名前 |
太朗三郎三人様の祠 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
大阪冬の陣の際に、領主より村で人夫を出すよう命令があり、村人達は、浪人である太郎三郎に村の田畑の半分を与える約束をして戦に送り出しました。
しかし、戦の後に太郎三郎が生還すると田畑が惜しくなり、太郎三郎を騙し討ちして惨殺し、それを聞いた太郎三郎の妻も、子ども2人を石臼でひき殺し、自害してしまいました。
その後、村では凶作が続き、村人にも災厄が降りかかるようになりました。
恐れた村人達は、怨霊を鎮めるため石の祠を建立し祀ったと伝えられています。