中宮寺の星5つも妥当だとしておきます。
法隆寺を見学の後訪問しました。
日本全国の尼寺の総本山とのこと。
弥勒菩薩は素晴らしいです。
シーズンオフの12月は人も少なくおすすめの時期です。
法隆寺東院伽藍に隣接する聖徳太子の母である穴穂部間人皇女により建立された日本最古の尼寺。
かつては現在地の東約500mの場所にあった。
ここの見所は本尊の菩薩半跏像(以前は半跏思惟像と呼ばれていた気がする)。
その微笑みを浮かべた姿が特長的である。
法隆寺に入った人は、自己申告制で、拝観料金が500円となる。
御朱印300円。
拝観料金を支払う窓口で御朱印帳を預けると、参拝している間に、御朱印を書いておいていただける。
代金の支払いは現金のみ。
中宮寺からは、中宮寺東口のバス停が近い。
法隆寺からスタートして、薬師寺・唐招提寺を通って、奈良市内方面へ行くルートを作る場合、奈良交通バス 奈良・西の京・斑鳩回遊ラインが1時間に1本なので、中宮寺東口のバスの時間を基準にルートを組み立てるといい。
太子が母の穴稲部間人皇后の為に創建された寺院。
太子の暮らした斑鳩宮と、晩年暮らした葦垣宮の中間にあった事から中宮寺と呼ばれる様になったとか?金堂の本尊である国宝菩薩半跏像(寺伝如意輪観音)の謎めいた微笑みに癒されました。
恥ずかしながら法隆寺には2度来たことあるのに【中宮寺】の存在は知りませんでした😅見どころが少く【国宝の仏像】があるだけなので仏像に興味がない人にはオススメ出来ません。
【スフィンクス🇪🇬】【モナリザ🇮🇹】そして中宮寺の【菩薩半跏像🇯🇵】を含め【世界の三つの微笑像】と言われているみたいです。
この時代には珍しく1本造りでなく、部分によって、木材を変えたりして造る寄木造りで繊細な表現が施されていて本当に凄いと思いました。
今見ても凄いと思うものを約1300年前の人々が作っていた事と同じ美意識を持っていた事に驚きました。
この日は平日で雨☔の為か僕と従業員の方の二人しか居なく、雨の音を聞きながら国宝をゆっくり眺める事が出来、贅沢な時間を過ごす事が出来ました😌
中宮寺を訪れたのは初めてです。
法隆寺の東院伽藍のすぐ東にあります。
法隆寺の拝観とは別料金です。
この寺には見る人の目を釘付けにする仏像があります。
本尊の如意輪観世音菩薩です。
造られた当初は色彩や装飾もあったらしいですが、1300余年の長い年月が過ぎ今は漆黒の仏像です。
パンフレットによると、この像のアルカイックスマイルはエジプトのスフィンクス、モナリザと並んで「世界の三つの微笑像」とも呼ばれているそうです。
見とれてしまい、見ている時間を忘れてしまいました。
アルカイックスマイルで有名過ぎる弥勒菩薩様が鎮座する寺院です法隆寺の建築物群が、ほぼほぼ国宝なのに対し、コチラは弥勒菩薩様以外に、見どころを期待されない方が無難です法隆寺夢殿脇にあり、法隆寺拝観者には、拝観料600円のところが500円になります。
菩薩さまの微笑みを見ていると心穏やかになります。
偶然にも修繕報告で間近で菩薩さまを拝観させていただけました。
ありがとうございました。
クリアファイルと御朱印をいただきました。
20年前くらいに行きました。
こじんまりとしたお寺なので、人もそんなに多くなく、のんびり拝観出来ます。
