何か秘密が隠されていそう…。
神の居る場所ここに行き着くのに難儀わかりにくいね。
同地区の日吉神社に参拝した際、由緒書きに「合祀 寛文四年十二月 朝鳥大神 朝鳥明神」と記されているのを先に見ていたので、こちらは神社なのか神社跡地として管理されている場所なのかこの目で確かめようと思いながら参詣しました。
で、答えは跡地ではなく山が御神体の(社殿が無い)神域でした。
後でネットで知ったのですが、寛文年間(1665)に大雨により朝鳥谷が氾濫、その時に朝鳥明神の境内も流され、朝鳥明神は同じ上野地区に鎮座する日吉神社に合祀されたのだとか。
合祀も分祀も人間が行うこと。
朝鳥明神はかつて合祀という形で日吉神社に形式的に避難(間借り)したものの、実は頑として動かずこの地にずっと鎮座していたということなのかもしれません。
一の鳥居が〆鳥居だったり、神山が禁足地だったり、特殊な神事が行われていたり、磐境の存在やこの地が条里制の基準点となっていた可能性など色々興味深いです。
歩ける範囲はわずかですが異空間を体感できました。
何か秘密が隠されていそう…。
神山は、禁足地。
そしてしめ縄のある磐座。
ロマンがある♪
名前 |
朝鳥明神 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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評価 |
3.6 |
小島山(標高八六三メートル)と室山(標高三七四メートル)の間には朝鳥谷(浅鳥谷)が形成されており、谷から流れる沢は揖斐川へ接続している。
この朝鳥谷の入口に朝鳥明神が鎮座しているが、類を見ない祭祀形態を持つ神社である(一九六七年、朝鳥明神址として揖斐川町指定史跡になっている)。
一の鳥居は、二本の木柱に竹を渡した〆鳥居と呼ばれるものを建てており、奥にある二の鳥居は素木で組んだ神明鳥居である。
二の鳥居の背後に、「案」と呼ばれる供物などを捧げるための台があり、木造と石造の二つが置かれている。
石造の案の上には、鏡と四手を収納するための小祠が置かれている。