモデルがいたわけでもないようです。
拝殿前の扉の付いた案内板には、「扉を開けて自由にご覧下さい」と書かれています。
扉を開けると、「鉢木」のワンシーンを描いた絵が設置されています。
扉の内側には、上佐野町の伝承と歌碑の説明書きが貼られています。
上佐野町第二町内 わが町の歴史と文化遺産「佐野の舟橋」万葉集三四二〇「上毛野佐野の舟橋取り放し親はさくれど吾はさかるがへ」この歌の舟橋はわが町の烏川にありました。
この舟橋にかかわり、この町の朝日の長者のむすめと、川向こうの夕日の長者のむすこと恋仲になって、舟橋を渡って毎夜の逢瀬を重ねていましたが、互いの両親がこれを許さず、ある夜、舟橋の一部をはずしてしまいました。
暗闇の中渡ろうとしたむすめは、川に落ちてしまい、同じ頃やって来たむすこも落ちて、二人とも死んでしまうという悲恋物語が伝わっています。
また、この伝承にかかわるような話が謡曲舟橋にあります。
ある山伏が佐野村を通りかかると、橋を造るための勧進(募金)をしている二人の男女に出会い、勧進の訳を尋ねると、自分達が川で死んだ者だと言って、回向してくれと頼んで消え失せました。
山伏が加持祈祷をしていると、男女の亡霊が現れ、邪淫の罪に苦しんだが、行者の法によって成仏したと喜ぶ物語です。
この舟橋を通る古道があり、現在舟橋があったという低地に下りて行く所に、舟木観音という万葉古歌を書いた碑が建っていて、高崎市の指定史跡となっています。
(境内の伝承説明書より)謡曲“ 鉢の木 ”領地を一族に奪われた源左衛門が、この里で窮迫の生活を送っていました。
ある大雪の日、旅の僧(実は鎌倉幕府執権北条時頼)に一夜の宿を頼まれます。
彼は暖をとる薪もないことから、秘蔵する盆栽の“鉢木” 梅・桜・松を焚いてこの僧を温めもてなしました。
彼は僧との話の中で、今はこんなに落ちぶれているが、れっきとした鎌倉武士で、いざ鎌倉に事があれば真っ先に駆けつけるつもりで居ると話します。
時頼は鎌倉に帰ると早速、諸国の武士に鎌倉集参を触れます。
源左衛門は痩せ馬で破れた鎧をつけ、錆びた長刀を持って、鎌倉に駆けつけました。
源左衛門が時頼の前に呼ばれ、当夜の僧が時頼であったことを知らされます。
時頼は源左衛門の忠節を誉め、所領を返すとともに、薪にした松・桜・梅の鉢に因んで、この文字の付く三箇の領地を与えたという物語です。
(サイト「上州群馬の旅」より)
常世神社は佐野源左衛門常世の屋敷跡とされているが、残念ながら鎌倉時代に佐野源左衛門常世という御家人がいたという記録は見つかっていない。
鎌倉時代の「鉢木」の主人公として知られる佐野源左衛門常世を祀る神社です。
規模は小さく、やや寂れた雰囲気ですが、生け垣は手入れされていました。
境内には祠の他に石碑や解説板があります。
名前 |
常世神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
027-323-5945 |
住所 |
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評価 |
3.7 |
参拝後の経路が別れてる、ソーシャルディスタンス?w