ここから進めば本丸は至近だ。
上野国の戦国大名として勇名を轟かせ、かの武田信玄も戦うのを避けたと言われる長野業正が本城とした平山城です。
そして「剣聖」上泉信綱(伊勢守)所縁の城でもあります。
城の西側の外堀は失われているものの曲輪の保存状態はよく、見ごたえ十分です。
業正は臨終に際してみずからの死を秘匿するよう遺言しましたが、内情はほどなくして信玄の知るところとなり、箕輪城攻めの兵を起こします。
武田方の陣中にはこの戦が初陣となる武田勝頼、長野方の陣中には長野氏の家臣であった信綱と、その弟子の疋田文五郎、神後宗治がいました。
業正の子の業盛は奮戦したものの衆寡敵せず、箕輪城は信玄の手に落ちて長野氏は滅亡します。
勝者となった信玄もその十数年後に上洛の途中で陣没し、業正と同じくみずからの死を秘匿するよう遺言します。
信玄の跡を継いだ勝頼は織田信長の圧力に抗しきれず、信玄の死から一〇年と経たずに天目山で自害、武田氏は滅亡します。
諸行無常、盛者必衰です。
長野氏滅亡後の箕輪城は武田氏のものとなり、武田氏滅亡後は織田氏と北条氏の間で争奪戦が繰り広げられます。
北条氏滅亡後は徳川家康に仕える井伊直政が城主となり、直政が高崎城に移ったのを最後に廃城となりますが、戦国時代を戦い抜いた名城の風格はいまなお感じられます。
公共交通機関でのアクセスは高崎駅または渋川駅からのバスとなります。
観音様口または搦手口から「中央ルート」と呼ばれる遊歩道に沿って、時に寄り道しながら見て回るのが効率的です。
日曜日に行きました。
駐車場は無料です。
駐車場にあるトイレの横で御城印販売してました。
ものすごい種類があり、なかなか希望のものにたどり着けない。
笑とても綺麗に整備されていて、掘りなども残っています。
建築物は残ってない様です。
車なら城址東の搦手口か西側の虎とう門脇にそれぞれ駐車場があり、ここから進めば本丸は至近だ。
電車なら高崎駅西口2番バス停で箕郷経由伊香保行きに乗り、小学校前(大手尾根口、虎とう門口)、城山入口(榛名口)、東明屋(搦手口)から登城できる。
百名城スタンプは城址手前の四ツ谷で下車し、箕郷公民館にパンフレットとともに設置されているが、城跡へは距離が長くなる。
城は長野氏によって構築され、以降武田、北条氏、徳川氏へと引き継がれ、現在の遺構は井伊氏時代のものだと言う。
武田流の円馬出もあり面白い。
城址の西側からは標高差もあり攻めるのは大変だが、東側からの標高差は少ない。
外堀で守りを固めているからなのか?北側に円馬出があり、それぞれの時代毎に守りを固める造作をしてきたのかもしれない。
城跡を簡単に回るなら搦手口がお勧め。
時間があるのなら、是非丸戸張経由で大手尾根口から復元門を経て、三の丸の石垣、復元木橋、(御前曲輪下の石垣)、円馬出、そして御前曲輪の井戸、本丸を見てもらいたい。
特に残存している石垣は希少なのでチェックしてみて。
本丸などさっと見るだけなら30分から1時間程度。
全体をよく味わうのなら2時間程度はかかる。
時代毎のいろんな魅力が詰まった城跡だ。
2024年11月、三度目の訪問。
百名城のスタンプはここでは押せないので注意。
西にある搦手口駐車場にクルマを停めて登城。
きれいな水洗トイレあり。
パンフレットも置いてあります。
ちなみに東の虎韜門跡にも駐車場があります。
広大な城跡なのでパンフレットの縄張り図は必須です。
搦手→二の丸→郭馬出→木俣→本丸→御前曲輪→堀に降りて稲荷曲輪→新曲輪。
堀の中を歩いて本丸→本丸西虎口→蔵屋敷→三の丸→鍛冶曲輪→虎韜門。
堀切の底を通って郭馬出→二の丸→駐車場へと戻りました。
所要時間1時間20分ほど。
本丸までなら駐車場から10分くらいです。
以前訪れた時には無かった門が郭馬出に復元されていました。
見所は城全体と各曲輪に張り巡らされた堀です。
人力での当時の土木量に圧倒されました。
大規模な山城。
私が最も好きな武田晴信公(実際の総大将は武田逍遥院信廉)が攻めた土地。
上州の黄斑と呼ばれる長野業政が治め、二度武田軍を撃退した。
