境川沿い、名前の由来がなんだろって気になって立ち寄...
境川沿い、名前の由来がなんだろって気になって立ち寄った。
ヤマトタケルがこの地で食事と水を貰い「味佳あじか」味が良いと言ったことに由来。
ヤマトタケルが好きだと言ったからアジカ記念日。
気持ちのいい神社でした。
「阿」って文字なんかお寺っぽいよね。
でもれっきとした神社で祭神は日本武尊。
日本武尊が御祭神由緒、歴史あり。
足近を始めとした近隣地区の総社。
立派な境内でした。
社号の「阿遲加」は「あぢか」と読む。
鎮座地の足近と同じ。
足近は、かっては足近郷と呼ばれた地域で、海馬(あしか)とも書かれる場合があったようだ。
通称は八剣様。
社伝によると、ヤマトタケル東征の折、伊吹山の荒神退治へ行かれる時に、当地の霊泉にて休憩。
土地の者が御食事を差し上げたので命は大変満足したという。
ヤマトタケルを祭る神社です。
東征に区切りをつけた日本武尊が、大和へ帰る途中に向かった先。
そこに霊泉が涌いていたのだとか。
その霊泉の場所に神社があります。
川沿いの小さな神社です。
お宮前横に駐車スペースがありました。
内部機関(原文)式内社。
名前 |
阿遅加神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
3.9 |
周辺のオススメ

勧請年紀不詳。
葉栗郡西門間荘足近郷直道村に鎮座。
旧号八剣宮。
古来足近郷十ヶ村の惣社なり。
十ヶ村は直道村、川口村、島村、南川村、市場村、小荒井村、南宿、村北宿村、坂井村、東小熊村を云ふ。
古へ尾張國葉栗郡の内なり。
延喜式神名帳に曰く、尾張國葉栗郡(十二座の内)阿遅加神社。
尾張國神名帳は葉栗郡(十二座の内)従三位阿遅加天神(一本作正四位下)は当社なり。
尾張國神名帳集説に曰く、従三位阿遅加天神一本作足近按日本紀に曰く、応神天皇二十年倭漢直祖阿知便主来皈云。
万葉集曰く味?綾云々阿知織欣秘曰く、旧日本事記曰く、宇麻志麻能命十五世物部阿遅古建公云々。
加與古昔通蓋祭此連公。
尾張志曰く、足近今は美濃國足近荘直道村は八剣社是なり。
又濃陽志略に曰く、葉栗郡直道村八剣宮伝云為足近十郷惣社云々。
新撰美濃志曰く、直道村云々。
郡村記には、足近荘とす。
足近は十郷ありてここを本所とす。
境川は村の西北にあり。
昔は足近川と云ひしにや。
東鑑に文治九年十月二十五日云々可令田足近洲俣渡云々。
俣嘉禎四年二月九日西去夜風雨洲俣足近両河浮橋流損云々。
里伝曰く、当社八剣神を祭れる由、其の所以は往昔日本武尊東夷征討ふる時皈途尾張國尾張氏の女宮簀媛所に逗留し給ひし所、近江國伊吹山に荒神ありと聞き給ひて此処を出にして息吹山へ行き給ふ時、海東海西中島の三國を経て葉栗郡に入り給ふ。
即ち現今の社地栄井に霊泉あり。
依て暫の憩給ふ時に御饌を奉りしに、其した愛で給ひて味佳と記し給ひてあり。
即ち阿遅加の地名は起こるなり。
斯くて後伊勢國能褒野にて薨じ給ふ。
御子若武彦王は深く是を悲悼し給ひ父命の憩給ひし此処に宮造りて其の跡を残し給ふ。
即今の阿遅加神社の地是なり。