1400年間盗掘されることなくほぼ完全な形で石室が...
古代史の中でもミステリー満載と言われる古墳にやって来ました。
綺麗に整備がされていて、石室の中の様子も鉄扉のガラス窓越しに見ることができます。
またすぐ近くには、無料で入館できる斑鳩文化財センター(駐車場あり)があり、映像や展示物を見ながらより深く歴史を学ぶことができました。
2024年8月15日に見学しました。
解説板によると、6世紀後半に造られた円墳とありました。
直径50m、大型横穴式石室は、玄室まで14mあるそうです。
岩をくり抜いて造った刳り抜き式家形石棺は、朱色で塗られてありました。
二人の男性が、合葬されていたようです。
未盗掘の古墳だったため、副葬品の金銅製靴、大刀、金銅製帯、管玉、ガラス玉等が、多数発見されました。
中でも金銅製馬具は、国宝に指定されています。
羨道入口のスイッチで、玄室内がライトアップされるようになっています。
望遠レンズで見ると、石棺も良く見えました。
綺麗に整備されてます。
近くの斑鳩文化財センターでの見学内容も含めると、★5となります。
埋葬者が誰であったかということは、多説ありますが、歴史の浪漫を感じれる古墳です。
江戸時代まで寺や集落の管理下で墓守も置かれていたからか、幸運にも盗掘を免れ、素晴らしい副葬品が現代まで残り国宝となった。
現況を見るとさして大きな古墳ではないが、きれいに整備され玄室を覗くこともできる。
可愛い古墳。
そしてなかなか凄い古墳。
同じ石棺に埋葬者が2人いたり、副葬品が豪華だったり…近くに斑鳩文化財センターがあって、そこでこの古墳の副葬品のレプリカなどが見れます。
ガイドの方に聞いたのですが、今もこの石棺には埋葬者の骨が入ってるそうです。
(埋葬用と研究用で分骨してる。
語彙力無くてすみません(笑))ちょうど、この日は応募制の特別公開の日でした。
応募した方は羨道を通って?石棺を間近で見れます!私たちは外からチラッとみせてもらったのですが、近くで見たかった〜(u003eu003c)次回は是非応募します!
6世紀末期の直径50mの円墳。
調査当時は未盗掘の家形石棺が発見され大注目を浴びた。
かつては「ミササキ(=陵)」「陵山」と呼ばれていたこと、また副葬品の豪華さから天皇家に連なる被葬者ではないかと、一大論議となった。
その後、被葬者が2名いることが判明し、「穴穂部皇子と宅部皇子」「穴穂部皇子と崇峻天皇」説などが出ている。
この場所はもともと宝積寺があった場所であり、未盗掘で残された一因ではないかと推測される。
藤ノ木古墳記念日にちょうど行くことができました。
小さな公園になっていますが、歴史的意義はかなり重いです。
発掘調査時には畑や田んぼに囲まれた遺跡だったのが、今や新興住宅地に囲まれる形になった遺跡😯保存状態が良かった事もありますが、現在も良い状況で保全されています。
地元の方が丁寧に手入れし管理されているのが伺えますね、頭が下がります。
駐車場が少し南に離れた、斑鳩文化財センターに有るようですが気付きませんでした🙄とてもキレイに整備された遺跡なのですが、強いて言えば日蔭になるような、屋根付きの東屋ひとつ作ってもらえませんかね🤔古墳周辺に木々がないので直射日光だけが難敵です🥵
昔の乱雑な感じのほうが風情がありました。
今はモダンな観光スポットに成り下がりました。
秋桜のシーズンが綺麗な藤ノ木古墳、ベンチもあって綺麗に整備されているのでぜひ散策コースに。
落ち着いた場所に位置しており、ゆっくりするには良いかとおもいます。
行ってみると、掲示板にこの古墳についての説明が丁寧に掲示されている。
ドアから中を覗く事ができる。
法隆寺から歩いて数分。
是非立ち寄ってみて!
