いつ行ってもキレイに掃除されています。
ヤマトタケルが立ち寄った場所という言い伝えがあるそうです。
古い造りですが、雰囲気のある神社です。
神代杉は長野原町指定天然記念物です。
緑豊かで清らかな雰囲気の神社でした。
境内は道祖神や末社がありました。
王城山神社(おうじょうざんじんじゃ・みこしろやまじんじゃ)里宮主祭神 建御名方命 八坂刀賣命配祀神 品陀和氣命 菅原道眞公合祀神 宇迦之御魂命 大山津見命 市寸島比賣命 日本武尊境内神社 八坂神社 桜木神社 秋葉神社 琴平神社 熊野神社王城山神社は林村一円を主たる氏子区域としています。
奥宮は王城山の頂にあります。
古記に三原の内長野原郷総鎮守とあり、社領はかつて北条、真田、徳川の朱印地除地となっていました。
山頂の奥宮は諏訪神社上社、山裾の里宮は諏訪神社下社と称しましたが、明治四十年(1907)村内の木霊神社、大山祇神社、稲荷神社、厳島神社を合祀し、奥宮の鎮座地王城山にちなんで「王城山神社」と改称しました。
社殿は権現造、構造の堅、彫刻の密、典雅な社です。
本殿の構造は時代不詳ですが、享保年間(1716~1736)の修築、天保年代(1831~1845)の改葺等、梁簡に記され、幣殿拝殿は嘉永五年(1852)の再建、拡築による、神楽殿、社務所を備え完備しました。
昭和十六年(1941)十一月郷社に昇格しました。
(境内案内板より)王城山は日本武尊東征の時、御駐屯なさった旧跡で、人々は長く尊をしのんで山上に祠を建て、日本武尊と諏訪明神を祀り、後に山麓に里宮を建てて、三原庄長野原郷の総鎮守としたといいます。
境内には樹齢四百年を超える長野原町指定天然記念物の「神杉」があるほか、宝永三年(1706)と最古の道祖神が安置されています。
(サイト「玄松子の記憶」より)だんご相撲「だんご角力神事」団子相撲は、米の粉で人形を作り、参詣の子どもに投げさせた行事に起こるといわれ、それがいつのころからか男の子が相撲をとるようになったといいます。
「上古は米の粉にてつくれる人形を社前に投げたりと云ふ、今十歳前後の小児をして角力はしむその作法中一般角力の如き仕切りなく力士互に手を取り合ひ霊振りしつゝ鎮魂歌を歌ふ状何時の頃より始まりしや詳かならずと雖も石上の布留の神事など思はれてゆかしき手振りなり」(「王城山略縁起」より)
小さな神社ですが向拝の彫刻良いですね。
境内は狭いですが地元の方々に大事にされているらしく、いつ行ってもキレイに掃除されています。
ここを参拝した時に忘れ物をしてしまい、一週間後に探しに行ったらなんと忘れて来た場所にそのままの状態で残っていました。
実はもうないだろうと諦めていたので感動してしまいました。
社殿の彫刻もなかなか見事です。
面白いのは彫刻に奉納した方の名前が表示されていること。
ちょっと他では見たことがありません。
この神社の前の道を少し西に進むと王城山の登山口があります。
古城と呼ばれる山頂を越えたもう一つ先のピークに王城山神社の奥宮が祀られています。
境内は狭いですが地元の方々に大事にされているらしく、いつ行ってもキレイに掃除されています。
ここを参拝した時に忘れ物をしてしまい、一週間後に探しに行ったらなんと忘れて来た場所にそのままの状態で残っていました。
実はもうないだろうと諦めていたので感動してしまいました。
社殿の彫刻もなかなか見事です。
面白いのは彫刻に奉納した方の名前が表示されていること。
ちょっと他では見たことがありません。
この神社の前の道を少し西に進むと王城山の登山口があります。
古城と呼ばれる山頂を越えたもう一つ先のピークに王城山神社の奥宮が祀られています。
名前 |
王城山神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
4.0 |
王城山の登山口になります 王城山は登山道はよく整備されています。