岐阜城側からだと長良橋から15分程歩きます。
アクセスはあまり良くなく、車が無い場合駅からのバスしか無く、岐阜城側からだと長良橋から15分程歩きます。
織田信長公父子廟があり、高さ139cm.巾39cm.厚さ30cmの石碑だそうです。
1月1.2日.5月7日.8月1.5日大晦日、行事開催日は拝観出来ないみたいなので注意が必要です。
お寺の門の前に駐車場があります。
参道、お庭はスゴく綺麗に手入れされてまして、参拝客がほとんどいないので、ゆっくり見られました。
本堂に入って拝観料払うと、録音の説明が始まってそれに従って進んで行きます。
本堂内の展示物は撮影大丈夫でした。
一番気になっていた血天井は、400年以上経った今でもはっきり残っていて、驚きました。
門前に駐車場あり。
稲葉一鉄の梵鐘を見つつ本堂へ。
拝観料を払うと解説の音声が流れてくる。
本堂内のあちこちに写真撮影はご自由にと書いてある。
実に気前が良い。
関ヶ原合戦の時の血染めの天井、信長直筆の雪月花の掛軸が特に目を引いた。
本堂裏手に回ると信長、信忠親子の墓石あり。
信長側室が建てたという。
その隣には少々朽ちているが装飾を凝らした位牌堂。
さらに奥には美濃国守護代の斎藤家の墓。
見所の多い寺だった。
こちらは是非行って頂きたいところです。
岐阜城、小牧山城、清洲城など、信長公縁の城が復元、博物館巡りになってしまう中で、岐阜城落城時の血天井、お鍋の方の書、位牌など…当時の物が多数保管されているお寺です。
住職が丁寧に対応してくださいます。
御朱印も手書きです。
御朱印帳ではなく半紙に押したお寺のスタンプもそっと添えてくれていました!貴重な資料が多いのに規制が少ないお寺で、しっかりと見入ることが出来ます。
説明はテープに録音されたものが流されるので、まずしっかりと聞いてじっくり見るのはテープが終わってからの方が取りこぼしなく良いと思います。
このまま丁寧な保存管理を願います。
駐車場は正面にあります。
織田信長の墓地があるお寺です。
整備されており綺麗です、歴史的な絵画もあり落ち着いた雰囲気があるます。
特に御庭は見ていて損はないと感じました。
無料駐車場あり。
鵜飼ミュージアムから車で8分くらい。
見学料200円。
達筆御朱印あり。
書き置きもありましたが、書いていただけてよかったです。
織田信長の菩提寺で信長にかかわる位牌、お墓、書などかあり、200円でいいのかなと思うくらいです。
そんなに広くないですが、血天井、綺麗なお庭もあり見所満載です。
雪月花 の書は達筆で素敵でした。
信長さまの教訓、へらすてて、、という言葉は響くものがありました。
たまたま入口の灯籠のところに蜂が集まっており、ちょっと怖かった。
自然のお庭なので蜂には注意してください。
こじんまりとした寺ですが、思いのほか由緒正しい寺です。
美濃西国三十三霊場14番目ですとても大きく立派なお寺でした。
岐阜城の北、長良川を渡ったすぐのところにあります。
駐車場も整備してあり、庭もとても綺麗で、穴場です。
本堂の中には、織田信長の真筆や関ケ原の戦いの前哨戦の岐阜城の攻防戦で、織田秀信の家臣たちが自決した場所の廊下が天井に使われている「血天井」があります。
歴史を偲ぶ貴重なものがあり、しかも写真撮影可なのがうれしい場所です。
また本堂の裏には、織田信長、信忠親子の位牌が祭られています。
信長の位牌は数々ありますが、この位牌は秀吉が京都大徳寺で行った葬儀の際に用いられたものだそうです。
その他にも見どころがたくさんある素晴らしいお寺です。
拝観料200円はとても安いと思います。
こちらの口コミを読んできました。
暑い日でしたが、行って良かったです。
織田信長公の本物の書には感動しました。
美しい字体でした!岐阜城内では複製ばかりだったので。
本物が見たかった。
それと、関ケ原の戦いの地図が、日記のように書かれてることに驚きました。
お宝ばかりでした。
インターホンを押して、お寺に入ると、説明のテープを流してくれます。
次々と説明が始まります。
20200517訪問&撮影非常にきれいに整備されており心地よいです。
駐車場もわかりやすい所にありアクセスはとても良い。
拝観も丁寧に応対してもらえます。
行ってよかったです。
令和元年12月に拝観しました。
岐阜駅よりバスで行きました。
崇福寺は臨済宗妙心寺派のお寺だそうです。
本堂の血天井は織田秀信の守る岐阜城が落城した際の戦死した将兵の霊を弔うために城の床板を天井に張った物だそうです。
本堂裏手には織田信長・信忠廟所と位牌堂があり、12月の初めでしたが紅葉できれいでした。
御朱印は2種書いていただきました。
織田信長の菩提寺と斎藤家ゆかりのお寺でした!
