源頼朝は三浦へ何度も足を運んでいて三浦に3つの御所...
源頼朝は三浦へ何度も足を運んでいて三浦に3つの御所(三御所)を建てました。
ここはそのうちの桜の御所と言われます。
当時はここに多くの桜の木を植えて宴を開いていたそうです。
お花見の前身!?頼朝も、頼家(2代将軍)も、実朝(3代将軍)も訪れた地です。
源頼朝公が風光明媚なここ三崎に 桜、桃、椿の御所が設けたと伝わっており、ここ本瑞寺は「桜の御所」の跡地にあったところです。
桜の御所に多数の桜樹を植えるだけでなく、対岸の城ヶ島に植えられた桜をも望見するといった宴をしばしば催したそうです。
また、こうした観桜の宴には、二代将軍頼家、三代将軍実朝も訪れたとも伝わっています。
今でも、桜の御所跡と云われるだけあり、綺麗な花が咲き、緑が映えるため息が出る程の美しい境内です。
また、芸術家好みのお寺なのでしょうか?近代美術の先覚者と云われる岩村透のお墓や胸像、彫塑家の北村四海のお墓や作品があったり、また、ホトトギス波の俳人である松本たかしのお墓や句碑も建てられています。
境内を巡るだけで本当に目の保養となります。
源頼朝公の保養地だけであって。。。
すごく綺麗な景色でした!!厳かなお寺で、お花がとても美しいです。
長い階段を登った後ろに見える海のロケーションも素敵です!
素晴らしいと思います。
R2.7.30参拝 9時ごろで早かったですが御住職様が快く受けて下さいました。
三浦28不動尊霊場7番、三浦地蔵尊霊場15番、関東百八地蔵尊霊場88番(差し替え式)、だめもとで関東百八地蔵尊の御朱印帳有るか聞いてみるとなんと有るとのことで頂戴いたしました。
2020/6/20拝受 曹洞宗の寺院。
関東百八地蔵尊霊場第88番札所になっております。
第88番札所の御朱印(延命地蔵尊)を頂きました!関東百八地蔵尊霊場の神奈川県最南端の札所です!
庭が、とてもいい❗
駐車場あり。
駐車場が狭いので、夏のお施餓鬼時は臨時で近くの小学校の校庭を駐車場として解放していました。
掃除が行き届いたキレイなお寺です。
季節の花がいつ行ってもきれい あまり見ない花もあり楽しい 大きな瓶に蓮の花もあって咲く時期には見事です。
三浦三十三観音霊場の参拝で一番札所の音岸寺を管理しているとのことでお伺いしましたが、御朱印は地区の代表の方が管理している事を確認し連絡を取りました、無事御朱印をいただく事ができました。
小浜景隆の三崎邸の跡で、その前は旧三崎城主北条氏規の家臣・南条昌治の邸があったところという。
源頼朝ゆかりの三御所のひとつ桜の御所ですが、現在は梅がきれいです。
格式あるお寺で三崎の町や城ヶ島が一望でき、源頼朝もこの景色を眺めていたのでしょう…祖父母のお墓があるので時々訪れますが以前は景色がよく見えたのですが、今は樹木に覆われてしまいちょっと残念です。
でもなぜかここにお墓参りに来ると清清しい気持ちになります。
本瑞寺曹洞宗三浦二十八不動尊霊場 第17番札所 海雲山 龍潜庵。
境内の広さは現代では普通。
しかし歴史は深い。
扇谷上杉家から三浦家に養子に入り、三浦家を乗っ取った三浦同寸公の御子息で名将の三浦義意公が開基した御寺。
当初は三崎3丁目付近の地区に所在したが、江戸時代、度重なる大火で焼失し、火災を避けて現在地に移転した。
同地は鎌倉時代までは歴代将軍の春に桜鑑賞をして過ごす別荘「桜の御所」だった。
境内地が平安末期~鎌倉時代まで桜が植林されており、対岸の城ヶ島も観賞用に桜が植えられており源頼朝公を始めとする将軍が遊覧した。
戦国時代には北条氏規の居城、三崎城が築かれ城域の一部だった。
近くの港は北条湾と呼ばれ、北条橋が掛かり往時の名残を残す。
明治時代に小桜姫がヒロインの❝桜の御所❞を小説家村井弦斎が執筆した場所がここ。
小桜姫は歴史上実在しないが、モデルに成った房総の小大名真里谷武田家の姫と夫婦だった戦国時代初期の三浦義意公と、この本瑞寺が所縁の場所で有る事から、実名の残らない真里谷武田家の姫の名を本瑞寺の歴史や、真里谷武田家の当主が亡命した横浜市金沢区の称名寺の雅なイメージから、「小桜姫」と村井弦斎によってヒロインが名付けられた。
現在では城ヶ島も本瑞寺も桜の名所では無いが、その歴史は名将三浦義意公に由来する名刹である。
境内の広さは現代では普通。
しかし歴史は深い。
扇谷上杉家から三浦家に養子に入り、三浦家を乗っ取った三浦同寸公の御子息で名将の三浦義意公が開基した御寺。
当初は三崎3丁目付近の地区に所在したが、江戸時代、度重なる大火で焼失し、火災を避けて現在地に移転した。
同地は鎌倉時代までは歴代将軍の春に桜鑑賞をして過ごす別荘「桜の御所」だった。
境内地が平安末期~鎌倉時代まで桜が植林されており、対岸の城ヶ島も観賞用に桜が植えられており源頼朝公を始めとする将軍が遊覧した。
戦国時代には北条氏規の居城、三崎城が築かれ城域の一部だった。
近くの港は北条湾と呼ばれ、北条橋が掛かり往時の名残を残す。
明治時代に小桜姫がヒロインの❝桜の御所❞を小説家村井弦斎が執筆した場所がここ。
小桜姫は歴史上実在しないが、モデルに成った房総の小大名真里谷武田家の姫と夫婦だった戦国時代初期の三浦義意公と、この本瑞寺が所縁の場所で有る事から、実名の残らない真里谷武田家の姫の名を本瑞寺の歴史や、真里谷武田家の当主が亡命した横浜市金沢区の称名寺の雅なイメージから、「小桜姫」と村井弦斎によってヒロインが名付けられた。
現在では城ヶ島も本瑞寺も桜の名所では無いが、その歴史は名将三浦義意公に由来する名刹である。
名前 |
本瑞寺 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
046-881-2474 |
住所 |
|
評価 |
4.1 |
本当に綺麗で掃除が行き届いたお寺さんですね。
お参りしていて気持ち良いです。
お寺の正面は急な階段を昇らなくてはいけないので裏手から入ったほうが良いです。
隣に光念寺が併用していてここから三崎や城ヶ島が綺麗に見えます。
欲を言うなら木のベンチが壊れているので修理か新しいベンチを置いて欲しいですね。