だが長野業政がなくなると、その隙をついた武田軍と長野業政の長男の業盛が武田軍と激突した。
だが圧倒的な戦力差、北条、上杉からの援軍という望みも絶たれた城内で武田軍がついに二の丸まで侵攻すると、本丸のさらに奥にある御堂曲輪で城将全員が自害して果てた。
城主長野業盛は享年19。
その後は内藤修理亮昌秀が武田将として治めるが長篠の戦いに出陣し討死。
その後甲相駿三国同盟の崩壊を理由に北条軍が押し寄せ落城させ、北条氏邦が入りここを大改修した。
さらに織田軍が信濃まで進出しこの箕輪城をとると、織田軍関東方面軍大将の滝川一益が一時的に入りここを治めた。
織田家が滅亡し神流川の戦いで滝川一益が敗れると、再び北条領へと戻った。
そこから数年が経ち小田原征伐のときに豊臣軍に落とされ、徳川家が関東に入封すると井伊直政が入り井伊家が治めたという。
このような激戦地に築かれた平山城は、あまりに大きく緻密な縄張り。
様々な経路から小さな郭などをみることができ、大きな堀切も特徴的だ。
鍛冶曲輪、三の丸の石垣の野面積みは圧巻で三の丸の石垣は当時4mを超えたとも、本丸も広い敷地がありその奥に、かの長野業盛らが自害したという御堂曲輪がある。
城将らの慰霊碑があり、是非拝むべき。
様々な経路があり、どこから登るかも楽しい。
10月最終日曜日には武田軍と、長野軍の激闘を示した「箕輪城まつり」が毎年開催され、私はいけなかったが是非行ってほしい。
長野氏の治世は六十余年に及び、かの武田信玄公も「かの者(長野業政)がいる限り箕輪が落ちることはない。
」といったそう。
長野業政は民に対してよい政治を行う、領主だったという。
少々文は長くなったが、是非行ってみてほしい。
GOOD!
城攻め二日目、岩櫃城から車で約1時間で高崎市箕輪城に到着しました。
榛名白川の河岸段丘の上に築かれており、地表からの高さは高い所でも40メートル程度。
ですが、榛名山から派生する尾根に築かれているため、眺望は大変良く高崎市街も一望できてしまいます。
曲輪・石垣・土塁・空堀・馬出・土橋・井戸が残っており、櫓門・木橋が再建されています。
三の丸の南東側にある城郭を南北に二分する大堀切はなんといってもこの城の見所だと思います。
この大堀切は二の丸前にある郭馬出も取り囲んで続いているように見えます。
本丸までたどり着くのは容易ではない構造であることがわかります。
攻城するには1~2時間くらい十分な時間が必要かと思います。
攻城時は梅雨明けの猛暑でしたので、私は30分くらいで退避しました。
箕輪城だけでなく山城を攻城するのは涼しい時節にするべきと思いました。
2024/7/27(土) 1250-1530 城散策。
最初に新曲輪跡に出たら草が伸び照いたので放置されている城跡かと思い、期待せずに本丸跡に向かった所、立派な大堀と石垣があり整備もされていました。
城跡好きなら行くべきです。
ガイドさんもいて無料で案内してくれます。
日本100名城、国指定史跡の箕輪城。
きれいな駐車場(台数多い)と、きれいな公衆トイレ(温水便座)が整備されている。
駐車場から徒歩で山道を登ると箕輪城の内部?に到着。
頂上に着いても城郭はなく、ただの広場という感じがする。
一番の見所は堀を上から眺めたところ。
堀の想像以上の高さにビックリする。
高所恐怖症の人だと恐く感じるはず。
箕輪城の周囲を散歩するコースが整備されている。
整備されているといっても舗装されている訳ではなく、なんとなく歩ける道がある程度。
階段は急で、足腰のトレーニングになる。
1500年前後に長野氏が河岸段丘に築いた平山城です。
主要な城主として長野業政、内藤昌秀(昌豊)、滝川一益、北条氏邦、井伊直政と武勇に優れた各大名の有名武将ばかりでこの城がいかに重要な拠点だったかが分かります。
現在の遺構は井伊直政当時の姿に近いと言われており、長野氏時代から比べるとかなり規模も姿も異なるようです。
オススメのコースは搦手馬出→木俣→大堀切→虎とう門→鍛冶曲輪→三の丸→二の丸→本丸→蔵屋敷→御前曲輪→新曲輪(丸馬出)→稲荷曲輪で、1時間程度で土の城を堪能できます。