聖徳太子が斑鳩宮を建てる少し前に作られた古墳壮年と青年の二人のご遺体が安置されていますミステリー作家さんならどんな物語を⁇
法隆寺から 歩いて行けます。
私は、法隆寺iセンターで 斑鳩里めぐりマップを貰って トコトコ歩いて行きました‼️途中に 文化財センターも あったのですが 今日は 休館日でした。
在原業平も歩いた道を 通って 右に曲がると 住宅街に こんもりとした 丘。
ちゃんと 説明看板もあります中の様子を 見られるようになっていますよ🎵(^o^)こんなとこに 古墳って 凄いなぁ‼️
ふじのきこふん概略:法隆寺の西350mの場所に位置する6世紀後半の円墳であり、1400年間盗掘されることなくほぼ完全な形で石室が開けられた学術的に極めて価値がある遺跡。
感想:ドアが取り付けられており石室まで中が見える構造の為に、通常の古墳と違い見る価値が高い。
また周囲も歩く事が出来るなど、古墳を身近に感じる事が出来る。
近隣の斑鳩文化センターに出土品のレプリカと発掘調査の概要ビデオ上映が有るので必ずセットで見ることを強くすすめる(2020/8/10現在無料)
奈良でメジャー(?)な古墳は結構な数を見て来たのだが、有名な藤ノ木古墳には一度も訪れたことがなかった。
今回中学の修学旅行以来、四十数年振りに法隆寺をお参りした機会に足を延ばした。
正直に白状すると、昔から神社仏閣の建物や、仏像、工芸品などを見学、拝観しても「わぁ~すごいなぁ~」程度の感想しか無く、その由来や細部に興味も沸かず、熱心に調べることもしないので淡々と眺めて帰ることが多いのだが、古墳の見学は血沸き肉が躍るというか、謎の四世紀、古墳時代の見えない歴史を想像や妄想で補っては勝手に興奮しているタイプ。
こんな当方の情熱を家族は一向に理解してくれず、「古墳に行くんだったら一人でどうぞ」と数年前は学芸員さんの解説付き「見学会」に申し込み葉書をせっせと出す一方で、お一人様でもレンタサイクルや自家用車で古墳を回っていた。
未整備の古墳はなかなかわかりにくく、しかも大抵は足元が悪いので一人だと結構危ない事も多いのだ。
藤ノ木古墳は発見時に未盗掘であった極めて貴重な古墳で、副葬品からも高貴な身分と思われる被葬者が男性2人だったというのも、いろいろな想像を掻き立てる古墳。
住宅地のなか綺麗に整備された古墳だが、残念なことに石室の内部は見えない。
どなたかも書かれているとおり、照明が壊れていて扉のガラス越しに石室を覗いてもよく見えないのだ。
(目が慣れたら少しは見えるが)副葬品のレプリカを近くの斑鳩文化財センターで見られるらしいが、予定が詰まっていたため今回は断念。
本物は橿原考古学研究所付属博物館に展示されており以前に何度か見に行ったが、今は改修工事で閉館中である。
結露していて内部が見えなかったのが残念。
綺麗に手入れされいましたしかし、古墳内部は通常、センサー消灯で綺麗に見えるはずでしたが現地で告知されていた通り、残念ながら灯りの不具合で見えにくかったですでも、夕日タイミングと重なったので、ほんわかできました駐車場はない。
路駐とかしてわサクッと見学して、さっさと去りましょう。
Wikipediaによると前園実知雄(奈良芸術短期大学教授)や白石太一郎(奈良大学教授)は、2人の被葬者が『日本書紀』が記す587年6月の暗殺時期と一致することなどから、聖徳太子の叔父で蘇我馬子に暗殺された穴穂部皇子と、宣化天皇の皇子ともされる宅部皇子の可能性が高いと論じている。
一方、井沢元彦や高田良信(法隆寺長老)は副葬品や埋葬の様子から「元々穴穂部皇子の陵墓であった所に同母弟でこれもまた蘇我馬子が東漢駒に暗殺させた第32代崇峻天皇が合葬された」との説を主張した。
とある。
駐車場もあり、説明看板もあるので気軽に行けるのが良いです。
1985年に行われた発掘調査がブームを起こした古墳です。
出土品の多くは国宝指定を受けています。
現地では見れません。
窓越しに、石棺を観ることができます。
春と秋には中まで入れる期間があります。
普段は石室入口にかかる扉のガラス越しに内部を覗き見ることができる。
秋の特別公開(10月末の週末の土日)にいったので、玄室入口付近まで立ち入ることができました。
8名一組で玄室に入り研究員の方の説明を聞きます。
雨模様だったので待ち時間はほぼなし。
写真撮影禁止だったのだけが残念です。
