2023/11/11別名は氷見城。
城の遺構は殆ど無い印象でしたが、眺めは良かったです。
ただ、夏真っ盛りで木々が生繁っていたため、もう少し剪定されてると新湊大橋まで一望できてさらに良かったかなと思います。
駐車場は無料、WCも有って使い勝手良好です。
城址だけど城っぽい物は期待せず、登りが険しい展望台だと思って行きましょう。
戦国末期の城主として九州の名族・菊池氏末裔の菊池武勝が知られ、前田利家と佐々成政の抗争では、前田慶次が援軍として入って佐々方の攻撃から城を守りました。
現状は遺構らしきものはあまり見られず、また伝本丸の岬先端部は立入禁止となっています。
もう長いこと立入禁止のようですが、何らかの対策を取る気はあるんでしょうかね?海と反対側の麓に駐車場があり、トイレ完備です!※2023年4月追記: 4月より上記立入禁止は解除されました!
2022年10月上旬に行きました。
有名な観光スポットでは無いかも知れませんが、中々迫力のある素晴らしい眺めでした。
阿尾海岸側に立派な公園が整備され、駐車場とトイレが有ります。
先端部を回り込むことは出来ない為、反対側は日美乃江公園側から眺めるのが良いと思います。
城跡まで登れるみたいですが、大変そうなので今回は行きませんでした。
独立した丘陵が海に突き出て、曲輪と思われる削平地が何面か有りますが、城としての建物や、これと言う遺構は特に見当たりませんが、約50Mほどの標高があるため見張らしは良いです。
戦国期 豊臣秀吉によって泰平へと向かい始めた頃、加越能を治めた前田利家は、甥 前田慶次を阿尾城に置いた様です。
国境に程遠い富山湾に面した小城で、一族や重臣に囲まれた慶次はある意味 複雑な心境ではなかったかと思います。
勇猛な武人でありながら風流な教養を持ち合わせていた慶次、富山湾に浮かぶ月を見ながら、今後の己の身の振り方を考えたのではないかと想像してしまいます。
城の遺構は特に残っていないが、地形から往時の様子を感じられる。
氷見の漁港を一望できる景色もよい。
隠れた名所。
歴史好きにではなく観光客にという意味で。
スリル満点の城内の道、高さのある開けた景色。
紺碧の海。
素晴らしい場所です。
運良く見つけられた人だけ訪れる、そんな場所。
佐々成政と前田利家が交戦した際、城主の菊池氏は前田氏に寝返り、前田氏から援軍として前田利益(慶次)が入城したとされる。
城跡には遺構は余り残っていない。
2019.11城跡の上がり口には、数台分の駐車場とトイレが完備されています。
そちらから、数十mはきつめの坂道をのぼります。
落ち葉がたくさん積もっていましたので、滑らないよう注意しながら…。
坂道をのぼりきると、右方向にまた坂道があり(先には小さな神社)、左方向には階段が(こちらの方にも小さな神社)。
その階段の先は…また、階段が続きます。
途中、木々の間から海が見え…この日は天気が良かったので、かなり遠くまで見る事ができました。
一番先端の本丸跡地には展望台があり、ぐるっとまわりを見渡すことができます。
雲ひとつない天気の日は、立山連峰を一望できるでしょう。
(今回は天気は良かったのですが、立山連峰は雲で覆われていて、その姿は見ることができませんでした。
)あまり期待せずに寄ってみたのですが、来て良かったです。
日本海にせりだした断崖の上にあった阿尾城の城跡です。
駐車場から鳥居をくぐり、坂道を上ると中腹に榊葉乎布神社(さかきばおふじんじゃ)と白峰社があります。
白峰社の脇を抜けて舗装されてない階段を上り、けものみちに近い道を抜けると本丸跡にある展望台にたどり着きます。
(足元が悪く、ちょっとしたトレッキング状態です。
)本丸跡にある展望台の真正面に(天候条件が良ければ)日本海の上に立山連峰を見ることができます。
展望台の周りは、草が生い茂り手入れがされているとは言いがたい状態で、展望台の階段の板も、固定しているボルトが緩んでいたり、中にはボルトがはずれているところがあり、注意が必要です。
白峰社から坂道を少し下ると二の丸跡がありますが、そこにも海にせりだした展望スポットがあり、そこからの方が湾全体を見渡しやすいです。
展望台からは、立山連峰の向き、二の丸跡からは唐島方面が見やすいです。
広いので全部回るといい運動にもなるし、展望台からの眺めは富山湾が一望できて良いです。
展望台までの道は階段が少し狭く滑りやすいので気を付けてください。