一部の例外を除き、撮影OK。
興味深い展示がたくさんあります。
崇福寺は織田信長の菩提寺です。
織田信長公父子廟があり、墓の高さ139センチ幅39センチの位牌形の石碑で縦に両分して父子の法名が左右に並んで彫られています。
寺中に有料ではいり、寺の裏に回った奥側にあります。
寺の中の天井板は、岐阜城🏯の敷板が貼られていて、信長の孫三法師秀信が1600年関ヶ原合戦の前夜「1ヶ月程前」西軍に属し東軍の攻撃を受け岐阜城🏯が落城した際、戦死した将兵38名の霊を弔うため床板を天井にはった、「血天井」といわれています。
岐阜公園から長良川を渡り、バスで10分🚌長良川国際会議場北でおります。
歩いても20分ぐらいでいけます。
岐阜公園から長良橋をわたり、長良丘1を左折します。
長良橋の下は鵜飼いの船乗り場があります。
近くには、長良川の花火🎆🎇大会の打上げ場所があります。
織田信長公のお墓がある、お寺さんです。
拝観料200円でお寺の中にある宝の山を拝見出来ます。
200円で良いのかな?と思ってしまいます。
貴重な資料もたくさんあり、思わず息を呑みました。
拝観中は撮影OK、私もスマホでかなり撮りましたが、実際に行ってみたほうが良いと思うのでUPはしません。
そして、織田信長公とその子のお墓。
手を合わせずにはいられない空間です。
お墓の手前は、綺麗に整備された小さい日本庭園があり、少し腰掛けてゆっくりと眺めさせていただきました。
織田の家紋だらけで、ゆったりしながらも気分が上がる場所です。
お寺の駐車場も信号の角にあり、分かりやすいです。
(普通車12台)御朱印は書き置きですが、3種類全部、日付けを入れて、いただくことが出来ます。
織田信長父子を祀られている有名なお寺ですが、入り口は余り広く無くて、うっかりすると通り過ぎそうですが、中に進むにつれて随分おく深くだんだん 身が引き締まって来ます。
是非一度は御参拝を。
境内には、前庭 中庭 奥の庭と手入れの行き届いた趣の異なる広い庭があります。
信長の華麗なる雪月花の書や天皇の手紙等岐阜の歴史を物語る著名人の品々が、多数あります 岐阜城落城時の血染めの板が通路天井に使われています たくさんの血痕が模様のように見えるほどはっきりと残っています 信長の位牌をまつっている廟は日光東照宮の建物を思い起こさせるほど豪華で、信長公を慕う人々の気持ちが伝わります 見所のある素晴らしい寺です。
綺麗な境内を奥へ進み、拝観料を払い本堂へ。
御朱印いただけます。
信長公ゆかりの品々の展示や、岐阜城落城の際の血痕の残る床板など、御朱印を待っている間には見終わらないボリュームです。
本堂横から奥へ進むと信長・信忠公の廟所があり、秋の紅葉で彩られていました。
戦国武将好きな方は是非 🤣👍色々 貴重な物が見れます。
信長さまゆかりのお寺です。
人が少ない為ゆっくり拝観できます。
信長さま愛用の櫓時計もあります。
説明はテープが流れています。
血天井も歴史を感じます。
信長さまの肖像はよく見る一般的なイメージとちょっと違うような感じがしますが何歳の頃の肖像画でしょうか?またお参りに行きたいと思います。
崇福寺『そうふくじ』と読みます。
織田家菩提所・徳川家朱印地・有栖川宮家祈願所拝観を終えてから中庭へ。
そして、本堂の脇を抜けて裏庭へ。
その裏庭には織田信長・信忠父子の廟所があります。
信長・信忠父子の墓石は位牌の形をした石碑で、父子の法名が並べて刻んであります。
墓地の隣には位牌堂があり、信長・信忠父子の位牌が安置されています。
大きな寺院ではありませんが、とても静かな美しい寺院です。
岐阜駅からバスで、来ました。
バス停からは、直ぐ。
織田信長の菩提寺で、見所が結構あります。
拝観料は200円です。
説明テープ流れます。
御朱印あります。
3種類あります。
岐阜市長良の超オススメ観光スポットです!血天井を観れば、歴史がわかる!
由緒ある寺。
紅葉も綺麗でした。
信長公に関するものが色々とあり、興味深い。
御朱印は書置でした。
紅葉も綺麗です。
お庭が綺麗に手入れされていて美しいです。
拝観料200円とお安いのもうれしい。
岐阜に旅行することがあったら行くべきでしょう。
非常に価値のある場所です。
岐阜に来たら是非、訪問すべき場所です。
庭園もきれいです。
金華山から徒歩はやや遠いです。
名前 |
崇福寺 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
058-231-2613 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 9:00~16:30 |
関連サイト | |
評価 |
4.2 |
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真田戦記崇福寺岐阜県岐阜市長良福光2403−11567年織田信長は斎藤龍興を亡ぼし美濃に移ると崇福寺を菩提所とし、保護しました。
本能寺の変で信長と信忠が明智光秀に討たれると信長の側室お鍋の方がその遺品を送り寺内に埋め位牌を安置させました。
これが織田信長父子廟です。
1600年岐阜城が廃城後、崇福寺は岐阜城天守の床板を譲り受け、血天井として張っています。
また快川紹喜が住職を努めたこともある由緒ある寺です。