名前 |
お艶が岩 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
この美しい名前の岩には、様々な伝説が語り伝えられているそうです。
そのひとつは、お艶という村娘の悲恋物語です。
その昔、この岩は利根川の畔にありました。
お艶は年頃の娘でしたが、あるとき対岸の村の若者と恋に落ちました。
当時は橋などなかったので、若者は激流を渡って、お艶に会いに来てくれました。
ところが、いつか若者の心は冷めてしまい、通ってくる足も遠のいて、まったく姿を見せなくなりました。
お艶は岩の上に立って、待ち続けましたが、とうとう利根川に身を投げてしまいました。
それから誰いうとなく、この岩を「お艶が岩」と呼ぶようになったとのことです。
また別のお話では、お艶は道で擦れ違った、見も知らぬ若者に心を奪われ、どこの誰ともわからぬままに、恋焦がれるあまり、この岩から身を投げたともいいます。
また、まったく違う伝説もあります。
このお艶という女性は、実は淀君であったというものです。
大坂夏の陣では、総社の城主であった秋元長朝も徳川方の武将として、大坂城の包囲軍に加わっていました。
その長朝の陣に、一人の美しい女性が駆け込んで来ました。
捕らえて検分すると、豊臣秀頼の母である淀君でした。
ひそかに城を抜け出して、助けを求めてきたのです。
長朝は彼女を家康に差し出すべきでしたが、その美しさに心を打たれ、ひそかに上州の自分の城まで連れ帰りました。
側室のひとりとなって、お艶さまと呼ばれ、長朝には大切にされましたが、いつしか「あれは淀君ではないか」と噂が立ち、自分の行く末を儚んで、利根の流れに身を投じてしまったというものです。
長朝の菩提寺である総社町の元景寺には、淀君のお墓と伝えられる物があります。
戒名も華やかで美しく、本当に淀君だったかもしれないと、想像してしまいます(*^^*)