富岡製糸場から徒歩10分くらいで着きます。
上州富岡駅から世界遺産富岡製糸場へ向かう途中にありました、古い神社のようですが綺麗に管理されてる様子。
富岡製糸場見学の帰りに目に付いた神社に参拝電車の時間待ちを有効に活用できました(10分程度で見事な彫刻を堪能)
社務所は不在でしたが、境内も社殿も綺麗に整備清掃されていました。
境内にある花の鉢植えが綺麗です。
2022.3.21.参拝上州富岡駅近くに有る神社。
立派な社務所は有るが、普段は無人の様子。
中々に歴史を感じさせ、丁寧に管理されている様だ。
富岡駅東駐車場から乗った、とみおか周遊観光バスのガイドで、子供を背負った狛犬がいると聞いて、富岡製糸場からの帰りに寄りました。
桑の紋があちこちにある木造の神社でした。
敷地にコスモスなどお花も咲いている暖かい雰囲気な場所でした。
2021/6/27たまたま寄ったローソンから、横に目を移したら神社があった。
その程度のきっかけだったのが、いざ入ってみてびっくりした。
表記が『諏方大明神』(諏訪の古い表記の一つ)だし、拝殿裏には猿田彦大神碑や鎮火神社、大國神社・神明宮・琴平神社の併社まであった。
また、彫刻も龍に乗った人(人なのか神様なのか)や弓の奉納もあった。
いろいろお話を知りたかったけど、社務所に行ったら素っ気なかったので止めた。
でも、境内はキレイにされているので、地元に愛されていると思う。
上州富岡駅から富岡製糸場への道筋に諏訪神社さんがあります。
諏訪神社さんは昭和9年8月に作られたそうですが、外観はかなり古くからあるように見えます。
また、本殿には精巧な彫り物(細工)が施されています。
社務所では、御守りやお札、おみくじ、御朱印をお願いする事ができます。
お参りの記念に御朱印をもらいたい場合はあらかじめ御朱印帳を用意しておきましょう(御朱印帳の販売はありません)。
H24には御朱印は頂けなかったが、今回社務所の対応も普通で、御朱印がいただけた。
富岡製糸場から上州富岡駅に向かう途中で目について立ち寄りました。
拝殿の彫刻がなかなかに見事です。
本殿は覆屋に隠れて見えず、拝殿の規模もそれほどでもなく、他に見どころもないことから評価は★二つにとどまりますが、宮彫り好きの方なら楽しめると思いますし、そうでない方にとっても駅の待合室で三〇分を無為に過ごすよりは、こちらを参拝したほうが有意義だと思います。
貫前神社といい山名八幡宮といい、見ごたえのある近世彫刻がそこかしこにあるので、上信電鉄沿線は侮れません。
富岡諏訪神社御祭神 健御名方之命 八坂刀売之命境内末社大国神社 琴平神社 秋葉神社 神明宮 市場神社由緒富岡諏訪神社は、創建年代は不詳ですが、信濃国一之宮諏訪大社(長野県諏訪市)から分霊され当地に勧請されたものと言われています。
当初は甘楽郡宮崎村に鎮座していましたが、安土桃山時代天正十八年(1590)、国峰城の支城で小幡昌高が城主だった宮崎城が豊臣秀吉の小田原攻めのとき、豊臣方の上杉・前田連合軍の侵攻で落城しました。
その頃の城下の宮崎宿は当時富岡市の中心地であり、なかなかの賑わいでした。
その後、徳川家康が関東に入るとその重臣の奥平信昌も上野国甘楽郡宮崎に三万石で入封します。
慶長六年(1601)に奥平信昌が美濃加納藩(岐阜県岐阜市)十万石に移封になると宮崎城は廃城となります。
宮崎城下にあった商家や民家、寺社等は富岡に移され、諏訪神社も現在地に遷座しました。
江戸時代に入ってからは徳川幕府から庇護され三代将軍徳川家光から朱印地として永代社領十石が安堵されます。
現在の社殿は昭和九年(1934)に群馬で陸軍大演習が行われた時に大改築したもので、拝殿の木鼻には獅子、漠、向拝には精緻な龍と神子の透かし彫が施されています。