日本史や美術史で習う、半跏思惟像、アルカイックスマイルといえば、京都・広隆寺と、こちらの中宮寺の御本尊。
飛鳥時代の最高傑作で、どちらも国宝です。
とても美しく、ずっと見ていても全然飽きません。
とても癒されます。
法隆寺と一緒に見学するのがお勧め。
仏像も優しく柔らかい雰囲気で、京都で見れる仏像とは違う。
法隆寺の中にある?尼寺さんです。
小さいながらも見所は満載ですね。
参拝料を納めて拝観となりますが、歴史を保存する意味も込めて納めました。
ずっと残して行きたいものですね。
法隆寺の奥にある。
半跏思惟のこの像は、飛鳥時代の最高傑作のひとつであると同時に、わが国美術史上、欠かすことの出来ない存在である。
また国際美術史学者間では、この像の顔の優しさを評して、数少い「古典的微笑(アルカイックスマイル)」の典型として高く評価され、エジプトのスフィンクス、レオナルド・ダ・ヴィンチ作のモナリザと並んで「世界の三つの微笑像」とも呼ばれている。
半跏の姿勢で左の足を垂れ、右の足を膝の上に置き、右手を曲げて、その指先をほのかに頬に触れ、人の悩みをいかにせんかと思惟される清らかな気品をたたえておられいる。
神仏霊場 巡拝の道🔆奈良🦌《14番》【宗派】は聖徳宗〽️【ご本尊】は如意輪観音さま✨(国宝)です。
奈良の生駒郡葛城町にあり、法隆寺のすぐ隣に隣接して建っています。
とても小さなお寺で、庭は手入れされてあり、木々🌳や小鳥のさえずりに心が癒されます。
ペット🐶は抱っこしていれば境内は大丈夫です。
建立したのは、聖徳太子だと伝えられており、太子信仰の始まりの曼荼羅は国宝👑に指定されております。
お花🌸の見所としては、四月の下旬の山吹が鮮やかな黄色い花を咲かせ、本堂をより美しく彩るようです。
駐車場🚗 がないので、民営の駐車場で(500円)くらいかかります。
法隆寺と同日に参拝させていただくと、拝観料金が100円お得です🎶
静かな落ち着いた佳い時間が流れていく感じです。
法隆寺と同じ星5つというのは自分でも釈然としませんが、法隆寺は星50ぐらいの価値があるということで、中宮寺の星5つも妥当だとしておきます。
ともかく、国宝の菩薩半跏像は気品に満ちて美しいです。
広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像とよく似ていますが、中宮寺の像は全体に黒っぽく、頭頂部がかなり異なっています。
個人的感想としては広隆寺の方が優美だと思いますが、中宮寺の方は強靭さも感じられ、優劣はつけられません。
本来の伽藍は東方500メートルのところにあったということで、今はコンクリート製の本堂が法隆寺に隣接して建っています。
耐火耐震への配慮は大いに結構だと思いますが、木造と違ってコンクリート製は完成時が一番美しく、劣化しても味が出ないというのが泣き所です。
堀に囲まれたお堂が印象的。
録音音声で仏像などの解説が聴けます。
中宮寺(ちゅうぐうじ)は、奈良県生駒郡斑鳩町の法隆寺に隣接する聖徳太子ゆかりの尼寺である。
宗派は聖徳宗に属す。
山号を法興山と称し、本尊は如意輪観音、開基(創立者)は聖徳太子または間人皇后とされている。
中宮寺は、現在は法隆寺東院に隣接しているが、創建当初は500メートルほど東の現・中宮寺跡史跡公園にあった。
現在地に移転したのは中宮寺が門跡寺院となった16世紀末頃のことと推定される。
