2024.02.08限られた時間で名取市西部周辺の...
普段は無人のようです。
年末は氏子の皆様方が大掃除をするようです。
御朱印は書き置き300円とのことです。
階段は100m以上あったと思います。
駐車場は、階段下の道路沿いです。
2024.02.08限られた時間で名取市西部周辺の歴史散策を決行。
智福院・佐倍乃神社・永禅寺・藤原実方朝臣の墓に続いての名取寺社仏閣行脚はこちらの今熊野神社へ。
これまで何度となく素通りしていたのは、車のレストスペースかと思っていたから。
看板もちゃんとあるので、いずれ見ておこうとは思いつつやっと初参拝。
そこそこ長めの石段を登った先にお社。
シンプル。
少し開けた高台から名取の街が望める。
名取熊野三社には含まれないよう。
高い場所にあるため、景色が綺麗です。
晴れた日だと海まで見えます!夏だけなのでしょうか、人に感知してシャボン玉が出てくるサプライズがあります!とてもかわいかったです♡また行きます。
景色がとても良く しばし綺麗な空気を吸ってました。
狛犬さんがとても愛嬌があります。
通常、無人で誰もいません。
でも参拝する所にプラスチックの箱が置いてあり書き置きの御朱印があります(300円)御朱印を求めて参拝に来る人には嬉しい心使いですね。
しかも可愛い御朱印なんです。
また小高い所に鎮座しているので仙台市中心部を眺めることが出来ます。
雰囲気のある神社です。
少し長い階段を登ります。
2月に偶然見つけてお参りさせて頂き、引越が控えていたので筒がなく事が進むように祈願させて頂きました。
遅くなってしまいましたがこのお盆にお礼を兼ねてお参りしてきました!・御朱印拝殿のところに準備されていて、300円を賽銭箱へ入れていくスタイルです。
・願い事御朱印と一緒に、願い事を記入する短冊が用意されています。
・駐車場もともと神社用の駐車場なのかどうか定かではないですが広くてとても停めやすいです。
ここを造るために努力した女性の名前は残ってないのですね。
男尊女卑の時代だったからかな。
きっとこの神社に祀られているんでしょう。
道路沿いの駐車帯に車を停め、階段を登った先にお社があります。
御朱印は書き置き対応でした。
眼下に見る景色もよかったです。
そこで野生のカモシカに出会いました。
社務所は無人。
御朱印 書き置きあり.300賽銭箱へのタイプ 駐車場は参道下県道沿い駐車帯利用。
暑い一日、日陰に誘われて車を止めたところにありました。
一服の涼を楽しむことができました。
自然の中から見守っています。
趣のある神社です。
階段を登ります。
階段をのぼった先に、落ち着いた雰囲気の素敵な社がありました。
気持ちいい場所です。
見晴らしも良く、良い景色が見れました。
Wikipediaから全国に3000社以上ある熊野神社のうちおよそ700社が東北地方に存在するが、その東北の熊野信仰の中心的存在にあったのが名取熊野三社である。
仙台湾を熊野灘、名取川を熊野川、高舘丘陵を熊野連山に模し、本宮・新宮・那智の三社が他の地域とは異なりそれぞれ別に勧請されている。
紀伊熊野の三社それぞれを地理的・方角的に同様にセット状態で勧請しているのは非常に珍しく、全国の熊野神社の中でもここだけであるとされる。
三社の創建については、以下のような伝説が伝わっている。
熊野信仰の熱心な信者だった名取老女は、年老いたために紀州熊野への参詣が叶わなくなっていた。
同じころ熊野にある山伏が住んでいた。
山伏が松島へ詣でようと準備をしていたところ、夢枕に熊野権現が現われて、東北に住む老女に伝えるようにと和歌を詠んだ。
「道遠し 程もはるかに隔たれり 思ひおこせよ 我も忘れじ」という歌だったという。
山伏が下向の途中いまの名取のあたりにさしかかると、確かに熊野権現のお告げのとおりの老女が住んでいた。
老女は山伏から和歌を聞くといたく感激し、名取の地に紀伊熊野の分霊を勧請した。
この伝説の通り、保安4年(1123年)に名取老女が紀州より勧請し、熊野新宮社(地図)、熊野本宮社(地図)、熊野那智神社(地図)が成立したというのが一般に信じられている。
ただし、熊野那智神社の元となった羽黒飛龍権現社の創建は養老3年(719年)頃とされる。
やがて奥州藤原氏と密接に関係していくこととなり、特に三代藤原秀衡のとき、名取熊野別当の金剛別当秀綱が強大な武士団を率い更に藤原泰衡の後見人になるなど、軍事的・宗教的に大きな力を持つようになった。
奥州合戦の際も秀綱は平泉方につき、源頼朝の軍に抗戦した。
伝承によると、秀綱は本吉四郎高衡(藤原高衡)や日詰五郎頼衡と共に高舘山の高舘城に籠り、20000の兵をもって頼朝を迎え撃ったという。
最終的に泰衡が死亡した後も秀綱と高衡は生き残り、投降したのちに秀綱は赦され、高舘山に祭神を藤原秀衡とする高舘神社を建立した。
奥州藤原氏滅亡後も名取熊野三社は信仰を集め、多くの宿坊を擁する一大聖地として隆盛を誇った。
特に熊野新宮社が中心を成すようになり、やがて新宮社には本宮社と那智社も合祀され、熊野神社と称するようになった。
鎌倉時代には新宮社の別当寺である新宮寺で一切経編纂事業が起こり、多くの寺社が参加した。
そうして完成した新宮寺一切経は現在でも3000巻以上が伝わっており、これほど多くの一切経が残っているのは平泉の中尊寺経(紺紙金銀字交書一切経)を除くと東日本では他に例が無い。
名前 |
今熊野神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
022-384-7574 |
住所 |
|
関連サイト |
https://www.miyagi-jinjacho.or.jp/jinja-search/detail.php?code=310010299 |
評価 |
3.8 |
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道の駅ではないが公共駐車場?のようなところに入り口がある。
階段が雰囲気ある。
登ると熊野那智神社ほどではないがそこそこ見晴らしよい。