6世紀末に築かれた前方後円墳です。
築造当初の葺石に覆われたの様子が再現されていて、ピラミッドを思わせる偉容。
6世紀末に築かれた前方後円墳です。
頂上に豊城入彦命の碑が立っています。
余りにも無残駐車場無し回りの環境悪し。
4月下旬から5月上旬にかけてジュウニヒトエが咲いている。
これからサクラが咲くと最高です。
駐車場がないので、近くの愛宕山古墳の駐車場に停めるように、との注意書きあり。
ただ、知らずに来てしまったらまた愛宕山古墳まで行かなくてはいけない、というのはちょっと不親切かも。
石室を見たい場合は草があまり生えていない寒い時期に来た方がいいと思う。
石室は2箇所あるはずだが、入り口は一ヶ所しかわからず、確かもうひとつは入り口が崩れてしまったという話を聞いたことがあるが、その辺りの注意書きや説明などもなく、ちょっと残念な感じです。
墳丘東南角に双体道祖神。
前方後円墳時期:6世紀後半規模:約90メートル総社古墳群でも最大規模の古墳です、石室は、後円部と前方部の2箇所に作られており、後円部石室は天井が崩落していますが、県内でも最大級のものです。
前方部石室は、大ぶりな自然石を積み上げており、石室の規模は後円部石室より一回り小さな石室です。
残念ながら、副葬品の所在が不明となっております。
名前 |
総社二子山古墳 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
3.5 |
資料によると、日本書紀に上毛野君・下毛野君の始祖とある豊城入彦命の陵墓探索が県を挙げて行われていた。
その後、1875(明治8)年に前橋市の総社二子山古墳が陵墓参考地に治定されたが、翌年解除された。
とあります。