(「境内案内板」及びWikより)国道254号線(姫街道通り)と県道46号線(宮本町通り)と県道10号線の交差する「富岡」信号の北東角にある神社です。
とてもシンプルな石の神明鳥居を潜ると、石燈籠と並んで狛犬さんが居ます。
一般的な狛犬さんは神使として神域を見張る役割の他に、物事が良く回るように玉を持ったものと、子孫繁栄を願って子狛犬さんをしっかり押さえているものが多いですが、こちらの狛犬さんは右側の阿形狛犬さんの背中に小さい狛犬さんがへばりついていますので必見です。
あと、社殿の向拝下の彫刻も大きくはないですが緻密で素晴らしいです。
また、社殿左後方の山車庫の後ろにある境内社の、「大国神社社殿」の彫刻も必見です。
社殿壁面の彫刻も見事ですが、その他に、普通木鼻にある狛犬さんは頭と肩と腕が柱から飛び出した上半身像ですが、大国神社社殿を支える軒下の彫刻には、小さいですが社殿を支える全身像の狛犬さんが見られます。
どうぞお見逃しなく。
2019 11 12本日、諏訪神社にて参拝させて頂きました。
初めての参拝です。
〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️ 富岡諏訪神社は、創建年代は不詳ですがの信濃国一之宮諏訪大社(現 長野県諏訪市)から、分霊され当地に勧請されたものと言われています。
主祭神は建御名方命(たけみなかたのかみ、、古事記では大国主神の御子神で、事代主神の弟神とする)で、諏訪周辺の民間伝承によるとタケミナカタは八坂刀売神(やさかとめのかみ)を娶り、二十二柱の御子神を儲けたとされている。
諏訪大社では上社の主祭神に建御名方神を、下社の主祭神に妃神の八坂刀売神を祀る。
祭神は諏訪大社に同じです。
当初は甘楽郡宮崎村に鎮座していましたが天正十八年(1590年)国峰城の支城で、小幡昌高が城主だった宮崎城が、豊臣秀吉の小田原攻めのとき、豊臣方の上杉・前田連合軍の侵攻で落城しました。
その頃の城下の宮崎宿は当時富岡市の中心地でありなかなかの賑わいっであったようです。
その後、徳川家康が関東に入るとその重臣の奥平信昌も上野国甘楽郡宮崎に三万石で入封します。
慶長六年(1601年)に奥平信昌が美濃加納藩(現 岐阜県岐阜市)十万石に移封になると宮崎城は廃城となります。
宮崎城下にあった商家や民家、寺社等は富岡に移され、諏訪神社も現在地に遷座しました。
現在、宮崎城跡には富岡市立西中学校があります。
江戸時代に入ってからは徳川幕府から庇護され三代将軍徳川家光から朱印地として永代社領十石が安堵されています。
現在の社殿は昭和九年(1934年)に群馬で陸軍大演習が行われ、それに伴い大改築したもので拝殿は入母屋、平入、桟瓦葺、桁行五間、正面一間唐破風向拝付、木鼻には獅子、漠、向拝には精緻な龍と神子の透かし彫が施されています。
本殿は一間社、切妻、銅板葺、平入、正面千鳥破風、一間軒唐破風向拝付。
平成二十六年(2014年)に社務所が新しくなりました。
社務所の事務員の対応が悪いので、嫌な思いをしたくなければ近付かない方がいいです。
観光の対象として見た場合、少し大きいだけの普通の神社で特に見どころはないので、行くだけ時間の無駄だと思います。
他の名所を探すことをお勧めします。
神社ならやはり貫前神社の方が全てにおいて圧倒的に素晴らしいですよ。
駅と製糸場の中間にある市の守り神。
きめ細かい彫刻が素晴らしいですね。
富岡市の街中にある大きな神社。
緻密な彫細工か素晴らしい!
なんのへんてつもない神社。
ただ本堂の正面上部の梁に施された彫刻だけは必見。
名前 |
諏訪神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0274-62-1112 |
住所 |
|
評価 |
3.5 |
富岡製糸場から徒歩10分くらいで着きます。
直書きの御朱印を頂きました。