12年に一度の「寅薬師」に伺うことができました。
片平にある修廣寺は源頼朝が軍事訓練などを目的とした「巻狩」を夏にこの辺りでしていたことに由来し、山号の「夏蒐山」と名付けられたとされる。
なおこの夏蒐山の蒐の漢字の意味は「艸と、鬼(死んだ人)とから成り、死者の血のあとに生えると言い伝えられる草、「あかね」の意を表す。
借りて「あつめる」意に用いる。
」なお徳川家康が天下をとって勝利に浸った茶臼山もすぐ近く。
そこは現在は上麻生4丁目にある「茶臼山緑地」。
歴史好きの人なら、茶臼山と聞いてピンとくる人もいるのでは。
天下分け目の戦いと称される「関ヶ原の戦い」で勝利した家康は、1614年に「大阪冬の陣」で豊臣家と争うことに。
その際、大阪城を攻めるために、家康が本陣を敷いたのが天王寺村の茶臼山だった。
その後の「大阪夏の陣」で勝利を収め、天下を取った家康は、現在の上麻生の丘で鷹狩りに興じ、天下人として感慨に浸ったとされる。
そうした伝承から、この場所が「茶臼山」と名付けられた。
その茶臼山は全国に点在し、古墳の場所としては生贄の祭祀を行った場所だとされている。
※参考検索「探訪こぼれ話 上麻生に「茶臼山」 家康が天下人に浸った地」より検索【現代の闇に繋がる衝撃の日本史❣】今も続く生贄儀式❣茶臼山⇒国分尼寺⇒法華寺⇒日本赤十字❣地元で調査したPCR検査で儲ける日赤の驚愕の怪しい仲間たち❣より。
麻生区に有る「修廣寺」。
源頼朝がこの辺で巻狩りを楽しんだと伝わる場所です。
(寺の創建前)寺の山号はこの頼朝の巻狩りに由来するそうです。
寺の創建自体は頼朝が生きた鎌倉時代のずっと後の時代、1400年代初めの室町時代初期に開かれた様です。
寺の裏山には山門を見て左手側から入れます。
散歩小径が有り、源頼朝が巻狩りをした往時の雰囲気を伺い知れました。
(*写真の石で整備された小径は、鐘の有る場所へ行く小径です。
裏山に行く小径では有りません)なんとなく山門が可愛らしく雰囲気有りました。
また、なんとなく唐の造り風です。
あと、普通は阿吽像は赤ですが、ここの阿吽像は黒だったのが印象的でした。
駐車場は広く、沢山の車が止められます。
ご縁を得て、12年に一度の「寅薬師」に伺うことができました。
本堂奥の薬師如来像(これが開帳対象)から入口近くにある木柱に糸が結ばれ、木柱に触れることで薬師如来と繋がれるそうです。
現在、訳あって人生のお暇を満喫中のため、今後の快癒を祈りました。
来るまで通った時、看板が出ているのに気づき、いつか御朱印を頂きにあがりたいと思っていましたが、ようやく実現しました。
看板のすぐ近くと思っていましたが、よく見ると矢印の方向に徒歩10分と書いてあります。
その通りに進むと、かなり細い鬱蒼とした山道に。
夏の暑い時期で蚊が大量にいそうな気がして少しためらいましたが、せっかく来たので進みました。
山道を抜けると予想以上に立派なお寺が。
インターホンを鳴らすと住職が来られ、御朱印をお願いしました。
とても立派な御朱印を書いて下さりました。
お納めは300円でした。
ありがとうございました。
とても閑静で整備されているお寺さん。
と言っても公園とは違うので尊厳の心を持って訪問するのも必要です。
門をくぐるときは本堂に向かって一礼、お布施、帰る時にも一礼など。
そしてお寺さんの猫ちゃん、ルーニーが人懐っこいのです。
心の安らぎを与えてくれる。
看板猫もいる。
春先に咲く紅梅と梅花観音様のコラボがいいです。
心地よい、寺ですね。
一時期ぬーベーで観光客がいっぱい来てたけど今は、ぜんぜん人が来ない。
麻生区片平2-8-1 修廣寺参道には庚申塔がある。●青面金剛庚申塔 駒型 日月 三猿 「奉供養庚申之尊像祈諸願成就所」「峕元禄十一戊寅九月十三日」(1698)「造立之人数」「武列築木郡片平村」 刻●文字塔庚申塔 角柱型 「庚申塔」「天下静謐五穀豊登」「邑内安寧講中無災」 「峕明治五蘢次壬申載」(1872)「仲春中漸日建」 刻とある。
裏から入るとしばらく上り坂。
特に見るところは無かったです。
^_^;
ぬーべーのロケ地じゃん!
名前 |
修廣寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
044-988-0165 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
3.9 |
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季節ごとにお花が綺麗なお寺です。