10月第2週の週末にお祭りが有ります皆さん遊びに来...
由緒ある社。
見所が満載です。
素敵な神社一年の中で正月にしか販売していない御守り。
布市神社由緒沿革当社はもと富樫郷住吉神社護国住吉大明神と号した。
寛弘六年、加賀の国の主護職富樫家○○○○○布市に舘を築き邸内社殿を造営して、父祖忠頼吉宗○○尊崇してきた住吉三神のご神像を安置した。
この三柱のご神像は正暦三年富樫次○忠頼○加賀介として永住することが決定した時、一条天皇より下聘せられたご神像であって忠頼は常に身を放さず尊崇し、子吉宗を経て孫家国に伝えられたものであると社記に記されている。
その後百八十九年を経た元暦元年に至り富樫泰家は木曽義伸と行を共にしたが文治元年義伸敗死し泰家は鎌倉に書を送って誠意を披瀝したが本領安堵の命がなかった。
泰家はひたすら住吉大明神に祈願した。
甲斐あって加賀の守護職左衛門尉の地位安泰を命ぜられたので新しく神殿造営工事を起し、文治五年九月十三日に全く落成した。
これが現在の社地であって住吉三神を祀り併せて先祖忠頼の木像を奉斉して護国神社と称した。
その後二百八十八年を経た文明六年十一月二十二日賊魁侵入し富樫の舘を攻めたとき、本社災火にあい、また長享二年六月九日二十四世政親焼死するに及んで富樫家は滅亡し、当社も衰微した。
元和元年前田利常が神社仏閣を調査し寛文九年社料として宮田附せられて明治に至るが明治五年地租改正法により 宮田は官有地となり一万坪の社地もまた現有のものとなった。
然るにその後露の宮、照日八幡社等を合祀しご神徳は衰えることなくいよいよ高揚し脈々と、一千年に及び、古来開運厄除神、交通の守護神、五穀豊饒(五穀豊穣)の神として、広く崇敬されている。
また境内末社としてこの地にて「布水」の漢詩を詠じた菅原道真公を祀る天満宮伏見稲荷より勤進せる稲荷社であり学問、商業、婚儀などを司る。
野々市市の代表的神社です。
旧街道に、布市がたっていた史実が有り由緒ある神社です。
秋には、銀杏が一杯です。
10月第2週の週末にお祭りが有ります🎵皆さん遊びに来て下さい🙇一緒に盛り上がりましょう😅
野々市本町の神社。
応神天皇、天照大神、底筒男命、中筒男命、上筒男命、富樫忠頼を祀っている。
野々市市の中心部の神社です。
境内には、戦国期に野々市で館を構えた木村孝信の墓標とされる、推定約500年の「大公孫樹」や、弁慶が富樫氏の館にて軽々と投げ飛ばしたと伝わる大石「弁慶の力石」があります。
「弁慶の力石」は水不足の際に担いで回ると必ず雨が降ったことから「雨乞石」とも呼ばれています。
また3振の神刀が伝わっています。
令和元年、最初の参拝者になってきました。
掛けてある絵が素敵でした。
その昔、加賀国の守護大名「富樫家国」が建てたとされます。
敷地内には弁慶が投げ飛ばしたとされる「弁慶の力石」や、推定樹齢役500年の「大公孫樹」、ののいちという地名が歌に出ている聖護院道興という僧侶の歌碑があります。
敷居を入った両側に狛犬がありますが、右側は逆立ちしています。
この逆立ちの狛犬は野々市市の神社でよく見られます。
名前 |
布市神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
076-248-1610 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
狛犬の口の中に石の玉が入っている。
外れない。
口の中でで玉を削り出したのかな。