源義経の終焉地と言われている場所。
平泉を、駅に置いてあった地図(目安は5時間)を見ながら毛越寺~中尊寺方面から徒歩で巡り、中間過ぎのポイントでした。
平泉駅から歩けば20分程です。
小説、NHKの「武蔵坊弁慶」以来ずっと訪ねたかった場所です。
一言で言えば、ほぼ思い描いていた通りの場所でした。
静かな小高い丘の上から、衣川は少し遠くて見辛いものの、当時を忍ばせる風景を見る事が出来ます。
JR東日本パス販売期間で、平泉で下車する人は多く、毛越寺や中尊寺はそこそこの人出でしたが、ここはそうでもありません。
静かでした。
小さな資料館を含めて、大人一人拝観料300円、11月21日~3月14日は雪の為に冬季拝観休止期間だそうです。
相当降るのでしょうか。
2022/05訪問藤原三代や源平合戦に興味のある方は寄って損はないでしょう。
義経像のあるお堂の近くから北上川が見渡せます。
歴史に興味がなくても心穏やかになれるのどかな眺めが心地良い。
余談ですが津軽半島にも義経伝説が残る「義経寺」があります。
そちらは海の眺めが気持ちいい。
それにしても気になったのが、ここ義経堂の隣にあった石塔…大分県の国東半島に多く見られる国東塔に似ていたこと。
調べてみると大分県は湯布院に静御前の供養塔として日本最大の国東塔があったそうな…(現在は京都に移設されている)石塔には全く興味はないのに日本各地を旅して得られた知識が思わぬところで役立つこともあるもんだ…まあ、ここにある石塔が国東塔かは不明だが歴史ロマンを感じた。
御朱印あり。
尾上菊五郎が演じた大河ドラマ「義経」を見て以来の念願が叶った。
40年前に平泉を訪れたが、時間の関係で遠くに北上川の傍の小高い丘を見るだけであった。
義経の終焉の地に立てただけで満足である。
九郎判官義経公と妻子さま御最後の地と伝わる場所で、義経堂では鎧兜を身にまとわれた美しい義経公の像を拝観する事が出来ます。
他にも義経公主従の供養塔、狭いですが資料館、夏草や 兵共が 夢の跡と刻まれた俳聖芭蕉句碑があります。
何時訪れても、私はこちらからの北上川の景色が大好きです。
当時を回顧し、なんとなくもの悲しくなるところです。
御朱印は拝観受付所で頂けます。
無料駐車場有。
京都下関から北陸最後は平泉と活躍した源義経公最後の地が地元の人の話では館は川の方の平地とか入場料300お守り700?色々営業時間830〜1600悲劇の英雄ですが高貴なのは血筋で巻込まれた人々は管理人兼売店の人のやっつけ作業を見ると負担にならないよう早足で、中尊寺と違い訪れる人は疎らですが今が大事、駐車場も此方の直ぐ傍に御堂の像は撮影可、おみくじ絵馬あり。
義経自害の地と「言われる」所で、建っているのは慰霊碑、資料館、頼三樹三郎の詩碑。
こじつけでは?
