独鈷山麓に築かれた城。
長野県最大の中世城郭跡(県指定史跡)。
鎌倉幕府第6代連署北条義政がこの地に居館を構え、以後3代60年間統治した。
戦国時代に入り村上義清が被官福沢氏をこの地に置き、弘法山の中腹まで改修して山城を築き、村上滅亡後は武田氏が拠点城として活用した。
山城のある弘法山は古くから山岳信仰があり修験の場であったと考えられ、中腹の「虎の口」の石積みと石組み井戸は発掘調査から戦国時代以前のものと判明している。
山岳信仰またはそれらに関する宗教施設を利用した山城と推定するが、どうであろうか。
この時期は虫が活発なので虫除け対策をしっかりして入ることをお勧めします。
あじさい小路があり、この時期は蜩が鳴くなか紫陽花の遊歩道から塩田平が見えます。
案内は有りますが、倒木が多く通路がわかりにくいです。
特に砦跡へは、大変でした。
塩田城は土塁や虎口跡くらいしか遺構はなく観光客もおらず静かに散策できました。
またこの塩田平は国宝や重文を保有する寺社が多く、写真の3重塔は前山寺のものです。
ルートを絞り歩いて散策するほうが楽しめそうです。
紫陽花の満開の頃にもう一度来たいです!まだ、咲き揃わず(u003e_u003c)虫対策は必須です、お気をつけて😅
私はこの場所に着くために自転車を使った。
。
アジサイの花はとても美しい。
北条一族の居城。
アジサイで有名です。
蚊が多いので、散策の際は虫よけスプレーをした方が良い。
執権北条氏の居館。
今は、紫陽花で有名です。
独鈷山麓に築かれた城。
鎌倉文化を花開かせた北条一族の義政の居城でしたが、戦国時代に入るとは、村上義清が福沢氏をおいて東信濃を統治させていました。
天文22年、信玄の攻撃によって葛尾城を追われた義清は、上杉謙信を頼り、12年にわたる川中島の戦いが始まりました。
謙信によって一時は所領を取り戻して葛尾城から塩田城に拠点を構えた義清でしたが、再び信玄に追撃され、越後へ逃れました。
信玄は、この城を川中島進軍の拠点として飯富虎昌ら重臣を常駐させました。
駐車場に説明板に草刈りされた虎の口跡など、さすがに整備されてる♪(^-^ゞ畝状竪堀があるケド..ここは草で見にくい..(-_-;).. まぁ、一番デカめの竪堀u0026竪土塁はなんとか見えたよんさあ、上の城までレッツどーん!って比高約300m...(((^_^;)
少し怖そうです。
こちらは塩田城跡下の城です塩田城跡下の城はここから更に上辺りから北條国時の墓辺りまで及びます。
塩田城上の城跡は更にそれより上で弘法山の山頂あたりです。
歴代城主:北条氏・村上氏・武田氏。
こちらは塩田城下の城です塩田城下の城はここから更に上辺りから北條国時の墓辺りまで及びます。
塩田城上の城跡は更にそれより上で弘法山の山頂あたりです。
広場に咲く紫陽花は、なかなかの見応えです。
紫陽花が咲く頃に訪れてください。
静かな癒しの空間です6月下旬頃から見ごろを迎えるアジサイ群がおすすめです。
名前 |
塩田城跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
関連サイト |
http://www.city.ueda.nagano.jp/kankojoho/shisetsu/shiseki/010.html |
評価 |
3.7 |
谷を段にして曲輪を造成している城跡 動物避けのフェンスを超えて登って行くと石垣で造られた見事な虎口が現れて来ます。
さらに上には曲輪が続き、岩盤の尾根には砦の跡も残ります。