断崖城跡堀は、しっかり残っています。
今日いきました景観がよかったです。
本丸への標示のある狭い坂道を上がった所に駐車スペースがあり、ここがⅢ郭の北部で南にⅡ郭土塁が見えます。
車を降りて西に進むと虎口があり、左に行くとⅡ郭の北西隅に城址碑と説明板があります。
主郭は崖端にあって高土塁を巡らし、東南の虎口は西の坪の枡形から強力に前面を側防しています。
Ⅱ郭は主郭の北東南三面を包み、外縁の高土塁と空堀は巧妙な「折」を構え、東北の虎口は南の横郭から側防されて堅固です。
Ⅲ郭はⅡ郭の北東南を囲み、東南部の角欠きはⅡ郭堀との間に「時の虎口」を備えるためであるなど、この城の構造は戦国末期の理論的築城法を充分に発揮しています。
西側斜面は相当崩落しているようですが、農耕地にありながら良くこれだけの遺構が残ってくれていることに、先ずは感謝の城郭で、土塁の規模の大きさに驚くばかりです。
駐車場から主郭まで5分。
(2014年登城)
2018/4/1上杉謙信が関東越山のために造った城であるらしい。
街道を見下ろす位置にあり、城域もなかなか大きい。
主郭以外はほぼ畑になっているが、空堀や土塁がとても綺麗に遺っており、馬出らしき跡もよくわかる。
畑に転用されてる所もあるがなかなかの遺構が楽しめる。
岩本駅から一時間ほど歩くことになります。
本丸と二の丸と三の丸から構成されています。
遺構としては、本丸、本丸と二の丸の間の空堀がしっかりと残されてます。
二の丸と三の丸は田畑になってます。
関越自動車道の長井坂トンネルの上にあったのですね。
長井坂城の案内板が赤城山麓周回道にありゴルフ場に行く時にいつも気になっていました。
そこから初めて登城しました。
農道で道が狭く大きな車では難しい場所にあります。
駐車場は城跡内にあります。
この城は後北条氏の境目の城で沼田城に対峙していた城で城内に昔の沼田街道が通っていたとか。
郭の数は多くあり遺構は残っています。
両岸は谷と川に挟まれ赤城山麓方向は堀と土累で防いでいます。
でもくれぐれも道狭いので注意が必要です。
道は細いが景色はよいよ!
看板だけ見て行ったら本丸跡までは行けたものの行ってみたら畑でした。
駐車場もなかったです。
長井坂城の全景は、西にある「うわの展望広場」から、確認することができます。
築城者・築城年代は不詳ですが、西暦1560年(永禄3年)に上杉謙信が沼田城を攻めたとき、ここに陣を置いたとの説もあります。
白井城の支城の1つで、北条氏の沼田攻略の前線基地でもあり、永井の沢を挟んで対峙する真田氏との間で争奪が繰り返されましたが、西暦1590年(天正18年)、小田原城の落城とともに廃城になりました。
北は急崖、西は利根川の断崖に臨む崖端城で、西の断崖上に本丸があり、二の丸と三の丸とが東からこれを囲繞する囲郭式構造をもつ城です。
綾戸ダムの眺めが良い。
三の丸前に車を停められるスペースあり。
ただ、アクセス路が狭いので注意が必要です。
何も無い感じですが、マニアには良いのかも。
関越道長井坂トンネル北側出口の真上にある城址です。
二の丸は畑になっていますが、二の丸と本丸は遺構が良く残っています。
約500年前の人1人が歩ける幅の土塁の上を歩くことができます。
土塁と空堀の組合せは見ごたえがあります。
土の城のリアルな実感を体験する事ができます。
ただし観光地としての整備は最小限なので山歩きの準備をしていく事をお勧めします。
何もないと思っていたら、遺構が以外と残っていた。
断崖城跡堀は、しっかり残っています。
曲輪は、よく解りません。
岡からどう守ったかな?
利根川左岸の囲郭式の断崖城である。
郭や堀や土塁が残り、関越道を眼下に谷川連峰を望むことができる。
場所がとてもわかりにくいです。
駐車場もないので探すときに周辺をうろうろしました。
跡地自体もちょっと実感出来ない感じでした。
規模の大きな遺構がよく残る城跡。
一部耕地化してますが、堀や土塁などは良く残ってます。
名前 |
長井坂城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
最高のテクニカルな作りThe北条!と言った土づくりの山城。
とにかく素晴らしい!