撤退する迄の資料が展示されています!
仙台藩白老元陣屋資料館 / / / .
江戸時代に外国からの侵略に備え、仙台藩から派遣されてから、撤退する迄の資料が展示されています!
幕末に仙台藩が蝦夷の警備の為に築いた白老陣屋について展示•解説している資料館。
白老陣屋設置の経緯や、陣屋での生活、アイヌとの交流について知る事ができる。
入館料¥500。
ウポポイの半券を見せると¥50引き。
普段はこういう所にあまり来ないのですが、仙台藩と蝦夷(白老)の関係を知る事が出来て満足です。
VTRがわかりやすく、疎い私でも理解できましたし、展示されているものも見応えがありました。
外の赤松は最後の1本だそうです。
天気が良ければ鹿が沢山いるんだろうなと思うほど、フンがたくさんでした。
テレビで特集していたのを見て、行ってみた。
最初に資料館に入って受付のかたがVTR を見せてくれ、仙台藩がなぜここにに来たのかや東北の人達でも北海道の寒さには勝てず12年で25人の人が亡くなったこと、たった半年でこの大きな陣屋(今で言う駐屯地)を完成させたという解説を聞いた。
その後雨天だったが敷地内を歩いて廻った、とても大きなところだった。
その後塩釜神社に行って上から眺めたが重機もない時代によくこれだけの工事ができたな と感心して帰ってきた。
諸外国からの脅威に対抗するため、陣屋警備を命ぜられた仙台藩に関する資料が展示されています。
ボランティア解説員友の会の方に説明していただければ、展示内容等を容易に把握することができる。
入館料は高校生以上300円ですが、各種割引特典あり。
休館日は基本的に月曜日です。
特に仙台にご縁のある人は、一度寄ってみては?
白老陣屋は広いです。
仙台藩の陣屋に関わることがよく分かる展示がされてます。
慣れない土地でよく頑張ったと思います。
中央バスの定期観光を利用して訪問しました。
館の方がとても丁寧で、分かりやすく説明してくださったので、とても良く理解できました。
この城の存在があったことによって、北海道、いや日本が守られてきたとても意義深いことでした。
北海道がどんどん好きになってきました。
時間がなくて館内しか観ませんでしたが、近くに跡地があるようです。
本日は、北海道ラウンド切符を求めて、白老駅から歩いて行って来ました。
親切な受付のかたでした。
今度は歴史を訪ねてみたいと思いました。
小さな展示館ですが、江戸時代に置かれた元陣屋の歴史がよくわかります。
資料館周辺の土塁や建物跡も散策しながら見るとよいでしょう。
北海道の歴史を知る上で重要な場所。
北海道の人でも、知っている人が少ないと思う。
仙台好きになる事、必須。
資料館の方が一緒に回ってくれて色々教えてくれました。
充実した時間を過ごすことができました。
ウポポイに隠れてますが、近いので歴史好きにはぜひ勧めたい。
館内の人も親切に歴史話をしてくれました!