旧寺地の発掘調査の結果から、法隆寺と同じ頃、7世紀前半の創建と推定されるが、創建の詳しい事情は不明である。
天平19年(747年)の『法隆寺縁起』や『上宮聖徳法王帝説』には、「聖徳太子建立七寺」の一つとされるが、確証はない。
中宮寺独自の創立縁起は伝わらず、『日本書紀』にも中宮寺創建に関する記載はない。
ただ、発掘調査で尼寺である向原寺(桜井尼寺)と同系統の瓦が出ていることから、当初から尼寺であったようである。
寺伝では現在の本尊である如意輪観音は当初からの金堂の本尊であるとしている。
平安時代の『聖徳太子伝暦』は、中宮寺は聖徳太子が母・穴穂部間人皇女(間人皇后)の宮殿を寺としたと伝え、後には間人皇后自身が発願者であるという伝承も生まれる。
鎌倉時代の顕真が著した『聖徳太子伝私記』の裏書には、「葦垣宮、岡本宮、鵤宮(いかるがのみや)の3つの宮の中にあった宮なので中宮といい、それを寺にした時に中宮寺と号した」との説が記載されている。
中宮寺は平安時代以降衰微していったが、鎌倉時代には中興の祖とされる信如比丘尼によって復興が図られた。
信如は文永11年(1274年)、法隆寺の蔵から聖徳太子ゆかりの「天寿国繍帳」を再発見したことで知られる。
また、この頃の宗旨は法相宗であったが、その後は真言宗泉涌寺派となっている。
その後、戦国時代に中宮寺は炎上したため、ついに現在地にあった法隆寺の子院に避難し、そのままそこに寺基を移すこととなった。
江戸時代初期の慶長7年(1602年)、慈覚院宮を初代門跡に迎え、以後は尼門跡斑鳩御所として明治時代を迎え、今日に至っている(門跡寺院とは、代々皇族、貴族などが住持となる格式の高い寺のこと)。
第二次世界大戦後、法隆寺を総本山とする聖徳宗に合流した。
創建当時の中宮寺跡は現境内の東方約500メートル、斑鳩町法隆寺東二丁目にあり、国の史跡に指定されている。
この地はかつての地名を大字法隆寺字旧殿(くどの)といい、伽藍跡とおぼしき土壇が残っていた。
1963年(昭和38年)より石田茂作らによる発掘調査が行われ、金堂と塔の跡を検出。
大阪の四天王寺と同様に、金堂を北、塔を南に並べる伽藍配置であったことがわかっている。
ただし、講堂、回廊等の遺構は未検出である。
この伽藍の特徴の一つは、金堂と塔の距離が近く、軒を接するように建っていたと推定される点である。
塔の心礎は地中に深く埋める形式とする。
これは四天王寺、飛鳥寺、法隆寺などの塔心礎と同様で、創建時代が古いことを示唆する。
その後数次の発掘調査により、寺地を区画する築地の跡が検出され、境内地は東西約130メートル、南北約165メートルの規模であったことが判明した。
東西の130メートルは高麗尺の1町にほぼ相当する。
2018年(平成30年)5月、伽藍跡が整備され中宮寺跡史跡公園として完成した。
現境内は夢殿のある法隆寺東院のすぐ東に接する子院地を拝借している。
本堂は高松宮妃の発願で1968年(昭和43年)に建立した和風の現代建築で、設計は吉田五十八である。
行ってみる価値有ります!立って見るのではなく、畳に座ってゆっくりくつろぎながら見えるので、一休みできます。
入るところが隠れていて、秘密基地っぽくなっているので、見逃さないように気をつけて下さい!
