でかい塔ですが、初め観るとこれ何?
立派な鷹?鷲?の像です。
初めて見て違和感がなかったのですがこれ、震災前は石碑の一番上に乗ってたみたいですね。
しょうちゅうし。
ブロンズ彫刻の鳥は元々は塔のてっぺんにありましたが、大地震で落ちてしまいました。
国のために亡くなられた方ってひいては家族や友人、恋人たちを守って散って行ったんやもんな…本当にお疲れさまでした!ゆっくりやすんでください。
とても素敵な場所で天気が晴れると良い場所で仙台市一望出来ますよ(*´▽`*)仙台来た時はどうぞ。
「昭忠碑(しょうちゅうひ)」は、西南戦争(せいなんせんそう)・日清戦争(にっしんせんそう)などに従軍した陸軍第2師団所属の戦没者に対する慰霊顕彰碑(いれいけんしょうひ)として、明治35(1902)年11月に昭忠会(しょうちゅうかい)により仙台城本丸跡の地に建立されました。
元々、塔頂部に据えられていたブロンズ像は「日本書紀」において神武天皇の軍を勝利に導いたとされる金色の鵄(トビ)をモチーフとしていて… この巨大な金鵄像は翼長6.7m 、重量約4トンもあるそうで😱、東京で分割鋳造後、鉄道にて仙台へ輸送され、現地で接合されて設置されたのだそうです❗️青葉城資料展示館の4点ある屋外彫刻資料の1つとして管理されてきましたが、2011年3月11日の東日本大震災で被災、塔頂部にあった金鵄が基壇上に落下し、頭部・左翼などがバラバラに破損し、塔部分に大規模な亀裂などの損傷を被(こうむ)るなど大きな被害を受けました。
平成28(2016)年度被災博物館等再興事業として修復・補修工事、基壇上の基台設置工事などが行われ、金鵄部分(ブロンズ像)が基台(現在の位置)に据え付けられました❗️昭忠碑(しょうちゅうひ)とは全く関係ないと思いますが、伊達政宗公の廟屋(びょうおく)がある「瑞鳳殿(ずいほうでん)」には、「戊辰戦争(ぼしんせんそう) 弔魂碑(ちょうこんひ)」という慰霊碑(いれいひ)があります❗️
この碑(塔)は明治35年、仙台第二師団関係の戦没者を弔慰する為に建立されました。
青銅の鵄が頂上にありましたが、2011年3月11日の東日本大震災にて落下。
平成28年、損壊した像は関係者の尽力により修復され、安全の上の都合で塔の台座付近に再設置されています。
あと塔ですが正式名称は「碑」ですよ。
それと碑と関係ないクチコミしてる人って何なの?
テレビでよく出てくる場所で、感動しました。
伊達政宗像の近くにある慰霊塔。
大きなトビの像がかっこいい。
1874年(明治7年)佐賀の役、1877年(明治10年)西南の役、1894年(明治27年)から1895年(明治28年)の日清戦争などに従軍した陸軍第2師団所属の戦没者に対する慰霊顕彰碑として1902年(明治35年)に建立されました。
鵄の銅像は、日本書紀にて神武天皇の軍を勝利に導いたとされる金鵄をモチーフとしているそうです。
鵄の銅像はもともと慰霊碑の上にあったのですが、2011年の東北地方太平洋沖地震で落下破損し、修復後はと慰霊碑の前に設置されています。
でかい塔ですが、初め観るとこれ何?と思う。
説明とか、も少し一言で言ってどんだけ素晴らしいのか優しく書いててくれると嬉しいんだけど、頭悪くてごめんなさい。
西南戦争、日露戦争等の戦いで多くの戦没者(陸軍第2師団)の慰霊塔。
頂上のとび鳶の像は両翼は6.7m有ります。
鳶は日本の宿敵ロシアの方角を睨みを利かせていました。
しかし、東日本大震災のとき鳶が落下して、大きく破損した為、修復しましたが、塔の上ではなく、安全上、塔の下に設置されました。
大和、大迫力。
当日の動画や戦争資料が狭い部屋に展示して有ります、戦艦好きなら一度は観て欲しいと思います。
若い子のデートスポットと言えば青葉城址ですね。
最近はVRメガネで青葉城が見れるようになったりしてます。
博物館側から参道があり、軽く登る事もできるので結構楽しめます。
夏場は七夕前夜祭の花火を見ることができますよ。
とても荘厳な感じです。
駐車場は無料で止めれます。
素晴らしい物続きの城跡。
なんとも切なそうなお顔の鳶ですが、震災前はこの塔のてっぺんにいたのだそう。
でも、こんな素晴らしいお顔だということ、近くでなかったら気づけなかったかもと思うとなんとも不思議な気持ちです。
こちらの塔から見える政宗公も素敵です。
欧米か、という鷲のモニュメント。
(17/10/12)以前来たときは確か台座の上にのっていたと思ったら、震災で落ちて修復後下に台を作って置くかたちになったそうです。
鷲の像です。
きれいな公園です。
勇猛なこの鷹が夕陽を背景に哀愁を帯びる姿がまた何とも言えぬ情緒を醸し出すのである。
名前 |
昭忠碑 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.9 |
2023年3月19日に訪問。
手前の金鵄(鷲ではない)は本来は碑の上にあったもの。
東日本大震災の際に落ちてしまい、その後修復され碑の前に据えられたそうです。
ガイドさんの説明では、金鵄はロシアをにらんでいる、とのこと。
西南戦争や日清戦争などに従軍した戦没者の慰霊顕彰碑として作られたそうです。