ヒールやサンダルなどで行くと結構厳しいかもしれません。
一応前田慶次が城代を務めていたこともある城趾なので氷見市はもう少しアピールするなどして欲しいところ。
いきなり坂からスタートなので、普段運動しない人は翌日筋肉痛になるかもしれません。
少し離れて見た時に、阿尾城跡の魅力を強く感じます。
南側からの景色が有名ですが、北側(阿尾漁港側)からの景色も絵になったと記憶しています。
他の方からのレポートもありますが、是非天気の良い日に訪れて、富山湾の魅力を味わって下さい。
もう少し散策しやすいよう整備してくれたら良いと思う。
民宿あおを過ぎたところに無料駐車場あり。
トイレも完備でした。
遺構は少ないですが、本丸跡からの富山湾は絶景です。
晴天なら、富山湾越しの立山連峰が見られます。
断崖の上にあります。
このあたりは、有名な民宿が多く、そこを利用して能登半島を廻るのも良さそうです。
なんと言っても富山の魚は美味しい。
是非楽しんでください。
お城好きの方は、森寺城、七尾城とのセットでの攻城がお勧めです。
四季それぞれの北陸を是非楽しんでください。
歴史ある城跡でした。
大伴家持所縁の城。
今は、白峰神社の境内です。
大伴家持に従った菊地氏が八代に渡り治めたと書いてあったな。
古今和歌集に、大伴家持は、出てきた。
大和朝廷の豪族として教科書に紹介されていたのを思い出しました。
句が刻まれていた。
時が数百年も遡った感じでした。
本当は、日本海越しの北アルプスを捉えたかった。
今日は、見えませんでした。
また、行きます。
阿尾城は永禄年間(1558 - 1570)に築かれたと言われていますが、出土物からは15世紀後半から利用されていた形跡も伺われており、正確なところは不明です。
城主としては九州菊池氏の傍流で北陸に流れてきて上杉謙信に仕えた菊池武勝・安信父子が名を残しています。
阿尾城は氷見平野の北側にある海に突き出した独立丘陵に気付かれた平山城で海城としての一面も持ち合わせます。
越中から能登への要所に位置し陸側の街道も海路も監視するに適した場所で海に突き出た本丸跡地には物見櫓があったと言われています。
阿尾城は二方向が海に面しており海からは切り立った崖となっています。
陸側の二方向も崖と急坂となっており小ぶりながら堅城と言えます。
内部は本丸、二の丸、三の丸からなっており連格式の縄張りとなっています。
中世越中の小領主の城ですので石垣はありませんが切掘りや土塁、地形を巧みに利用した曲輪跡を確認することが出来ます。
当然の事ながら天守閣などは存在したことはありません。
菊池氏は上杉氏に仕えた後、中央で覇を唱えた織田信長が北陸に進出してくると信長に乗り換え、信長配下の佐々成正氏に従属しました。
本能寺の変後、豊臣秀吉と対立した佐々成正が越中で孤立すると、隣接する前田家に従属しました。
前田家従属後、菊池氏は加賀へ移り阿尾城は廃城となりました。
派手な遺構は残っていませんが中世城郭好きにはたまらないお城の一つです。
見晴らしがよいです。
城跡というロマンがまた良いです。
展望台に行くまでに蜘蛛の巣のトラップだらけなのでお気をつけて。
眺めはGOOD。
駐車場は少しなら登る前にあります。
中世の地方城郭としては規模が大きくて立派でした。
伝本丸に行く道で堀切がちゃんと残っていて縄張りも良く考えられていると実感しました。
朝日が上る時間にいくと、とてもきれいな景色が見れる。
断崖絶壁で海に囲まれる天然の要害。
決して藪に入ってはいけない、海に落ちる。
廃城後の耕作地利用や神社により破壊は大きい模様。
城の北側は城下町だった。
城主は菊池氏の名があり、前田慶次も関係している伝承もあり、それを使って町おこしをしようという動きもある。
名前 |
阿尾城跡 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
0766-74-8106 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
3.8 |
2023/11/11別名は氷見城。
天正年間の城主は菊池氏。
菊池氏は佐々成政に従っていたが、成政が前田利家と対立すると前田氏に通じた。
成政家臣の神保氏が阿尾城を攻めたが、これを撃退した。
海に突き出た高台にある天然の要害で、堀切など土木量は小さいが、整備されて散策しやすく眺望も良い🌊