「おっしょべ」の由来を調べてみた!
石畳、落ち葉、赤土などがある道程のため、雨天や降雪時には滑りやすくなります。
粟津岳頂上まで行く場合、トレッキングシューズなど軽登山程度には適した靴がおすすめです。
頂上近くにはやや急な面があり、補助用にロープがはってあります。
頂上には休憩用のベンチが少しありますが、トイレ等はありません。
わりと広い駐車場が併設されているので、公園を散策したのち、温泉街散策の間も車をおいたままにさせてもらいました。おっしょべとは地元の娘子お末の名に由来するそうで、お末ちゃんを意味するお末べが訛ったものだそうだ。その昔、お末は家の向いに住む愛しい竹松に会いたい一心で木をよじ登り軒伝いに部屋まで行こうとして落ちてしまい、この出来事によりお末の気持ちを知った竹松がお末を娶ったという話にちなんで名付けられたという。
駐車場が分かりにくい。
奥の施設栗津町施設の脇の駐車場です。
案内図の公園の左側の駐車場は停めるところほとんどなし。
温泉街から少し離れた場所に広がる癒しの里として気軽に出かけられる旧養老公園恋人の聖地にも認定されており、幸せの鐘も設置されている興味なしまた敷地内には川が流れており、地元の子供楽しく遊んでいる滝もある公園である。
公園入口もそこそこ整備されており、そこから若干急ではあるが整備された道を登るのであるが両脇にはびっくりする程数々の石仏が祀られている。
15分くらいで大きな銅像がある見晴らしの良い休憩所がある所に出る見応えのある散歩が出来る。
他ではなかなか見れない光景でした。
おっしょべ祭りを観に行きました。
心地よい唄に合わせて、たくさんの人達の踊りの和に酔いしれました。
昭和の時には「遊園地」と近所の人に呼ばれもっと多くの遊具があり子供達の格好の遊び場だった。
昔は隣接している池で釣りをしたり流れている小川でオイカワやサワガニを捕まえたりしたものです。
今はその頃の面影があまりなく、少し寂しく感じてしまったので星3つです。
水景のある公園、おしょべ滝など見どころは多い。
「おっしょべ」の由来を調べてみた!おっしょべ恋物語むかしむかし、今から四百年ばかり前のことです。
粟津温泉の宿屋に「お末」と申す下女が奉公しておりました。
年の頃は十六、七。
瞳は黒く、頬はリンゴのように赤い愛くるしい顔立ちでありました。
ある日のこと、お末は、向かいの宿屋に奉公している下男の竹松を見初めました。
竹松は浅黒くりりしい面構え、いつも黙々と働いています。
ある雨の降る宵、お末は切ない想いを胸に抱いて窓にもたれていると、竹松の横顔が夜空にぼうと浮かぶのです。
彼女はたまらなくなって下へおりてゆきました。
竹松のいる宿屋の玄関脇に大きな松の木があります。
お末はその松の木によじ登り、竹松の部屋をめざして屋根の上を猫のようにはってゆきました。
ところが木羽板を踏み外し、あっという間に軒下の草むらへ滑り落ちました。
物音に驚いた人びとが集まってきてぼんぼりで照らしてみると、お末が倒れているのです。
翌日、お末の冒険が粟津の湯の町中に広がりました。
ことの次第を悟った竹松は、お末をカゴにのせて二里ほど離れた生まれ故郷まで連れてゆきました。
あくる年、めでたく結婚した二人は奉公していた宿の人びとに挨拶にまわり、那谷寺の観音様へお参りしました。
金沢市民謡協会引用:「べ」は、若い娘の名に「べ」を付けて呼ぶのは、加南地方の古いなまりで、一種の愛称ともいえる。
「お末」が「おすえべ」になり、「おっしょべ」になったと言われている。
太鼓と笛に導かれる曲で明るく楽しい快テンポのものである。
毎年、8月26日から3日間、温泉街は、繰り広げられる「おっしょべ祭り」で賑やかに歌い踊られる。
【おっしょべ節(小松市粟津温泉)】1 おっしょべナー 小さいときゃ 負われたり 抱かれたり ややの乳まで 飲んだそうな (ソレややの乳まで 飲んだそうな)(以下繰り返しはやしことば略) 2 おっしょべナー 十七 湯宿の窓にもたれ だれに粟津のもの思い 3 おっしょべナー 恥ずし 竹松さんに焦がれ 募る思いの 文を書く4 おっしょべナー 胸の火 消される春の夜は のぼりつめます 松の木も5 おっしょべナー 願いがかのうて 二人で那谷の観音 礼参り6 粟津ナー 粟津名物 おっしょべ節 ひと踊り あと出湯にひとまかせ。
おっしょべ公園もそばにあるし、一息つくにはいい場所です!
粟津商店街の駐車場としても利用されています。
途中まですごく狭い道で、商店街からも少し距離はあります。
商店街までの道にはレトロ看板とかもあり、少しだけ風情を作ってあります。
粟津温泉にあります。
今はこの公園で遊んいる人はほとんどおらず。
名前 |
粟津おっしょべ公園 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.4 |
粟津温泉の外れにあります。
公園というより広場でした。