歴史を知る上でとても興味深い場所です。
当時の新政府軍の卑劣なところが、良く分かります。
倉渕の曹洞宗のお寺です。
小栗上野介の墓があります。
幕末期の徳川運用資産や維新の混乱によって処刑されたようです。
「東善寺」は曹洞宗の寺院で旧倉渕村(今は合併されて高崎市)と言う山あいの静かな里に位置しています。
そんな東善寺が有名なのは小栗上野介忠順に所縁のある寺院である事です。
幕末の江戸幕府側に興味があれば一度は訪問すべき場所だと思います。
新政府軍から疎まれ早々に一方的に処刑された為に歴史に残らず、且つ正当な評価がなされていない為に非常にマイナーな存在ですが、才能と先見性は当時の幕閣の中では群を抜いていたハズです。
(ネジのエピソードは2021年の大河ドラマでも取り上げられていました)願わくばもっと彼の活躍を見てみたかったです。
そんな忠順に纏わる宝物や墓碑等もこの東善寺にはありますのでゆっくりと境内を散策してみて欲しいです。
小栗上野介終焉の地散歩幕末、小栗は一家揃って高崎市にある東善寺に移り住む。
村の水路を整備したり塾を開くなどして過ごしていた。
慶応4年(1868年)小栗は東山道軍により東善寺にいるところを捕縛され、2日後、取り調べもされることもなく近くの河原で斬首されている。
42才。
小栗氏のお墓まで徒歩3分位登れば着きます。
竹林を見ながらあっという間てす。
ぜひ、お参りしてくださいませ。
小栗上野介墓所。
遺品収蔵展示あり。
色々なお花が咲いていて心安らぎます。
垂れ梅 猫柳 福寿草が咲いていました。
御朱印を頂きました。
優しい方でした。
横須賀出身で子供の頃から小栗さんの銅像をみて育った自分としては絶対に行かなくてはならない場所だった為、お墓まいりに行きました。
駐車場が完備されており貴重な資料見学も格安でした。
住職も親切丁寧で案内をしてくださいました。
当時の貴重な資料は小さな別館にありましたが、本道内にある資料はパネルで紹介されており歴史を知らない方にも簡単に理解できる様になっておりました。
また小栗さんの歴史を学びたい方には、豊富な資料がございますので閉館時間まで楽しめると思います。
東善寺は、寛永10(1633)年開創と伝わる曹洞宗の寺院で、本尊は釈迦牟尼仏です。
境内には県指定史跡の『小栗上野介忠順の墓』があり、庫裡に拝観料100円の資料館があります。
周辺には小さな駐車場が複数箇所存在します。
こちらには幕末、家臣とともに斬殺された小栗上野介父子のお墓があります。
上野介忠順(ただまさ)は、新潟奉行であった小栗忠高の長子として、江戸駿河台に生まれました。
青年時代は学問に秀で、剣は直心影流免許皆伝でありながら、江戸城に出仕すると歯に衣着せぬ物言いを憎まれ、役職を追われては、また惜しまれて戻されるという繰り返しだったといいます。
しかし、その剛直を大老となった井伊直弼に見込まれ、日米通商条約批准書交換のため渡米。
西欧の文明を目の当たりにして帰国すると、外国奉行、勘定奉行、江戸町奉行、陸軍奉行、軍艦奉行などの要職を歴任。
横須賀造船所を創設するなど、多大な功績を残しました。
しかし薩長に対し、あくまで主戦論をとなえたため幕閣を追われ、上州権田の地に隠棲しました。
これで政治的には無害な人物となったにも拘わらず、薩長は言いがかりにも似た罪を着せ、忠順を水沼河原に引き出し、家臣とともに斬殺。
その翌日には、養子の又一も高崎城内で、同じく家臣とともに斬殺されたといいます。
優れた人物であったゆえの悲劇とも言えるでしょうか(;_;)/~~~このお寺の遺品館と本堂に展示されている史料の数々は御住職が収集された物らしいですが、一見の価値があります。
遺品の拳銃やホルスター、処刑場に乗せられて行った駕篭、本人の汗の染みた陣羽織等々。
しかも拝観料はタッタの100円!申し訳ないくらいです(^_^;)墓地には立派なお墓がありますが、家臣達のお墓にも、それぞれ説明板が付いており、読むと胸がジーンと痛みます。
上野介の墓には、血の色を思わせる深紅の椿が咲いていました。
これは小栗椿と呼ばれ、上野介が江戸屋敷で鉢植えにしていたものだそうです。
何だか暗い運命を暗示するような不吉な色合いですが…作家の早乙女貢や井伏鱒二も訪れているらしく、記念植樹がありました(^_^)vなお、この東善寺がある倉渕村は、もともと群馬郡倉田村と碓氷郡烏渕(うぶち)村が合併したもので、そのとき両村の名前を一字ずつ残し「倉渕」としたのだそうです(^_^ゞ
東善寺には、小栗上野介のお墓が有り多くの展示がされています。
書籍も販売されており小栗や幕末の様子が解ります。
小栗まつりも毎年行われます。
寺の裏山の中腹に小栗上野介と家臣の墓がある。
徳川に支えながら、日本の後世の事を考えて心の大きさと先見の明があったのだと改めて思った。
上野介がアメリカと初めて通商条約締結を行なったのに、何故、勝海舟と護衛の咸臨丸の方が目立つのか何かわざとらしさが感じられる。
あまりに能力があるが為に散々意地悪された挙句に斬首されてしまった。
さぞや無念であったろう。
日本近代化の英雄のひとり。
こういう人物がいたのだという事実を忘れない。
我が国の屈指の天才よ、安らかに。
小栗上野介とその家臣が眠る寺です。
斬首された後に、領内のこの寺に埋葬しなおしたそうです。
本堂内には、幕末に活躍した帆船模型が展示されていました。
また、遺品を展示する別館が有ります。
本堂脇の講堂だと思いますが、詳しい展示があり、大変、勉強になりました。
お墓は、少し坂を登った所にあります。
表示板が有るので、すぐに見付けることが出来ました。
駐車スペースが、本堂の斜め下の方に有ります。
国道から坂を昇ると右側です。
拝観料が必要ですが、その価値は、十分にあると思いました。
小栗上野介のお墓がある❗
歴史を知る上でとても興味深い場所です。
小栗上野介の寺駐車場は国道沿いに2箇所。
境内横にも有ります。
住職は非常に横柄な態度です。
小栗上野介公のお墓まりに行くならば問題ないでしょうが東善寺寺院の関係者には関わらない方がいいです。
人間的に最低です。
日蓮聖人が禅天魔を体現したような村上という住職がいます。
只管打坐不立文字を額面通り実行されています。
道元禅師の教えも釈尊の教えも一切説かないそうです。
お寺はキレイでした。
ただそれだけです。
朝倉文夫1921小栗上野介忠順胸像(1944セメント化、横須賀市から移設)栗本鋤雲像。
名前 |
東善寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
027-378-2230 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
駐車場が広くて良いが、境内はむしろ狭いと思う。
小栗公の遺品館は、申し訳ない位な状態。
しかし、建て替え募金が1口1万円は高額過ぎて手を出せない。
近所のおばあちゃん達が集まって煩くて、趣も何もない。
犬の散歩方が2組、それぞれ肝心な場所で佇んでいた。
(勝手言って申し訳ないけど)