椿井の地名の由来となった井戸です。
主人の実家近く。
興味はない。
平群神手将軍『椿井井戸』・・椿井(つばい)春日神社の参道、常念寺の前に地名の興りとなった古い井戸があります。
これが「椿井井戸」で現在もこんこんと冷泉が湧いてます。
井戸の横には文政四年(1821年)の立派な石碑が立てられてます。
この井戸には平群神手将軍の逸話が伝えられます。
これは飛鳥時代に起きた内乱で「丁未の変、丁未の役、物部守屋の変」ともいう。
仏教の礼拝を巡り大臣「蘇我馬子」と対立した大連「物部守屋」の戦で物部氏は滅ぼされました。
この内乱は廃仏派の中心人物である物部守屋の征伐の折り、崇仏派の聖徳太子と共に戦う神手将軍は苦戦を余儀なくされ兵士の士気も衰えはじめました。
この時、神手将軍は平群氏の祖先を祀る椿井春日神社に参拝する道中、この地に椿の杖を突き立て、挽回と戦勝を祈願しました。
すると不思議なことに杖は一夜にして芽を吹き、冷泉が湧きだしたという。
この冷泉を飲んだ聖徳太子や兵士たちは、士気が大いに盛り上がり、守屋との戦いに勝利することができたそうです。
2020.02.05訪問 椿井春日神社の参道入口、常念寺入口の前に地名の興りとなった古い井戸がある。
これが「椿井井戸」で、今も清水が湧いています。
井戸の横には、文政 4 年(1821)の立派な石碑が立てられています。
聖徳太子と平群神手将軍が物部守屋征伐の際に椿の伐を当地に突き立てて勝利を祈願すると、一夜にして伐が芽吹き冷泉が湧き出したというエピソードで知られる井戸です。
宮山塚古墳、宮裏山古墳が近くに有ります。
椿井の地名の由来となった井戸です。
脈々と水で満たされておりました。
ブロック塀で囲まれており見逃してしまいそうになります、遠くから見たらゴミの収集場かとも思ってしまうような外観。
ちと整備したほうが?と思いました。
聖徳太子の逸話が残る古い井戸ながら、今も清水が湧き出すという。
「椿井」地名の語源ともなった井戸。
その由来は、是非現地にてお確かめになってください。
6世紀後半の古墳時代に 崇仏派と排仏派との間に於て戦いがあり 戦中にあった逸話の中に出てくる井戸なんです崇仏派の戦いの主は かの有名人である聖徳太子と平群神手将軍で 相対する排仏派の主は 物部守屋(モノノベノモリヤ)であります 早い話し 聖徳太子らが戦勝祈願し コノ井戸の水を飲んだトコロ 劣勢だった戦いが 逆転勝利したと言う事です なんせ逸話ですから・・早い話しではナク 長い話しでは コノ事以外にも色々とあったと言うコトなのですが 私には到底理解出来ない(椿の芽が出た・・)様な話しなので 割愛させて頂きます 興味のアル方は 是非お調べ下さい❗
名前 |
椿井井戸 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
3.5 |
椿井城登城口にあります。
今でも水が湧き出していて、コンクリートの屋根付きの囲いで覆われていて、水底が見えているような見えないようなよくわからない暗さでした。