駐車場はないのと周辺住民への配慮からかなり広範囲に駐車禁止の表示がされていました。
法隆寺の拝観用駐車場(1日500円)に停めて歩きました。
古墳周辺は公園風に整備されておりコスモスの花が綺麗でした。
静かな公園です。
とてもだい発見がされた場所だとは思えません。
法隆寺のすぐそばですが、ここは忘れ去られたように静かです。
秋には隣の田畑でコスモスがきれいに咲いています。
直径約48mの円墳、築造時期は6世紀後半と推定。
未盗掘の横穴式石室に成人男性2人が合葬されていたが埋葬者は不明。
副葬品については、古墳時代後期の工芸技術の粋を集めたものとして高く評価され一括して国宝に指定されている。
なお、見学者用に石室をガラス窓越しに見学することができる。
(時期により一定期間石室内部を公開している時期もある)
古墳を取り囲む形でベンチが10台位、設置されていました。
古墳を眺めながら千四百年程前に思いを馳せるには、古墳とベンチだけで十分かも知れません。
きれいに整備されてます。
入り口に近づくとほんのり光が灯り朱色の石棺が確認出来ます。
近くに資料館がありますから、そちらに来館すると良いと思います。
世紀の大発見と称された 藤ノ木古墳は 6世紀後半に築造された 直径50m程の円墳で 1985年の調査において 石棺内の副葬品や 石室内から埋葬品などが見つかり 発見当時は TVや新聞等で 大ニュースになり 連日報道があった程でした日本には多くの古墳がありますが その殆どが盗掘にあい 埋葬品の発見は非常に乏しいのですが 藤ノ木古墳は 奇跡的に築造された当時のままの状態で発見され 石棺の蓋も 1400年の歴史を経て 初めて開けられ 数々の埋葬品や副葬品が見つかり 調査に携わった方々を初め 歴史研究家や多くの人達が アッと驚きましたそして それら多くの埋葬品が国宝に指定され 藤ノ木古墳は 国の史跡になっています現在は 石室入口に鉄扉が設けられ 中に入ることは出来ませんが 扉の一部にはアクリル板を通し 石室内中央にある 本物の石棺が 薄暗い照明にうっすらと照らされ 1400年前のロマンを伺い知る事が出来ますまた徒歩3分程の所には 斑鳩文化財センターがあり 埋葬品や副葬品の数々が 3Dプリンターで精巧に再現されたレプリカや 石棺を開けた時の状態を示す実寸大の模型表示物等もあり 見学する事で ヨリ理解を深める事が出来ましたさらに レプリカでは物足りない ヤハリ本物だとおっしゃる方は 橿原市にある『橿原考古学研究所附属博物館』に行き大人¥400円を支払えば 多くの国宝埋葬品を楽しむ事が出来ます 興味の有る方は❗
誰のお墓は定かではないけど、キレイに整備された古墳でスコーンと抜けた空が気持ちいいです。
法隆寺を訪問するたびに必ずセットで立ち寄っているのがこの藤ノ木古墳。
今でこそ公園として立派に整備されていますが、最初に訪れたのは1992年頃のことで、当時は田畑の脇にこんもりと盛り上がっただけのただの小山でした。
塚の全体に雑草が生い茂り、おまけに何本もの柿の木が生えて赤い実をつけている有様で、完全に周囲のひなびた風景に溶け込み、古墳であるなどとは容易に識別できないものでした。
申し訳程度に柵が設けられ、粗末なトタン板で羨道の入口がふさがれただけの小さい丘。
しかし「こんな風景の中で1400年以上もこの場所に存在してきたのか!」と思うと感慨もひとしおだったことを今でも思い出します。
現在では土も盛り直され、羨道・玄室も整備されて立派な古墳の姿になっていますが、自然の風化に任せたままであった以前の藤ノ木古墳の方が「歴史の重み」を感じさせるには十分なものがあったなあ…と、ついつい思ってしまいます。
名前 |
藤ノ木古墳 |
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ジャンル |
|
電話番号 |
0745-74-1001 |
住所 |
〒636-0114 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺西2丁目1−1795番地 |
関連サイト | |
評価 |
3.9 |
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覗き窓から石室を見ることができます。
徒歩数分のところにある斑鳩文化財センターに出土品の詳しい説明があるので、合わせて訪問するのがおすすめです。