遺構もよく残っている。
石碑の先の薮の中にガッツリ 空堀としっかり土塁が残っています。
(折りが有る)土塁の上に朽ちかけた祠がありました。
見て分かるのは、入口にある標石。
こんもりした土塁や堀跡らしき物があるかな。
道や案内板等が整備されて無いので良く分からない。
千波湖公園から登城。
上がった先に城址碑があります。
ネット上で探索断念されてる方があまりに多いので攻略のポイントとか。
落ち着いていて偕楽園公園周辺の穴場的スポット、遺構もよく残っている。
石碑のある好文橋方面から入ることはあまり勧めません。
まぁ神社方面から入ることもできますが、そっちから入ってもヤブは凄いし、途中で断念されてる方の多くはこちら側から攻略しようとしたのだと推察します。
言うてまぁ、荒人神社のとこの細い舗装道も堀底道なんでそこも遺構なんですけどね(笑)一番の見所であろう本郭空堀を見たいのであれば、オススメは三郭側から入ることです。
竹林と言えばわかりやすいでしょうか。
入る方面を間違えなければそこまで苦労はしませんよ。
まぁヤブが凄いので遺構全体を見て回ることは困難ですが、本郭の堀は迫力あります。
欲を言えば整備してほしいものですが、市街地で住宅地の真ん中でありながらほぼ完存なのは(広義の)偕楽園公園として管理されてきたからでしょう。
これから先も数百年とこの遺構を伝えて欲しいものです。
城址といってもアパートくらいしか見当たりません。
12世紀の終わり頃,水戸城主・大掾(馬場)資幹の4男・四郎長幹が見川城を築いて箕川(見川)氏を称したのが始まりで,1426年に江戸氏が水戸城の主となると,家臣の春秋石見守幹光を見川城主に任じ水戸城西方の守りとした。
その後,佐竹氏,水戸徳川氏と水戸城の主は代わりましたが,見川城がいつ廃城になったのかは分かりませんでした。
荒人神社に向かう途中,桜川緑地を横断する好文橋西側,歩道脇にあった東屋の側に「見川城跡」の碑に気づきました。
そこから見上げれば,お城ならぬレオパレス。
城跡は,すぐ南の荒人神社がある樹木に覆われたあたりですね。
水戸市街地にありながら,奇跡的に開発されずそのまま残った城跡だそうです。
ただ,整備されていないため,藪に分け入って城跡を確認するのは城跡ウォーカー上級者でないと困難のようです。
落ち着いていて偕楽園公園周辺の穴場的スポット、遺構もよく残っている。
名前 |
見川城跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
2.9 |
土塁と空堀がとてもよく残っている。
しかしものすごいやぶで本来の入り口は藪に埋もれていて目視では判別できないほど。