すごく河津桜と重なって綺麗でした♡
河津桜が綺麗な小さな神社すぐ横には駐車場もあるから車でも行きやすい。
毎年春先に行ってます。
河津桜とメジロちゃんがいつもお出迎えしてくれます(*゚▽゚)ノ
彼岸桜で有名です。
市の無形文化財である獅子舞と河津桜が有名境内には数多くの庚申塔が見えることから昔からの信仰が伺えます創建は平安末期 大和国の鏡作神社を勧請したと考えられているようです隣には二十二夜塔も隣に6台程止められる駐車場があります。
穏やかな雰囲気のです。
境内にはたくさんの庚申塔の石碑が囲いになってありました!
時期になると河津桜が満開になります♡小さい神社でしたが、すごく河津桜と重なって綺麗でした♡
桜と神社のコラボが美しく、春の訪れを感じました♪
2021/3/6参拝。
河津桜がきれいでした。
花がキレイに咲いていた。
桜がとても綺麗でした( ・∇・)お天気も良く幸せな気持ちになりました♥️
小さな神社です。
桜がきれいです。
主祭神 石凝姥命(天岩戸神話で八咫鏡を作った女神)配祀神 健御名方命 大日孁命 火雷神由来大和国に鏡作神社という神社がある。
鏡作神社は、鏡類を製作鋳造することを業としていた鏡作部が、神社の周辺に居住し、御鏡(天照国照彦火明神)並びに遠祖(石凝姥命)を、氏神として創建された。
江田は、上野国国府が置かれた元総社から、そう遠くない場所にある。
国司は、国府開設後次々に、地方政治に必要な技術者集団を国府周辺に呼び寄せた。
鏡作り集団も畿内から呼び寄せられた。
彼らは、江田の地に居を構えると同時に、大和国の鏡作神社を勧請し、鏡神社を創建したと考えられる。
(境内鏡神社之由来碑より)鏡神社は平安時代の上野国神名帳にもある古社です。
毎年十月に、江戸時代から続く獅子舞が奉納されています。
江田鏡神社の獅子舞(市指定重要無形民俗文化財)江田鏡神社の獅子舞は、五穀豊穣、無病息災、家内安全を願い、町の鎮守である鏡神社に奉納するもので、神社の祭礼と共に偶数年の秋祭に行われています。
由来については記録がなく起源は明らかではないとのことですが、江戸末期に旧群馬町の稲荷台から伝わったといわれています。
獅子舞は、かつては鏡神社の本祭りとその前夜祭である鎮守詣りで奉納されていましたが、現在は、鎮守詣りに獅子が奉納されています。
この獅子舞は、一人立ちで、前獅子、中獅子、後獅子の3匹の獅子にカンカチが付き、4人で舞います。
獅子は、角がねじれている雄の前獅子、宝珠のついた雌の中獅子、角が真っすぐな後獅子とで区別します。
前獅子と後獅子は雄獅子で、中獅子が雌となっています。
江田鏡神社の獅子舞には、獅子舞をほめる「ほめ言葉」と、それに答える「返し言葉」があり、その掛け合いが、本獅子舞の特徴となっています。
(ぐんま地域文化マップより)鏡神社の東隣に江田町公民館があり、そこに「二十二夜様」と「淡島様」と秋葉神社石碑が祀られています。
一般に淡島明神は、婦人病治癒を始めとして安産・子授け、裁縫の上達、人形供養など、女性に関するあらゆることに霊験のある神とされ、江戸時代には淡島願人と呼ばれる人々が淡島神の人形を祀った厨子を背負い、淡島明神の神徳を説いて廻った事から信仰が全国に広がったといいます。
御祭神は少彦名神とする説。
少彦名神が医薬の神とされていることや、『古事記』や『伯耆国風土記』に、国造りを終えた少彦名神が粟島(あわしま)から常世の国へ渡って行ったとする記述があることによります。
また婆利塞女(ばりさいじょ)とする説もあります。
婆利塞女は婦人病を患ったために夫婦の仲に障りを来す事を嘆き、形代を作ってその障りを除いたといいます。
遅かった😅葉桜😱
桜?が綺麗でした。
名前 |
鏡神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
027-251-1546 |
住所 |
|
評価 |
3.9 |
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南方面を向いて鎮座しています。
歴史ある神社なのだと感じます。
道の東側の22夜様もあります。