地元の方々が丁寧に整備されている櫛型・擁肩把手‐寛...
御祭神 宇迦之御魂神住宅地の中にあり、境内は狭いながらも鳥居が建ち、鳥居横には庚申塔、お社前には眷属の狐さん、境内右には文化元年(1804)の石像と、寛保三年(1743)の双体道祖神が見られます。
後家町は前橋市の西側、利根川の西岸に位置する地域で、北に市立東中、南に市立東小、東には済生会病院や育英高、周囲には大型商用店舗が多いため、車や人の往来が多い地域にありながら、神社周囲は住宅地の裏手にあるためか静かです。
後家という地名はこの地に江戸時代からあり、明治22年(1889)後家村は箱田村、前箱田村、川曲村、稲荷新田村、下新田村、上新田村、小相木村、江田村、古市村と合併し群馬郡東村となりました。
東村という地名は、往時官道東道が当地を通っていたことにちなみます。
(東村誌)昭和29年(1954)東村は前橋市へ編入となり、そのため前橋市後家町となりました。
稲荷神社は後家町の北側半分の中央辺りに位置しています。
地元の方々が丁寧に整備されている櫛型・擁肩把手‐寛保三[1743]の双体道祖神。
名前 |
稲荷神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
4.2 |
この社がある後家町という町名は、後家さんが多く住んでいたから…ではなく、平安時代の荘園に由来するものだそうです。
その頃、荒れ地や未開墾の空き地を空閑(こかん)と呼んでいました。
この空閑がなまって「後閑」「五箇」「後家」などという地名となった…ということです。
神社には、手をしっかり握りあった双体道祖神もありました。
また「宮大工 田村八兵衛顕彰の碑」と記した、真新しい石碑が立っていました。
田村八兵衛は江戸時代中期に活躍した宮大工で、京都で修行したあと、この後家町に住み、数々の作品を残して「後家の八兵衛」として名を成したのだそうです。
小相木町の大徳寺総門、伊香保の水沢寺六角堂は、八兵衛の作によるものだといいます(^_^ゞ