西院伽藍の南方、境内入口に建つ。
日本最古の五重の塔は国宝…当然南大門も国宝?こんな有り難い法隆寺が無料で!ガイドさんの説明が無くてもスマホで調べながら散策も良し。
春夏秋冬 朝昼晩 刀で削った開かずの門柱の謎も!石畳を抜けた 夢殿との間の東大門も素敵ですよ。
自転車やバイクで法隆寺に行った時には、人が少ないうちにここで記念撮影してます南大門と左右に延びる塀そして空模様と素敵な組み合わせです。
法隆寺といえばまずここ!!だが同じ敷地内のすぐそこにお店はまだしも普通に一般民家が並んでて案外情緒はない。
写真ではそういう一般民家はカットしているので情緒があるように思えるのだろう。
JR法隆寺駅からタクシーで向かいました。
片道10分程度。
法隆寺に入る前の大きな門です。
門に向かう前の林道を歩かれるのもオススメです!
ほうりゅうじ なんだいもん概略:法隆寺 南大門は1438年に再建された門です。
仁王像は南大門では無く中門にあります。
感想:法隆寺の入口ですが何の変哲もない門に思えてしまいますがこれが国宝。
築地塀が翼を広げた様に見事な姿である事は確かですが。
文化庁さん少し評価が甘い気がするのは他の文化財とのセットだからなのかもしれません。
(国宝だと損壊時に85%は国の費用になるそうです)
法隆寺の南大門の石段の前に鯛の形をした大きな石がある。
法隆寺の七不思議の一つで大和川が氾濫して大洪水になってもこの鯛石で止まるとか、踏むと雨が降るとかいう伝説があるのだとか・・・以前に修学旅行の学童が鯛石の上でおじきをしたのにはビックリ。
後ろで先生たちは大笑いだった。
晴れてくれるのを願ったのだろう。
グーグルアースで調べてみたら鯛石付近で標高55メートルで大和川付近が40メートル位。
平野部で15メートル差があれば相当な大洪水にならない限りは、丘陵地のこの付近は大丈夫なのだろう。
まさに安全な場所にお寺を建てた聖徳太子は偉い。
2019.12.14訪問 土曜日の午後より訪れましたが意外にも人はまばらでした。
法隆寺の玄関に当たる総門です。
永享7年(1435)に焼失、永享10年(1445)に現在の位置に再建されました。
室町時代国宝。
【国宝】指定名称は「法隆寺南大門」西院伽藍の南方、境内入口に建つ入母屋造の一重門で、法隆寺の玄関にあたる総門です。
建築当初は切妻屋根だったそうです。
創建時のものは、永享7年(1435)に焼失し、室町時代の永享10年(1438)に当時の西大門を移築し再建されました。
飛鳥時代の建築物を多くの残す法隆寺では珍しい室町時代、1438年(永享10年)建造です。
現在の南大門は別の門を移築改造したもので、もともとの南大門は現在の門の50mほど奧にあったと言われます。
室町時代の再建ですが、国宝の指定を受けています。
正面の広さはおよそ3間。
側面は2間で、前後に4本ずつ、計8本の柱が立っています。
構造は、上部が切り妻造り、下部が四方吹き下ろしとなる入母屋造り、本瓦葺きの屋根です。
門の左右には、大垣と呼ばれる築地塀が鳥の羽を広げたようにのびています。
最初は平安時代に造られ、江戸時代に再建されたものといわれます。
明治の廃仏毀釈の時期、時の政府はこの築地塀の取り壊しを真剣に検討していたといいます。
平安時代以前は、もっと中門に近い位置に建てられていたそうですが、子院の増加などで照らして域が広げられ現在の位置になったそうです。
現在の門は、永享10年(1438)に再建されたものだそうです。
国宝の南大門は法隆寺境内の入口の総門です 門は室町時代に創建され1435年に焼失し 現在の門は1438年に再建されたモノとの事です大きくて美しくシンプルな姿の門をくぐると 斑鳩の 歴史ロマンの旅が始まります金堂に五重塔 夢殿 大宝蔵殿の展示物や正岡子規の歌碑など 国宝だらけの お宝テンコモリです❗
名前 |
法隆寺南大門 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0745-75-2555 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.3 |
法隆寺は、広く、国宝たくさん、癒やされた~