KANTO自動車教習所の奥にひっそりとありました。
KANTO自動車教習所の奥にひっそりとありました。
地図に載っていたので気になり訪問。
浅間下交差点から三ッ沢へ登る坂の途中にある急な階段を登った場所に有ります。
横浜市教育委員会の看板と石碑が建っていますが、石碑へ上がる階段が崩れていて近づけない状況でした。
古墳跡ということで、それほど期待していなかったのですが、前方後円墳が横浜にも有ったということが分かり、大きな収穫でした。
昭和40年の発掘調査が行われた写真が有りますが、実際に有った場所はこの場所ではなく自動車学校がある付近のようです。
浅間神社の前に旧東海道があり、その当時は海岸線だったことを考えると、海岸近くの崖の上に作られたようですね。
浅間神社境内付近には地域の有力豪族の墓とされる横穴墓群があったりと、この辺りは古くから特別な場所だったのでしょう。
横浜駅方面から三ッ沢へ坂を上がっていく途中にものすごい階段があるので、そこをひいひい言いながら上がり切ると辿り着くのですが、関東ドライビングスクールからだと階段要らずでした…。
たまたま2021年元旦の日没後のマジックアワーだったので、ものすごい綺麗な景色に出会えました。
7世紀前半に作られた横浜市域最末期の前方後円墳です。
石碑と説明板が有ります。
古墳の中には入れません。
こんなところに歴史あるんだなーっと。
前方後円墳の形は見えない。
自動車学校が建っていた。
石碑だけ見る。
跡。
階段を79段上り、そこに説明板と碑。
往時は、海から見える古墳だったんでしょうね。
子供の頃この辺りは遊び場=探検場だった。
自動車学校建設前、調査していたのも見た。
とある時自動車学のコース下に入りこんじゃって!そこにはいくつものアリジゴクの巣が見られた。
中学下校時、わざわざこの狭い道を通ったり。
当然浅間神社西の横穴古墳にも、何度も入った。
7世紀前半に作られた前方後円墳。
古墳は、石碑のところではなく、現在の自動車学校のコース付近にあったそうです。
日本の中心は元々、関西ではなく東の方であり、東北・関東こそが、日本文明の発祥の地であり、我が国は御天道さまと富士山を、絶え間なく篤く信仰してきた高貴な国家であることを、みんな一人一人が認識してくれることを、願ってやまない。
横浜の軽井沢。
急な斜面を登っていくと古墳碑があります。
横浜の市街地近くでもこんな古墳があったのか。
説明板と石碑、全長26.5mの前方後円墳、7世紀前半の築造とある。
軽井沢台地の一角に在り、現在はこの下を通る県道の桜木町新横浜線?の開削やKANTOモータースクール横浜西口校などにより、だいぶ影響されてるだろうな。
当時は眼下・浅間神社くらいまで海が侵食していて帷子川も天王町付近が河口?なのかな。
見原市良かっただろうから一等地だったのかな。
あくまで素人おっさんの頭のなかで。
「前方後円墳」ていうと教科書に出ていた大阪堺の昔・仁徳天皇陵・現・大仙古墳のイメージだけど、だいたいはこの規模なんだろうな。
名前 |
軽井沢古墳 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
045-671-3284 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.7 |
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説明板と石碑がありますが、石碑の周りの手すり?が何とも心許ないです。