全てにおいて小さくてびっくりでした。
宮鍋神社は元総社神社があった所で、この辺に上野国府があった所で、境内に上野国府正庁推定復原図があります。
室町時代に総社長尾氏が国府跡に蒼海城を築くが、西暦1560年頃兵火に合い総社神社が現在の地に移転したようです。
宮鍋神社は近くに鋳物師の屋敷があったので、鋳物師たちに崇拝されたようです。
駐車場はありません。
総社神社もそうでしたが、宮鍋神社も総社神社の管理か境内の大木の木々の上の方がだいぶ伐られていて違和感がありました。
落枝防止でその内枝が繁れば見映えが良くなりますかな?
口コミの情報通りに総社神社の駐車場を借りて徒歩で神社に。
ちょうど風が吹いていてすごく気持ちよく、大木と大木の根が凄かった。
御神木が立派で根が剥き出しになっているので、迫力が凄くありました!
前橋総社神社の元宮。
総社神社で御朱印を頂けます。
総社神社を参拝した時に昔はここにあったと教えて頂きました。
駐車場は総社神社を使ってもいいとのことです。
御神木の根元がすごい!いい気が 感じますよ ほら。
R2.3.5参拝 口コミの写真ではわかりませんでしたが、全てにおいて小さくてびっくりでした。
車を駐車するところがなく少し離れたところに路駐し慌ただしくですがお参りさせていただきました。
総社神社さんにて特別御朱印にて宮鍋神社さんの御朱印拝受。
経津主命を祀った小さな神社ですが、元々ここが上野国総社神社だったんだとか。
中世に国府を城壁で囲み蒼海城とした時に現在の場所に移動したそうです。
総社神社の元あったところ。
上野国(群馬県)内のすべての神々をお祭りする前橋市元総社町の総社神社の元地(上野国府跡 国庁伝承地 宮鍋神社)大化2年(646年)正月に発せられた大化改新の詔(みことのり)によって律令政治が開始。
地方を治めていた国造(くにのみやつこ)制度は廃止され、大和朝廷から国司(こくし)が任命され、政庁としてしての国府が置かれました。
上野国(こうずけのくに)の国府は、前橋市元総社町付近にあったと推測されています。
御祭神 経津主命 金山昆古神 金山昆賣神創立年月日 不詳人皇十代崇神天皇の第一皇子豊城入命が東国統治の命を奉じ、この地方に下降した際、宮之辺の地に経津主命を祭祀して武運長久を祈ったのが、総社神社の始まりと伝えられております。
宮鍋は宮之辺が変化したのではなく、惣社神社移転の跡地の東傍らの屋敷(2041、2042番地)に鋳物を業とする人々が定住して、経津主命に鋳物師が崇敬する製鉄の神、金山昆古神、金山昆賣神を合祀して「宮鍋神社」と称したのであろうと思います。
前記二屋敷跡より多数の鋳物屑が発見されております。
明治三十年十月に木造鳥居の建立記録が殿小路町にあり、大正八年四月十六日総社神社に合併されましたが、昭和六年十二月一日県の指示により、再び宮之辺の地に移転となりました。
当社は今なお「宮鍋様」と称して、殿小路町、粟島町の崇敬の社であります。
(境内由緒書より抜粋)
上野国総社神社がはじめに建っていた場所で今でも立派な御神木が残っておられます。
総社神社とセットでお詣りすることでより大きなパワーをいただくことができます。
静かで おもむきが有って良いよ❗
駐車場はありません。
この場所は上野国総社旧地であり、国府(国衙)の置かれていたところです。
名前 |
宮鍋神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
027-251-1546 |
住所 |
|
評価 |
4.0 |
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めちゃくちゃ小さな神社なんですけど、御神木がすごく大きいんです‼️特にその根っこがすごくて、、、(〃∀〃)‼️