平泉に来たので、立ち寄りました。
弁慶と義経に注目される方が、多い様ですが…私は、建築物として素晴らしいと感じます。
総ケヤキ材で作らており、斗組(三手先)の複雑さ、鎌倉彫の彫刻などなど…細部まで見て下さい!!建築当時の弁慶殿(当時の人の思い)を偲んだ思いがとっても伝わる素晴らしい建築で有ると感じます。
中尊寺の中でも指折の建築物だと思います。
中尊寺へ山道を登って行くと弁慶堂の案内板が寄り道するもゼイゼイ、売店の方がそんなに急がない方が、中尊寺までまだ少しあるそれから衣川の戦いの説明弁慶は186cmあり化物と呼ばれ当時年齢36義経は31、館と合戦場は現在の義経堂より少し下の川沿いだったとか御礼にお守り買い堂内像撮影可。
2019/9/19中尊寺と言えば金色堂ですが、金色堂以外も見どころ多いと思います。
近くに金鶏山(源義経の妻子の墓)があるのに、由縁を感じます。
弁慶さんを祀った御堂中尊寺内にあって説明を聞いても素晴らしい歴史に触れ、浪漫を感じるひとときです。
弁慶を祀る.景色がよいです.上る坂にところどころ段差があり,降りるとき躓き注意.入口に弁慶の顔出し盾あります.ここで写真撮影が人気。
弁慶・義経像などを祀る小堂。
月見坂を上ると最初のお堂となるため、小休止にもよい。
堂内の撮影も可であり、隣接する頒布所ではネット上で最強のお守りとして有名になっている(らしい)「弁慶力守」を購入できる。
参道を上り切ったところにある小さなお堂。
中には様々な弁慶の像が置いてあります。
横にはお守りなどの売店があります。
弁慶堂は中尊寺の参道沿いにある建物で、木造平屋建て、弁慶堂(中尊寺)入母屋、銅板葺き、平入、桁行3間、張間2間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り板張り、向拝木鼻には獏や唐獅子、欄間には龍などかなり細かい彫刻が施されています。
案内板によると「この堂は通称弁慶堂という文政9年(1826)の再建である。
藤原時代五方鎮守のため火伏の神として本尊勝軍地蔵菩薩を祀り愛宕宮と称した傍らに義経公と弁慶の木像を安置す。
弁慶像は文治5年(1189)4月高館落城と共に主君のため最期まで奮戦し衣川中の瀬に立往生悲憤の姿なり更に宝物を陳列国宝の磬及安宅の関勧進帳に義経主従が背負った笈がある代表的鎌倉彫である。
」とあります。
なお、御堂にはオリジナル御朱印帳があります。
中尊寺本堂・金色堂等で授与されているものとは別のものです。
内部の諸像と天井板の彩色が美しいです。
2018年4月に訪問。
徒歩で昇ってくると急坂で一息つきたいいい場所にあります。
鳥居が脇に片づけられており、隣の売店のお姉さんに聞いてみると、2011年震災で崩れたためとのこと。
3.11後すぐに有志が直したが、余震が続くため危険と判断し撤去したまま7年が過ぎたと。
どこか震災を過去のものと思い込んでいた自分を恥じることに。
月見坂からそのまま直進するルートと、弁慶堂に向かって左に曲がる脇道ルートがあります。
上りは直進、下りは脇道で拝観しました。
上りの時は人がいっぱいいて、なかなかいい写真が取れない。
人が入ってしまう結果になりましたが、下りは人が一人もいない。
好機到来でした。
弁慶堂の中を見ると、本で見たことのある弁慶の木造が義経と並んで直立しています。
ちなみに御堂の中は撮影禁止です。
本当にいたのか、どうなのか、いたなら常陸坊海尊、佐藤兄弟、喜三太、鷲尾、伊勢、片岡などはなぜ。
まぁ真偽を追求することよりもこのお姿を目にできただけでも感謝です。
御朱印は、横の売店でいただきました。
眺めも良く落ち着く場所です。
立派なお堂です。
案内板によると「この堂は通称弁慶堂という文政9年(1826)の再建である。
藤原時代五方鎮守のため火伏の神として本尊勝軍地蔵菩薩を祀り愛宕宮と称した傍らに義経公と弁慶の木像を安置す。
弁慶像は文治5年(1189)4月高館落城と共に主君のため最期まで奮戦し衣川中の瀬に立往生悲憤の姿なり更に宝物を陳列国宝の磬及安宅の関勧進帳に義経主従が背負った笈がある代表的鎌倉彫である。
」とあります。
平泉に来たので、立ち寄りました。
あの弁慶。
同じ場所に立つ。
嬉しい気持ちになります。
2019 6 12本日、弁慶堂にて参拝させて頂きました。
弁慶さんのご冥福をお祈り致しますね。
弁慶堂からの景色がとても素敵です🎵〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️弁慶堂は中尊寺の参道沿いにある建物で、木造平屋建て、弁慶堂(中尊寺)入母屋、銅板葺き、平入、桁行3間、張間2間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り板張り、向拝木鼻には獏や唐獅子、欄間には龍などかなり細かい彫刻が施されています。
案内板によると「この堂は通称弁慶堂という文政9年(1826)の再建である。
藤原時代五方鎮守のため火伏の神として本尊勝軍地蔵菩薩を祀り愛宕宮と称した傍らに義経公と弁慶の木像を安置す。
弁慶像は文治5年(1189)4月高館落城と共に主君のため最期まで奮戦し衣川中の瀬に立往生悲憤の姿なり更に宝物を陳列国宝の磬及安宅の関勧進帳に義経主従が背負った笈がある代表的鎌倉彫である。
」とあります。
木像は七つ道具を背負った弁慶の立像とその後ろに鎮座している義経がおります。
薙刀を杖にして立つ姿は主君を身を呈して守る姿そのものであり浄土への入り口を守る仁王のようでもあります。
弁慶(身長186cmとか?)の持っている薙刀は長さ4尺5寸5分 幅2寸8分立像の足元に水が刻まれているのは衣川での立往生の処でしょうか? 「弁慶の立ち往生」 「その時義経少しも騒がず」のことわざ通りのご両人の姿がこのお堂の中にいます。
見所が多すぎます。
義経公を守るために最後まで戦った勇敢な弁慶の像が安置されています。
坂道で行くのが大変です。
取り合えず行ってみたいです❗参考に成りました✌
ちょっと小道にそれるので気をつけていないと通り過ごしてしまいます。
義経、弁慶ファンは是非どうぞ。
名前 |
弁慶堂 |
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ジャンル |
|
電話番号 |
0191-46-2211 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
彫り物の美しいお堂です。
中には弁慶と義経公の像が収められています。