道の駅霊山たけやまに行った際、寄らせて頂きました。
嵩山を神体とする神社のようです。
地元の五反田や伊参の方々を始め、中之条の方々から大切にされているのがよくわかる境内です。
休日は近くに道の駅があるので神社も参拝する方がおりますが、平日はヒッソリしており良い雰囲気です。
杉の大木に囲まれた親都神社(チカトじんじゃ)。
御神木の大ケヤキの樹齢は約700年(県指定天然記念物)。
戦国時代の頃から中之条町では最も賑やかな場所だったそうです。
祀られている黒岩(嵩山)からは冬場運が良いとスカイツリーが見えるそうです。
道の駅霊山たけやまに行った際、寄らせて頂きました。
アートな作品⁈のピンク板、珍しい。
大ケヤキは県の指定天然記念物です👍
中之条ビエンナーレの作品の展示があります。
神社自体が普通ですね。
親都(ちかと)神社と読みます。
道の駅霊山たけやまに駐車し訪れました。
境内には至る所に赤い木でできた枠のようなものがあり、普通の神社とは違った雰囲気の場所でした。
何か説明があると親切かもしれません。
祭事以外は普段は無人のようです。
御朱印は拝殿裏の道の駅霊山たけやまで書き置きが頂けます。
¥300レシートに御朱印¥300とあるのも貴重ですよ😃
由諸のある神社❗️太く立派な木🌲がたくさんあります❗️5月5日には、向かいの嵩山に登って神社の習字展がありました❗️今は、どうなんだろ⁉️
親都神社付近のお堂等の写真です。
道祖神が可愛い‼️古びた石仏もきちんとお祀りして有って地域の方の信仰心を感じました。
立派な建物だが、由緒や説明が極めて少ない。
境内にはいる道は数ヶ所あり、お参りして帰るときに展示品?を見かけたが、、とても怖かった。
どんな意味なのだろう、、遠目で見てトゲトゲでした。
御朱印は社殿裏側にある道の駅のレジで頂きました。
初めて御朱印でレシートいただきました。
道の駅霊山たけやまの隣にあります。
境内の裏側からも入れます。
吾妻七社明神の中心的な神社(和利宮)があった場所と言われております。
屋根の曲線の優美さ。
境内に奉納された?作品も見所です。
中之条ビエンナーレが終了しても展示物が数点残るようです。
木々に囲まれた神社です。
向かいに道の駅もあります。
お願いすると、母乳の出が良くなる木、がありました。
小さい神社ですが、雰囲気あります。
主祭神 須佐之男命配祀神 品陀和気命合祀神 大日孁尊 倉稲魂命 健御名方命 八坂刀売命 菅原道真 大山津見命 保食命 大物主命 埴安姫命霊山たけやまと親都神社古代の人は、高い山そのものが神であり神霊の宿る山であり、また先祖の霊が眠る所であると崇敬して来ました。
嵩山はまさに神の宿る山であり、親都神社の所が拝む所であったと推測されています。
この山は加若次郎和利と子持姫のことを書いた神道集にある「和利大明神の事」の中に出てきます。
加若次郎は見付山の峠に現れ「和利大明神」というとあり、「見付山」も「和利の岳」とも云ふとあります。
元禄六年(1693)の五反田村の絵図面を見ると嵩山に「わりのたけ」と書かれ親都神社の所に「七社大明神」とあります。
これは神道集に出てくる七社大明神の神社の中心と思われます。
また、「親都千軒」と云われており、親都には中世の屋敷あとがあり、その中心と思われる所に「天王石」が残されてあり市が開かれた事を物語る遺物があり、又「宝蔵寺」跡もあって大集落があったと思われます。
戦国時代には、嵩山城が築かれ斎藤氏と真田軍との壮絶な合戦で落城した慈話もあり元禄の時代になってから五反田村の人達が中心となって敵味方の別なく戦没者の供養をした事が残されています。
尚、右記録に依るとと永禄の頃までは神社は大森であったが度重なる戦過や大風により社城も荒れ果てましたが社殿の鬼門に当る所の大欅は残っており現在御神木として崇められています。
現代の御本殿は、元禄十二年(1699)八月十五日の大嵐にて大破したので村中で奉賀をして修復をしたものです。
又、享保十一年(1726)九月七日には村中で拝殿を修復し、享保十三年には鳥居を建立しました。
享保十四年二月十七日には明神様の御神位を頂戴する為に村から代表者二人が村中から一人につき十三文づつ出し合って貰いに出かけて「正一位親都大明神」の称号を頂き七社大明神が改称されました。
明治初年(1868)になって「親都神社」と改称され明治十年(1877)には五反田村中すべての神社を合祀して現在の親都神社となりました。
(境内看板の張り紙より)親都神社は「吾妻七社明神」の中心的な神社「和利宮」があった場所で、和利宮が現在の吾妻神社に遷座した事で五反田の住民達が新たに須佐之男命の分霊を勧請して氏神としたのが始まりと伝えられています(諸説有)。
親都神社境内背後には嵩山(標高789m)を控え、山頂付近は断崖絶壁と奇岩怪石が複数存在してる事から古代から信仰の対象となり、嵩山自体を御神体としています。
南北朝時代に編纂された「神道集」によると子持大明神(子持神社の祭神)と和理大明神(嵩山の祭神)とは夫婦神で、和理大明神は嵩山の山頂に奥社、麓に親都神社、里宮に和利宮で祭られている事が記されています。
中世長く当地を支配した塩谷氏は嵩山を篤く信仰した為、自らの居館近くに和利宮(現在の吾妻神社、又は御手洗山)を遷した事で、残された住民が改めて須佐之男命を祭る神社として親都神社を再興したようです。
室町時代中期頃に嵩山の山頂付近に嵩山城が築かれると境内周辺は城下町として整備され「親都千軒」とも呼ばれていました。
しかし、永禄六年(1563)に武田信玄による吾妻郡侵攻により、武田家に従った真田幸隆に攻められ落城、親都神社も大きな被害があったと思われます。
享保十四年(1729)に社号を七社明神から正一位親都大明神に改め、明治時代初頭に発令された神仏分離令で仏式が排され現在の社号である「親都神社」に改称しています。
(「群馬県歴史観光見所」より)
大ケヤキが在ります。
なんだここ…。
SCP-173みたいなオブジェ?が沢山。
出会えて良かったトリックスターネットで見かけたこの作品に呼ばれた気がしてその翌日訪れました。
霊山たけやまと、この親都神社、大ケヤキこの組合せが重要ではないでしょうか。
いやいや作品の作者に逢えるとは思わなかった。
やっぱり呼ばれたんだよね。
浅野暢晴という方の創作物であるトリックスターという道化師の役割を果たす人形がそこかしこにあります。
なんだここ…。
SCP-173みたいなオブジェ?が沢山。
社務所は誰もおらず御朱印は隣の道の駅で書き置きのみいただけます。
神社は日曜日でもだ~れもおらず。
見所っつ~とこもない。
名前 |
親都神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
3.9 |
周辺のオススメ
![](./loading.gif)
落ち着いた雰囲気です💐