中には入らずに外観だけ見てきました。
時国家(本家上時国家) / / .
平時忠卿一族の墓所から西、輪島市の方に降り海岸沿いに南、金沢市方面へ車で走ると左側にガソリンスタンド標識があり少し入った所に有ります。
向かい側に広い駐車場平時忠子孫で地域の様々な産業を開発して屋敷自体は江戸時代のものらしいですが手前の下時国家は公開を休止という事で中に入れませんが安徳天皇を祀る社が敷地内にあるとか。
少し先が上時国家、此方は有料公開中下時国家は書込み出来ないので此方に纏めて。
網野善彦によれば、時国家は江戸時代初期には200人ほどの下人を使い、30町歩300石の土地も所有していたが、専業農家ではなかった。
製塩・鉱山経営・金融業を営み、さらに江戸末期には北前船を所有する「多角的起業家」になっていた。
時国家に関心がわき、足を向けたのは数年前の7月初旬、大雨の日だった。
江戸時代に建てられた主屋は大きい。
建坪189坪。
茅葺の大屋根は高い。
最頂部は地上18mもあるという。
大納言の間は縁金折上格天井。
大納言の格式を表す。
というのは理由がある。
時国の父は平大納言時忠。
平清盛の義弟であった。
壇ノ浦で敗れ能登に配流とされた。
時国家にはそうしたhi-storyがあるから、壇ノ浦から800年以上たった今でも「大納言」という呼称を遺しているわけだ。
神棚で目を引いたのは赤間神宮のお札。
壇ノ浦に沈んだ、平家の血をひく安徳天皇の鎮魂のために創建されたのが赤間神宮。
時国家のアイデンティティに深くかかわるものだろう。
建物の持つ力が半端ない!「平家であらずんば…」の子孫の家柄だったと思うが、意外にも配流された後、地方とはいえ家が栄えていたらしく意外だった。
江戸時代もこの地域の支配層として君臨していたらしい。
想像していたよりずっと立派な建築物でした。
あまりメジャーではないのかそこまで混雑もしていませんでした。
不思議と、時間がゆっくり流れているような感覚でした。
1984/8/17来訪。
入館料 250円(36年前の金額です。
)本家の上時国。
「平家にあらずんば人にあらず」とまでいった平大納言時忠は源氏に破れて能登に落ちのびた。
時忠の5男時国が開いた家が上時国家。
文化5年(1808年)に建てた家で、入母屋造り、茅葺き。
二時間ほど滞在中他には誰も観光客は来ず受付のおばちゃんと色々話を聞けた。
売店もあるので暑い日には冷めたい飲み物が飲めるが館内では当然駄目。
近年外国人観光客がとても多いらしいが日本人がほとんど知らない所なのに不思議な現象だと思った。
当時のトップはどの様な暮らしをしてたのか思いを馳せる事が出来る貴重な体験。
想像していたよりも立派で大きな建物でした。
歴史を感じさせる内装や調度品や座敷の囲炉裏、炊事場のかまど…とても良かったです。
庭も素敵だと聞いていましたが、訪れたのが2月だったため一面雪だったのが残念💧でも雪景色の中に佇むお屋敷も魅力的でした。
平家ゆかりの施設藁ぶきの建物がしっとりと落ち着いていいです建物内にはゆかりの品々が展示されています縁側から見る庭も趣あります何より、欄間の彫り物が見事です。
まず正面、掘割を越えてやや高台にある門とその奥の玄関の唐破風、大きな茅葺屋根に圧倒されます。
屋敷の縄張りはもはやちょっとした城レベル。
豪壮な邸宅です。
江戸時代に北前船で財を成して作られたとか。
ただ所々、それ以前の室町から(だったかな?)の屋敷のものも流用されているとの事でした。
平家一門の矜持を表す金縁二重折上げ格天井は圧巻。
大納言の位でないと使えない格式のため、この屋敷を訪れた加賀藩主が「余は中納言故この部屋には入れぬ」と言い一部に紙を貼り形式的に格を下げて部屋に入ったという逸話があるそうです。
外観の大きさに圧倒されます。
建物の内部は豪華絢爛。
大納言ノ間の格子天井、見事な欄間、涼し気な庭園。
創建は幕末、ちょうど坂本龍馬が生まれた頃といいます。
封建制度の崩壊。
何よりも、幕末の豪農の勢いを感じました。
名前 |
時国家(本家上時国家) |
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ジャンル |
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電話番号 |
0768-32-0171 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 8:30~17:00 |
関連サイト | |
評価 |
4.0 |
驕る平家は没落しても凄かった。