中尊寺から徒歩圏内10分圏。
源義経の最期の地。
お堂の中にはその義経の木像が祀られています。
また、芭蕉が『夏草や〜』を詠んだ場所だそう。
眺めがいい場所でもあります。
小さいですが、義経関連の展示物がある資料館もあります。
拝観料は大人300円。
駐車場は無料です。
源義経が最後に自害されたとされる場所。
お堂への参拝自体はモノの数分で終わる。
景色が良いのと、小さい資料館にある義経関連のパネルが簡素且つ纏まっており、十分来る甲斐はある。
一人旅で2020年10月中旬に初めて行きました。
中学生の時から来たかった平泉平泉駅で自転車をレンタルし中尊寺、毛越寺に行く前に寄りました。
小高い丘の上にあるため拝観券発売所から石段を登ります。
資料館は最後の登り口左側にあります。
そこには義経公だけでなく静御前などの義経公にまつわる様々な資料などが展示してあり、義経の年表もあります。
左側奥に義経堂があります。
天和3年(1683)、仙台藩主第四代伊達綱村公が義経公を偲んで建てたそうで中には義経公の木造が安置されています。
また右側には北上川や束稲山の素晴らしい景色が望めます。
拝観料は200円。
滞在時間は15分前後です。
再び平泉に行ってもリピすると思います。
よくTVで平泉を紹介する時に映る北上川の景色ってここで撮影されていたんだと納得。
義経終焉の地で、芭蕉が有名な句を詠んだ撮影スポットとしてはお勧めです。
ただ入場料に見合っているかと言われれば?です。
資料館も併設されており環境整備費用は必要だと思うけれど、毛越寺所管の飛び地らしいのでもう少しやり方があるのではというのが率直な感想でした。
それにしても、「夏草や....」と芭蕉が詠んでいるにも関わらず、冬場に訪れるとは我ながら情けないですねえ。
道から少し上がったところが駐車場。
自転車もそこに止めます。
駐車場から1分ほど登ると入口です。
建物自体は大したことないが、源義経がここで最期を遂げたのかと想像すると感慨深い思いがある。
戦の天才義経は、梶原景時の讒言もあり頼朝によって追放され、奥州藤原家を頼るも最後は兵に追われてこの地で自害します。
戦の天才を藤原家からまんまと追い出した頼朝は藤原泰衡をいとも簡単に滅ぼしてしまいます。
また、芭蕉の句の石碑が立っています。
「夏草や 兵どもが 夢の跡」
中尊寺の東方で北上川が見下ろせる丘陵にあります。
兄の頼朝に追われ移り住んだ地であり、妻子とともに自害した地でもあります。
遺体が埋められ小さな祠が建てられたが年月が経ち風化したために仙台藩主第4代・伊達綱村(だてつなむら)が新たに義経堂を建立しました。
現在のお堂は1808年に再建されたものです。
お堂の中には義経の木造が安置されています。
源義経終焉の地と伝わる。
小高い丘の上にあり、山頂には天和三年(1683)に伊達藩第四代伊達綱村が建立した小堂がある。
北上川を眼下に望むことができ、景色は非常によい。
ここは「たかだち・ぎけいどう」と読む。
頼朝の要求に対して「義経の指示を仰げ」とした父・秀衡の遺訓が守れなくなった泰衡は五百騎ほどで、義経居館を襲撃した。
襲撃された義経側は、弁慶らわずか十数名で防戦したが、主従全員が討死となった。
また、このあと、奥州藤原氏も滅亡に向かう。
江戸期、仙台藩主・伊達綱村が、北上川の流れを望む高館跡に、義経木像と義経堂を建て、今日に至っている。
「衣川の戦い」と言われる戦闘跡で、いまは静かで風光明媚な地となっているが、歴史の分岐点だった。
北上川を望むことができる小高い丘の上にあるこの場所!源義経と、武蔵坊弁慶の最後に思いを馳せながら景色を眺める。
幼少期にも、家族と共に訪れた事のある場所です。
年月が過ぎ、大人になった今ふたたび訪れると懐かしい気持ちが蘇りとても良いひと時でした。
歴史好きな方なら、行ってみてください!!
朝に東京を出てひたすら東北道を走っていてやっと着いたのが14時前。
そして自分の習性で、とにかくひたすらじっくり納得するまで見る。
二度とこれないかもしれないこと前提に、これはいったい?この風景だけは。
この場所だけは。
それをひたすら念頭に回って回って回りまくる。
ここに到着したとき、見学はできますか?質問してお願いして、拝観させていただきました。
NHKの武蔵坊弁慶を見て以来、この地、義経最期の地とされるこの場所は絶対行きたかった。
階段を昇ると思いのほか、景色がいい。
ここを拠点に迫りくる敵を見てたのか、あるいは何かの備えを配下に命じていたのか、たまたま高台であるここに追い詰められたのか。
とにかくいろいろ夢想しました。
義経堂を拝見し、そしてきれいに整備された石碑などをひたすら見て回りました。
そして一望できる風景を動画モードで納め、ここを彼は見たのだろうか、何を考えたのだろうか、そんなことを勝手に思いながら堪能してから、係の方にお礼を言って後にしました。