2020年10月1日訪問しました。
仙台藩の活動がわかります。
小規模な資料館です、ウポポイのイベントまでの時間潰しで来ましたがあまり見応えは感じられませんでした。
250円だったのでとてもリーズナブルでした。
幕末に北海道警護を任された仙台藩の歴史は見応えあります!陣屋の土塁も綺麗に残っていました。
こじんまりとした資料館ですが、大身の伊達家仙台藩に関係した遺構だけにか、なかなか立派な展示物が並んでいます。
遺構も陣屋といっても結構大きい土塁や空堀が残っており見応えありますよ。
幕末の12年間、蝦夷地警備を託された仙台藩の活動の歴史を学べる資料館。
展示品が充実しており、入館料も安くオススメ。
アイヌのコタンの近くに仙台藩の陣屋があるとは知りませんでした。
すごく勉強させていただきました。
ウポポイから車で3分ほどの所にあります。
空いてるのでゆっくり見学できました。
JAF館員になったら安くなる。
大変感動しました。
場所的にたいした事がないと思っていたので感動です。
ぜひ行って見てください。
収蔵品の多さに驚きでした❗係りの方が親切で気持ちよく見ることが出来ました❗
最初のビデオが分かりやすくて良かったです。
白老にある歴史博物館です。
道内でも珍しい江戸時代の仙台藩のミュージアム歴史的遺産、仙台藩からこの地にやって来た足跡、エピソードなど。
博物館周りの散策も気持ちいい。
子供の日イベント楽しかったです(^ー^)
陣屋に特化してます。
江戸時代・・・蝦夷地と呼ばれた北海道には「武田信玄公」を祖先に持つ「松前藩」が道南に有った・・・。
ペリーが黒船を率いて日本に来た頃・・・時を同じくしてロシアも海外交易を目的に、北海道(当時の蝦夷)近海に度々現れるようになり、危機感を感じた江戸幕府は「蝦夷地警備」として、蝦夷地に近い東北(みちのく)の6藩に依頼した。
余計な事だが・・・ペリー艦隊は「大砲を撃ち、腕ずくで開国」を迫ったのに対し、ロシアは「この地では、交渉は出来ないので、下関に・・・」と言う言葉に従い、翌年の交渉になった為に、アメリカに後れを取ってしまったようだが・・・取り様によっては「紳士」とも言える。
「幕末」とは後で言われた言い方だが、どの藩も経済的には、行き詰っている中での「出張命令」みたいなモノで、各藩は苦労したようだ・・・特にその中でも一番大きな藩「仙台藩」は、概ね北海道の南半分と、今で言う北方4島も警備範囲で、その拠点として築いたのが「白老陣屋」だったようだ・・・機械力のない中、仙台から1~2ケ月も掛けて歩いて行って造った出張所?と言っても、立派な城構えで、2年ほどで造り上げたとは思えないほどである。
警備も広範囲で、白老の他にも何箇所か「陣屋」を設けたようだが、今は基礎石がわずかに残るのみ・・・悪口ではないが、松前藩は先住民のアイヌの人たちに対し、対等な取引を行わなかったのに対し、仙台藩は「共存」を目指して、対等な交流を行ったようで、アイヌの皆様にも受け入れてもらっていたようだが、時は大きく変わろうとしていた「幕末」・・・言わば国策で行われた北方警備も薩摩・長州・土佐の各藩主導による戊辰戦争へと移り、情報が遅れていた白老は、残念ながら敗北の衆となってしまい、逃げるようにその地を追われ・・・小樽より海路、仙台まで戻ったようだ・・・この様な事から、仙台藩としても自慢できる歴史とは言えず、かろうじてその後、明治時代となり仙台藩からは「白石」「亘理」などから移住をした方々が、今の北海道の札幌白石区や登別市・伊達市等々の基礎を築いたのも、幕末のここ「仙台陣屋」が少なからずとも、アイヌの皆様とも共存していた事が足がかりになったのは、間違いない事だと思う。
しかし、同じアイヌの方々の中にも「白老のアイヌは、教えに背いた!」との見方が当時からあり、今に至っているとの事で・・・心苦しい・・・それは、アイヌの教えとは自然との共存で総ての物は神からの授かりもので、生活に必要な最小限度の狩りを重んじていたのだが、白老では遡上する鮭等を、和人と言われた仙台藩と、貿易をして金品と交換して居た事が、その原因かと思われる・・・。
我が先祖一族も、苦労したようで・・・おいらは、毎年「北海道の旅」は白老陣屋に始まり、白老・ポロトコタンで終えるように、計画しているんです・・・。
白老陣屋の近くには、「塩釜神社」「愛宕神社」「仙台藩士と関係者の墓」なども有り、本当は広く・・・あの時代の大きな変化の中で、苦労した方々を、思いやっていただく機会が有れば・・・と、願ってやみません。
最後になりますが・・・白老の皆様方には、今でもそれら総ての関係場所の除草や、清掃、整備を行って頂いている様でして・・・感謝いたしております。
名前 |
仙台藩白老元陣屋資料館 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0144-85-2666 |
住所 |
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営業時間 |
[火水木金土日] 9:30~16:30 [月] 定休日 |
関連サイト | |
評価 |
4.0 |
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幕末、北海道を守るため仙台藩が白老に、12年蝦夷地警備をした資料が展示されてます。