法隆寺の東に隣接。
本尊 菩薩半跏像は素晴らしい!ずーっと見ていたい!!法隆寺と別料金はかかりますが、行く価値はあります。
旧斑鳩御所 天平時代の文書に「聖徳太子創建七ヶ寺」のひとつとの記載が残る太子ゆかりの中宮寺です。
本堂(昭和43年5月落慶。
)高松宮妃殿下の御発案で吉田五十八先生が設計されました。
国宝:本尊菩薩 半思惟像」 半跏の姿勢で左の足を垂れ、右の足を膝の上に置き、右手を曲げて、その指先きをほのかに頬に触れんばかりの優美な「国宝の半思惟像(はんかしゆいぞう)」は、エジプトのスフィンクス、レオナルド・ダ・ヴィンチ作のモナリザと並んで「世界の三つの微笑像」とも呼ばれています。
当寺は聖徳太子の御母穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后によって、大使の宮居中央にして、西の法隆寺と対照的な位置に創建されました。
現在は法隆寺東院に隣接していますが、創建当初は400メートルほど東あり、現在地に移転したのは中宮寺が門跡寺院となった16世紀末頃のことと推定されています。
旧寺地の発掘調査の結果から、法隆寺と同じ頃、7世紀前半の創建と推定されています。
法隆寺 夢殿の脇にあるお寺。
中宮寺は聖徳太子がたてた七寺のひとつ。
現在では拝殿が建て替えられてしまい、当時の面影や法隆寺周辺の遺跡群としての魅力はあまりない。
法隆寺周辺というと最古の木造建築という代名詞があるが、こちらはコンクリート造り。
最大の見どころは、拝殿内のふたつの国宝。
1.本尊菩薩半跏像2.天寿国曼荼羅繍帳(展示はコピー品)1.本尊菩薩半跏像東洋美術の考える像。
アルカイックスマイルの代表作として、「世界三大の微笑像」と称される。
あのダビンチのモナリザと並び称されると思うと貴重。
館内ではテープでの説明がされるが、頭部でふたつ、身体でも複数の寄木で作られた非常に珍しい彫刻だそうです。
(当時は、一木) その彫像は飛鳥時代の最高傑作との評価だそうです。
2.天寿国曼荼羅繍帳(展示はコピー品)館内のはイミテーションのものですが、刺繍仕立てのが飾られてます。
聖徳太子の死後、それの死を悼んで作られたものだそうです。
本物がわからないが、精巧に作られたものでした。
入館料はそれなりにしますが、半跏像は見応えがありました。
経年の様々な影響により黒光りする結果オーライ的な仕上がりの弥勒菩薩像は美し過ぎる。
遠い、暗いで良く見えないのだが、この距離感がひょっとして最適なのかもと近頃感じます。
間違いなく一生に一度は観るべき世界有数の美しい仏像の一つ。
しかし、靴は脱ぎます。
法隆寺の通し券で割り引きあり。
高松宮妃殿下の御発願により吉田五十八氏の設計により昭和43年(1968)5月落慶の御堂だそうです。
2017/5/2拝受 池の上に建てられた美しい本堂です。
本尊如意輪観音は江戸時代作の物と比べると細身でした。
御朱印(如意輪観音)を頂きました!
半跏思惟像は漆黒だった。う~ん、まるでアフリカ女性が如く。アルカイックスマイルが、観る者を癒やしてくれる。素晴らしいなぁ。一説によると、厩戸皇子のお母さん、間人皇后がモデルであると謂われる。想像ʖ ͡° )งしてみる…仏像が完成時には金箔張り、更に彩色もされ煌びやかな衣装?も着ていたはずだよねェ。頭には冠👑と髪飾りがあり…”全て想像力で補填す”…すると”艶かしい姿”になった。中宮寺御堂がある場所は、東院夢殿の救世観音と並ぶ位置にある。
名前 |
中宮寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0745-75-2106 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.3 |
歴史は古く1300年ほど、最近本堂が新しくなりましたが、昭和の建築家、吉田五十八さんのデザインのままなので近くの法隆寺や法起寺、法輪寺等とは違うなんとも不思議な居心地の良い風が吹き抜けるお堂です。
ご本尊はスフィンクス、モナリザと共に世界三大微笑と言われる弥勒菩薩様✨菩薩半跏像に是非お会いしてください。
もちろん法隆寺も素晴らしい世界遺産ですが、夢殿のすぐ隣に中宮寺もありますのでご一緒に✨法隆寺iセンターで聖徳太子ゆかりの4寺周遊、法隆寺中宮寺法起寺法輪寺の共通券が2400円で買えてレンタサイクルが半額の1時間100円になります。
近くのお店で飲食すると飲み物無料等のサービスも受けられますよ✨