ホントに一度は行って欲しい。
文字通り一段高い所にあり、南東の柳之御所跡や北西の衣川からも木立が眺められます。
拝観入り口近くに徃古両軍戦死者供養塔が建っています。
義経堂には義経の像、傍らには供養塔があります。
少し離れた所に資料館と頼樹三郎詩碑があり、展望台を越した所に芭蕉句碑があります。
展望台からの眺めはすばらしく、北上川や駒形峯・束稲山が一望できます。
高館義経堂たかだちぎけいどうt岩手県西磐井郡平泉町平泉字柳御所14 衣河館(ころもがわのたち)とも奥州藤原氏の居館で源頼朝の圧力で藤原泰衡が襲撃武蔵坊弁慶の奮戦にも関わらず義経は妻(郷御前)・娘と共に自害高館の名の如く小高い丘にあり北上川が美しかったなお頼朝は正妻の子義経は妾の子当時はこの差は徹底的なものであった平家討伐は同じ意見なるも義経は猪突猛進型で頼朝の意向を聞かずヒヨドリ越えから壇ノ浦まで一気に滅ぼし天皇、三種の神器も失うこれは頼朝の本意でなかったはずでこれでは平清盛と同様で皇室に対して反逆、私戦を行なったと頼朝は判断したと思います。
夕方の時間に行ってみたい。
とっても風情のある景色です。
是非とも1人旅でこの北上川をぼっーと眺めるのもいいのではないでしょうか。
静寂に包まれ思いにふけるのもいいですよ(*´ω`*)
高館は義経が秀衡公の庇護のもと与えられた居館、衣川館跡とされ、束稲山と北上川を望む眺望です。
その北側には衣川が北上川と合流し、弁慶立往生したとの故事で知られた場所です。
高館は判官館とも呼ばれ、伊達藩四代藩主 綱村公が義経公を偲んで建てた義経堂が有り、堂内には本尊として創建当時に制作の義経公の木像が安置されて居ます。
義経公には判官贔屓とされる北行伝説に蝦夷地(北海道)に渡り、蒙古まで辿ってジンギス・カンに成ったと言うことです。
その出発点が高館で有り、義経伝説を辿るルートになっています。
入館料は200円。
駅からはくるリンバスも停るので便利です。
これぞ平泉!と思える素敵な見晴らしでした。
そう感じられるのは、義経の物語のおかげか、松尾芭蕉の俳句か。
きっとどちらもでしょう。 高館のお堂は江戸時代に作られたもののようで、800年前は今の場所よりもっと高い山があったと言われており、実際に義経の首を切られた場所は分かっていないそうです。
義経最期の地ということで行ってきました。
お金を払って階段を上がるとそこは北上川一帯の素晴らしい眺望が!こちらの景色に感動しました。
松尾芭蕉の俳句碑もあり、昔からこの景色が愛されてきたことが実感できます。
この景色を見るためだけでも価値あり。
義経一党や松尾芭蕉も目にした北上川を眺め、当時に思いを馳せましょう。
平泉の風を受けながら。
当時、平安から鎌倉になる頃の歴史にハマり、義経とその侍従、そして平泉=藤原家を、知りたくて知りたくて来ました。
また行きたいなぁ。
義経堂(ぎけいどう)は源義経最期の地と伝えられています。
入山料は200円で、達筆な御朱印(300円)もいただくことができます。
大きな道から坂を上がったところに入り口があります。
御朱印には「義経大明神」とあったので、神様をお参りする方法で良いみたいです。
芭蕉の句碑もあり、遙かなる北上川も見え、遠くここまで逃げてきた義経の無念を思うと非常に感慨深いです。
一見の価値があります。
ルパン三世ご一行が「東方見聞録~アナザーページ~」でロケした場所。
義経堂に収蔵されているのは金の爪楊枝。
五ェ門の「戸がね!開かないの!」は平泉がそうさせてしまったと信じています。
2012.11.1 に訪れた時にサワガニに出迎えていただいた。
まさか義経公がサワガニ神になられていたとはなあ。
なんつって。
(北上川からここまでのぼってこられたのだろうか)
前に来たときには、害虫が大発生したとかで、立ち入り禁止でした。
二度めの正直です。
こじんまりしたところでした。
最上川と山々の連なりが印象に残っています。
中尊寺と比べると、平日の雨ということもあり、人がほとんどいませんでした。
桜がとても綺麗でした。
源義経の終焉地と言われている場所。
義経公像や芭蕉の句があります。
ここから見える眺めが京都市内から見える比叡山を想像させるのも義経公の終焉地にふさわしいのかもなぁと。
だからこその芭蕉の句と考えると趣き深い場所です。
名前 |
高館義経堂 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0191-46-3300 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.9 |
義経がこの地で果て、芭蕉がこの場所で詠んだあまりにも有名な俳句。
同じ景色を見れて非常に感慨深いものがありました。
入口で御朱印も書いていただけます。