とてもキレイで立派なお寺です。
2022.10.05入り口の門は立派ですね。
夏にいくと、涼みながら、楽しめます。
バーベキューも、申請すればでき、以外と知られていない穴場です。
かなり立派です!
行ったら不在だった。
ふざけんな❗長谷寺みたいに書き置きでも置いとけー遠方から来たのに❗もう、行かんわ❗
長篠合戦で討死した真田信綱、昌輝兄弟の墓所がある寺院。
ものすごく違和感があり、よく見たら本殿の入口が中心に無い?。
私は、初めて見る作りでした。
真田氏と云えば『昌幸』『信之』『幸村』(TVドラマ真田丸の草刈正雄・大泉洋・堺雅人)は有名ですが『信綱』って知りませんでした。
駐車場でググりました。
『昌幸』のお兄さんに当たります。
甲斐・武田家家臣として仕えていた『真田幸隆』は報奨として真田領を貰い受けます。
そして『信綱』『昌輝』『昌幸』『信尹・のぶただ』の四人の兄弟を授かりました。
『信綱』は『真田幸隆』の長男として『幸隆』と共に『山城』の建設や用水の整備、寺社仏閣の保護など真田の里の発展に努めました。
38歳の時家督相続しましたが翌年39歳の時『長篠の戦い』で『昌照』と共に非業の死を遂げ『昌幸』が後を継ぎます。
(真田丸はここからスタートしたから意外と知られていなかった)その『真田信綱』の位牌寺として建立されたのが『大柏山・信綱寺』です。
真田の里を見下ろせる高台に『信綱』『信綱の妻』『昌輝』のお墓が並んでいます。
真田信綱公、真田昌輝公、白川兄弟などのお墓がひっそりと真田の郷を見守っています。
宝物館や御朱印は事前予約が必要なので、予め電話をして行きましょう。
法事などでいらっしゃらない事もあります。
2020/04/15 追記私は信綱公を一番慕っています。
コロナ騒ぎで旅行系をキャンセルしたので、例によってこちらにも行けなくなってしまいました。
せめてものと思って、現地の人伝にお土産を託したのですが、こちらの住職曰く、「会った事もないやつからの品物など受け取りたくない」(なお会った事ありますが住職が覚えていないだけ)「真田にそんな名前(私の名前)はいない」とのことで、お土産を受け取ってももらえませんでした…。
噂には聞いていましたが、住職の方は相当偏屈な方のようです。
いつも奥様(?)によく応対をしていただいていたのですが、こんな人が信綱公・昌輝公の墓所を守っているとか腹が立つやら、悲しいやら、悔しくて涙が止まりません。
遠く行けない事を思い詰めて、そちらを案じる手紙も入れていたのですが、その思いも蔑ろにされてしまいました。
住職にさえ出会さなければ、よい気分で帰れるのではないでしょうか。
住職の人柄のみ気にしなければ、大変素晴らしいところです。
星は残念ながら、減らしました。
真田町の市街地からはずれた山の中にあるお寺です。
案内看板が小さい上に、お寺に続く道は舗装されているものの畑をやっている地元の方が使っているような道で通行には注意しないといけませんでした。
駐車場はお墓参りをする方の使う駐車場を利用する形となっていました。
近くには大きな広場があり、休憩所やバーベキューなどで利用も多いようです。
私が訪れた時は紅葉のタイミングで紅葉がきれいに赤く染まっていて、とてもきれいで紅葉を撮影している方も見かけました。
石段を上がって境内に入ってお参りをしようとしたのですが、本道は施錠されていて入れませんでした。
せめて御朱印だけでもと訪ねると「私共のお寺は御朱印をやっていないんですよ~。
」とのことでした。
こちらの口コミの中で御朱印は予め予約をしないとだめという書き込みを読んだのですがどっちが正しいのでしょうか。
それとも私に対応したお寺の方は状況を理解していない方だったのでしょうか。
このお寺には名前の由来ともなっている真田信綱が祀られています。
お墓は急な山道を上がった場所にある境内を見下ろす近くの山の上にあります。
設置されている説明書きによると真田信綱は長篠の合戦で亡くなられた方だそうです。
死後、真田信綱の亡骸には戦場で羽織っていたとされる羽織がかけられ現在のお墓に葬られたとのことです。
紅葉がきれいで、静かでした🙆
長篠の戦いで、敗れた「信綱」さんのお墓があるお寺で、お墓参りをさせてもらいました。
宝物殿の観覧は、出来ませんでしたが、次回は予約したいです。
真田の、佇まいが、素敵な空間でした☺️✨
小雨降る中の訪問でした。
近くの広場でバーベキューしてるご家族がいたり、山の中の公園という印象です。
お寺本堂の扉はしまっていてお賽銭は入れられませんでした。
武田信玄の騎馬隊の侍大将真田信綱の菩提寺。
本堂の裏山には真田信綱と信綱夫人信綱の弟真田昌輝の五輪塔が建つ、また家臣の白川兄弟の五輪塔も脇に控えて忠義を尽くす。
そして黒門より少し登った所に祠が有りここが打越城跡とされる。
信綱寺(しんこうじ)は戦国武将・真田昌幸の2人の兄・信綱と昌輝、そして信綱の正室である北の菩提寺です。
信綱は真田幸隆の長男として生まれ、幸隆没後の天正二年(1574)に真田家の家督を継ぎましたが、翌年の天正三年(1575)に武田勝頼に従い三河長篠(愛知県新城市)に出陣。
有名な長篠・設楽ヶ原(ながしの・したらがはら)合戦で武田方として織田・徳川連合軍と戦います。
しかし信長軍の鉄砲による攻撃を受け、弟・昌輝と共に亡くなりました。
この時、信綱と昌輝の首級は家臣・白川勘解由兄弟が信州に持ち帰り、信綱寺の桜の下に葬られましたが、江戸時代の享保二年(1717)に信綱寺の移築にともない、墓所も現在の場所に移されたそうです。
とてもキレイで立派なお寺です。
境内のあちこちに六文銭が見られます。
特に案内はされていませんが、書き置きの御朱印頂きました。
コチラにもしっかり六文銭の朱印(*´ω`*)♪
とてもキレイで立派なお寺です。
境内のあちこちに六文銭が見られます。
特に案内はされていませんが、書き置きの御朱印頂きました。
コチラにもしっかり六文銭の朱印(*´ω`*)♪
武田信玄の騎馬隊の侍大将真田信綱の菩提寺。
本堂の裏山には真田信綱と信綱夫人信綱の弟真田昌輝の五輪塔が建つ、また家臣の白川兄弟の五輪塔も脇に控えて忠義を尽くす。
そして黒門より少し登った所に祠が有りここが打越城跡とされる。
曹洞宗 真田信綱 真田昌輝墓所金毘羅大権現。
静かで趣があります。
お寺のすぐ目の前まで車で入っていけますが、信綱の墓所を目指す場合少し場所が分かりづらいです。
名前 |
信綱寺 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0268-72-2043 |
住所 |
|
関連サイト |
http://www.city.ueda.nagano.jp/kankojoho/shisetsu/sanada/004.html |
評価 |
3.8 |
信綱寺は、元横尾家の菩提寺で横尾城の城主が敗北して群馬県富岡市の大桁山に落ち延びた後に真田家の菩提寺になったとか!