祭神は、倉稲魂神、大宮女命。
祭神は、倉稲魂神、大宮女命。
例大祭は、四月十五日、十月十五日。
現在の社殿は、平成十二年に火災により全焼し、平成十五年に再建されたものです。
かつて、この場所には、沼田城の米蔵があり米つき場もあった関係で、その守護神として稲荷を祀ったのが始まりとのことで、大正時代までは、小さな祠として荒れ果てていましたが、大正十二年に社殿が建立されました。
明治時代になり、できものを癒やす稲荷として信仰されるようになり、お願生に土のだんごを年の数だけ供え、治癒すると米のだんごを供えるようになりました。
参拝の方法は、社殿を左側から一度回ることによって御利益があるとのことです。
名前 |
御搗家稲荷神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0278-22-2655 |
住所 |
|
評価 |
3.0 |
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御搗家稲荷神社(おつきやいなりじんじゃ)御祭神 稲荷神 宇迦之御魂神御搗家の名称についてもともと沼田城内にあった米蔵とその米搗き場のことを言いました(現在の沼田女子高校校庭南側あたりの場内にありました)。
その米搗き場の「お搗家」の守護神として祀られていたのがお稲荷様です。
倉稲魂神・大宮女命を祀っていました。
江戸時代の日記等に「御搗家」に飼葉、藁、薪等を何束何俵届けたという記事がよく書かれています。
御搗家は食料としても経済的にも大きな価値を持っていた米を扱う重要な部署でした。
その守り神として稲荷神社が祀られていました。
倒幕後御搗家は消滅しましたが、稲荷神社はそのまま残り、大正八年、現沼女が建設されたとき、それに伴って校庭の東北隅にある畑の堀面したところに移設されました。
その四年後、天桂寺前から公園前まで道路が開設されることとなり、その道路用地として御搗家稲荷神社の土地が接収されました。
そのため現在地に移設されることになり、社地は都丸宇十郎の私有地が提供されました。
社殿は石神様を祀る木造トタン葺きの小さなものでした。
昭和二年社務所が建設され、昭和十一年には神楽殿を建設。
奉納神楽、盆踊り、唐傘踊りなど東倉内町民の行事や娯楽センターとしての役割を果たし、昭和三十九年老朽化のため撤去されました。
平成十二年、隣家の火事がもとで焼失。
再建委員会ができ、平成二十五年竣工、同年完成式典が行われました。
(町史より抜粋)