函館五稜郭ほど大きく堅固ではないので見劣りしてしま...
春、桜が開花すると訪れたくなります。
言わずと知れた『五稜郭』ですが、お堀も星形に完成していません。
工事に携わる人夫・人足に食事を提供する『御台所』が一番に造られ、『星形』のお堀と『石垣』を造っている最中に『明治』になってしまいました。
明治政府発令の『廃城例』の為にそれ以上お城を造る事が出来ず、かといって壊す場所も無い。
内部の広く平坦な土地を利用して『尋常小学校』が建てられました。
この『龍岡城』は日本で最後に建てられようとしたお城で、城主は『松平 乗謨・まつだいらのりかた』三河奥殿藩(現岡崎市)の藩主だった方です。
『松平』の姓からも『徳川家』に近く、若くして『江戸城若年寄』の地位を授けられ、いち早くフランス式軍事を取り入れたりしました。
東海道に面し、何時戦火に見舞われるか知れない土地より、守備力に優れ、米の生産高の高い『信濃国・田口』に築城を決めました。
此の城は唯一死者が出ていないお城です。
明治政府に仕えている頃は『勲章制度』を取り入れようとしました。
その後廃藩置県で『田口藩』其の物が無くなり『大給恒・おぎゅうゆずる』と解明します。
『日本赤十字社』の前身にあたる『博愛社』の創設に大きく関与し、伯爵の称号を得ました。
日本に二つしかない『五稜郭(未完成)』ですが、長らく小学校が在ったお陰で開発されずに当時のまま残されています。
山の高台には展望台が造られ、見下ろすと『星型』の『五稜郭』が覗えます。
函館の五稜郭は知ってましたが、長野にもあったとはっ!今は本丸跡は小学校になってます。
展望台まで数十分で登れますが、完全な登山道。
雨上がりは滑って危険だと思います。
これは素晴らしい五稜郭です。
北海道の函館とここ龍岡城の2か所にしかない星形の堀を持つお城です。
函館五稜郭から遅れること4年、幕末近い1864年に着工し、1867年に完成したそうです。
城跡には田口小学校があります。
ドローンでもなければ五稜郭を直に見ることは叶いませんが、旧田口城址にあがるとそれらしく見えます。
結構急斜面ですが、上がる価値はありました。
先週はまだ蕾だったのでリベンジで訪問しました。
満開で堀に桜が映えます!人もそれほど多くなく穴場かも知れません。
車は五稜郭公園に停めた方が良いと思います。
散策するには丁度良い広さかな。
日本に二つしか無い五稜郭の一つ。
規模、堀の幅は小さく実戦的では無いイメージ。
当時の時代背景と、藩主の石高からすると先進的な取り組みであった事が感じられる。
佐久市には何度となく訪問していましたが今回初訪問。
函館と比べるとスケール感で落ちますが、施設の説明資料等を見ると、以外と見応えが有ります。
(元藩主は日本の勲章のデザインを考えた人)歴史好きの方は、お近くに行かれた際は是非お立ち寄り下さい。
4月11日、佐久市の桜巡りをしてきました。
日本に二つしか無い五稜郭で、郭の内側は小学校になっています。
桜の季節は校舎からも素敵な景色が見れて良いですね。
水のあるお堀は全体の3/5ですが、桜は全体に植えてあるようです。
神社やお城関係の施設も郭の中(校庭)にあります。
日本に2つしかない星型稜堡です。
藩主は三河国奥殿藩 大給松平氏。
日本赤十字社創設者の一人である大給恒氏です。
1867年竣工。
堀は未完のまま明治維新を向かえ、廃城令により取り壊しになってしまったそうです。
石高から考えてお城というより御殿があったようですし、堀の規模から実用のお城という感じではなかったのでしょう。
現在は敷地に小学校があります。
堀は一部未完成ですが立派な切り込みはぎの石垣が残っています。
亀甲積みもみられます。
周囲をぐるっと一周されると良いです。
函館五稜郭ほど大きく堅固ではないので見劣りしてしまうが綺麗に星形をしているのはみてとれます。
ちょうど桜が満開の時期で良かった。
日本に二つしか残されていない星形の縄張りが特徴的な近代城郭の五稜郭。
その有名ではない方の五稜郭です。
桜が見頃との情報を得たので発起して朝の7時前というかなりの早朝に訪問しました。
お堀に巡らせている桜並木はまさに満開、早朝の凛とした青空にピンク色の桜がとても映えて、日本人でよかったという風景を見ることができました、大満足。
お城の感想としては、まずなんでこんな山間の場所に五稜郭のような近代城郭が作られたのか、という素朴な疑問と、綺麗に整えられているけど堀、狭いなぁという印象。
弓矢しかない中世ならともかく洋式銃や大砲などが発達し始める幕末ではすぐに落とされてしまうよね、と思いました。
