神楽殿は市指定重要無形民俗文化財です。
神楽殿は市指定重要無形民俗文化財です。
敷地内に道祖神や石祠がありました。
御祭神 猿田彦大神由来当社は三国裏街道の三本辻に四百年以前より地蔵堂があり霊験灼なことから崇敬者が多く現在に至っています。
猿田彦大神は天孫降臨に際し、天照大御神の孫神である邇邇芸命が天照大御神の命を受けて豊葦原の瑞穂の国を治めるよう申しつけられて天下った時に、天の八衢に立ち迎えて先導役(道案内)をつとめた神様です。
邇邇芸命の曾孫が初代天皇の神武天皇で現在の天皇へと継がれています。
明治二十六年十月三十一日の大演習の折に明治天皇が当神社に行幸なされ御参拝を賜っています。
この時の記念碑が神社の前にある大きな碑です。
猿田彦大神は背は高く鼻も高く目は矢咫の鏡のようで照り輝き赤いほおずきのようだといわれています。
このような容貌魁偉なことから邪神を払ってくださる神様でもあります。
のちに天宇受売命と夫婦になり、伊勢の国五十鈴川の川上に至り、農耕生活に入り、農業、漁業を指導し日本の国を豊かにした神様です。
このようなことから、交通安全や農業、漁業の神様として先見性をもった導きの神様です。
現在も伊勢神宮には猿田彦神社が祀られています。
(猿田彦神社由来碑より)庚申講についてお庚申待ちの夜、寝ないで語り合うのは、人間の体の中に三尸の虫がいて庚申の夜、人間が眠っている隙に体から抜け出して、天帝にその人の罪を告げに行きその結果天帝の怒りをかって早死させられることになります。
それを守ってくれるのが仏教では青面金剛、神道では猿田彦大神とされています。
このようなことから寝ないで語り明かすのです。
ですから長寿の神様でもあり、お葬式の帰りにお参りしてもよいとされています。
庚申塔や道祖神は猿田彦大神と同一の神様といわれています。
また血不浄を嫌うといわれることから出産後二十一日間はお参りを控えるともいわれています。
(猿田彦神社由来碑より)渋川市指定重要無形文化財「猿田彦神社の大和神楽」石原の猿田彦神社(お庚申さま)に、立春から数えて最初の庚申の日(三月~四月)奉納される神楽です。
天の岩戸開きの舞、八岐の大蛇の舞など神話を劇化した三十六座からなる神代舞です。
余興舞で振舞う景品の中に、養蚕の神として、猿田毘古大神と墨書した蚕座紙が含まれているのも特徴の一つです。
明治十七年(1884)に元総社の総社神社に奉納する神楽の伝授を受け、以来氏子の相続人によって引き継がれ、現在、大和神楽講として受け継がれています。
(境内案内板より)境内右手に神楽殿があります。
正面に鳥居と妻入りの拝殿が立ち、その後方の本殿には正方形の社殿の白壁に漆喰で精緻な彫刻が施され、屋根の上には金の鯱が乗っています。
拝殿内部を覗くと壁面には絵馬があり、天井には天井画があります。
境内左にある社殿内には、小さな祠があると思いきや、猿田彦大神と天宇受売命の大きな石像がありました。
境内隅に追いやられて可哀相な双体道祖神。
名前 |
猿田彦神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0279-23-1844 |
住所 |
|
評価 |
3.3 |
本殿の装飾が特徴です。
びっくりしました。