とは言え日本で二つしかない貴重な縄張りゆえ、国の史跡にも選定されています。
心残りは五稜郭の展望台となっている田口城跡に登らなかったこと。
桜も満開だったし上から見たら綺麗だったろうなー🌸
もう一つの五稜郭。
お城としての防御力は弱そうだけど、城郭としては美しい限りです。
上田城に行く方は、ぜひこちらにもお立ち寄りいただければと思います。
ただ、城跡に学校があるため、平日に校内を歩き回ってもいいのかどうかは、よく分かりません。
隠れた名城。
日本史上最後に建設された城郭やも。
現在は小学校の敷地なんで訪問の際はくれぐれも良識をもって。
親藩の松平氏だから作れた幕末の城郭函館をイメージすると小ぶりですが特徴的なお城で一周できるので近くに来たならオススメ。
日本に2つしかない五稜郭ということで珍しかった。
資料館みたいな所があったけれど もう少し解りやすく展示されていたらないいのにと思いました。
濠があるのは正面と一部のみ。
裏側は濠がありません。
石塁は低いですが現存しています。
城の外側を一周するのも楽しいです♪現役小学校が存在するので注意が必要です…(^_^;)御台所と呼ばれる当時の建物が現存しています。
これも貴重ですね。
最寄り駅はJR小海線臼田駅。
龍岡城駅という駅も隣の駅でありますが、龍岡城駅からは2㎞以上あります。
佐久市を代表する史跡。
城自体は残っていませんが、お堀と石垣がはっきり残っています。
御台所も歴史的価値が高く、地図上で見ても見事な五芒星です。
西洋式五稜郭は、日本では函館五稜郭と長野県佐久市のこの龍岡城のみです。
現在小学校がありますので、見学の際は周辺に配慮して、小学校敷地に入ったり、大きな声を出さないようにしましょう。
龍岡城(たつおかじょう)は、長野県佐久市田口にある日本の城跡。
幕末期に築城され、龍岡藩(田野口藩)の藩庁が置かれていた。
龍岡藩は1万6千石の小藩のため厳密には城ではなく陣屋である。
日本に二つある五芒星形の星形要塞のうちの一つである。
築城当時、内郭の中央に御殿が置かれ、正門、通用門はそれぞれ東北、東南の凹面に、また非常門は西北と南南東の凹面に設けられていた。
このほか、藩士の長屋や火薬庫、太鼓楼、歴代藩主の祠堂や稲荷社などがあったようだ。
現在の城跡は、稜堡式の石垣や水堀、御台所が現存している。
廃城後は城内のほとんどが農地転用され、御台所は農機具倉庫として使用された。
日本に二つしかない星形城郭(五稜郭)。
函館の五稜郭と比べて小規模だが、城全体を見学するには丁度良い規模と言える。
城内の大半は佐久市立田口小学校の校舎やグラウンドとなっている。
唯一の現存建物であるお台所は二週間前に団体(概ね20人くらい)で佐久市教育委員会に予約すれば中の見学も出来るとのこと。
土日祝日であれば中の土累沿いにグルっと一周して巡ってみてお堀のある箇所、無い箇所を全て見るのもまた一興で楽しめる。
続百名城入りしているが、まだそれほど人は殺到していないので静かな雰囲気で散策を楽しむことができる。
落ち着いた城跡です。
記念館ではおみやげが買えます。
規模は小さいけれど、立派な☆型。
一見の価値有り。
中は小学校になっています。
五稜郭の面影は星形の堀割にみられます。
函館の五稜郭をイメージするとちょっとガッカリかも。
駐車場は数台停められます。
函館までいかなくとも、五稜郭が見られるなんて♪感激です。
次回は、桜の咲く頃に行きたいなぁ。
ピンクのペンタゴン。
(参考→写真撮影した山頂まで、車で行けます。
しかし、幅が狭い林道です。
対向車が来るとバックしあい、譲り合いしなければなりません。
運転が下手な人、車に傷を着けたくない人は絶体に行かないでください😭😭😭。
ワンボックスカー、マイクロバス、もちろん観光バスでは、不可能です。
ふもとから、山頂まで歩くしかないのです。
)
きれいに整備されています。
まあ隣接されている「であいの館」で色々な情報を得ることが出来ますし対応してくれる係の方も親切な方ばかりでした。
冬場だったので山の上からの展望が出来ず残念です。
また春になったら全景を見に行きたいです。
名前 |
龍岡城跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0267-63-5321 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
3.8 |
五稜郭の全貌を見るには裏山の展望台に行く必要があります。
蕃松院入口から150m程東側のミラーのある所から入って、20分ほど登れば展望台です。
雨の後でなければスニーカーで行けます。