関東の戦国期の城ではめずらしく野面積みの石垣が残っていたり、大規模な堀切の中を歩いたり、多くの虎口、馬出、土塁など整備が行き届いており屈指の名城でした。
100名城のスタンプは車で5分ほどはなれた、箕郷支所にあります。
ここにある、パンフレットは箕輪城のことがよくまとまっており、箕輪城を堪能するための必須アイテムだと思うので、是非お城に行く前に入手してください!休日でも17時まで窓口でもらえます。
日本百名城にて訪問、スタンプは高崎市箕郷支所にあります。
真田丸の影響か整備され、非常に歩きやすく見やすくなっていて素晴らしい。
縄張りは広く、歩くと一時間くらいになると思います。
駐車場も広くトイレもあり、城跡の中にバイオトイレがありエコですね😊
言わずと知れた百名城の一つ。
近年復元建物も整備され、往時の様相を見ることができる。
駐車場も整備され、見学もしやすくなっている。
とても広いので、見学には時間が必要だが、自然の地形を生かした城の様子を見ながら遊歩道を歩くのはとても楽しい。
櫓門が復元されている。
堀と土塁がよく残されている。
所々に石垣も。
関東の誇る名城の一つ。
お散歩にもってこいの場所。
夏場は暑くて無理そうだけど、広くて、道がいっぱいあるから何度でも来れそう。
遺構が多く残っていて当時の箕輪城を偲ばせています。
私は2月の朝7時に訪れました。
人がいなく静かに想いを馳せることができました。
本丸を中心に散策するコースは歩いて約20分、じっくり見ると小一時間かかります。
その他の曲輪を見るとなると更に一時間は必要と思いますが、それだけの価値はあると思います。
山の中腹のなだらかな斜面に広がる結構広い城跡です。
一周見て回ると時間が掛かりそうだったので、中程にある広い無料の観光駐車場から本丸に向かっていき、山を下るように見学していきました。
縄張りは整備したせいか、はっきり残っています。
関東の城なので石垣はなく、土塁と堀の跡だけが残っており、大堀切のところにある木造の門は復元したものです。
ここの大堀切は見もの。
モッコと鍬でよくもまぁ掘じくったものです。
百名城スタンプ自体は支所に行かないとありませんが 捺印された貼付け紙でよいなら本丸と二の丸の間あたりの箱に用意してありますよ。
山城跡というと自然のままで当時の状態を想像するのが難しいものも多いが、こちらは樹木を伐採するなど整備されており特徴である空堀や曲輪が復元されている。
各所にある説明板を見ながら見学すれば城マニアでなくても興味を持って楽しめると思う。
見所は本丸外周の土塁と郭馬出西虎口門、大堀切の土橋。
1500年頃に長野業久により築城され、四代にわたって、長野氏の居城となった城。
戦国時代に入り、武田信玄によって落城してからは武田時代は内藤修理が城主となり、織田の領地時代は滝川一益、北条氏の時代は北条氏邦というように城主が変遷していった。
最後の徳川家康の時代になってからは井伊直政が城主となって廃城となる。
大規模な空堀が特徴で、本丸周辺では最大幅30メートル、深さ10メートルの空堀が周囲を巡っている。
三の丸周辺や鍛冶曲輪、御前曲輪等には石垣が残っているが、これは最後の井伊直政が城主の時代に築かれたものと考えられている。
何も無い?いや!あるある!復元された門もいいけど、ここの面白さは、土塁や空堀が残ってること!山城の面白さが凝縮されてる!地元ではお祭りもやってるみたいだし、ほのぼのとした観光名所になると良いですねー大きな駐車場と綺麗なトイレ完備です。
戦国時代、上州随一の猛将・長野業正&業盛父子の本拠地だった榛名山南東山麓にある城。
西暦1566年秋に武田信玄の軍勢により落城。
業盛は自刃し果てた。
以後1582年の武田滅亡まで上野国における武田家支配の拠点となった。
その後は織田、北条による支配を経て徳川家康の配下・井伊直政が入る。
彼の時期になり高崎城へと支配拠点が移された。
それに伴い当城は廃城となった。
日本100名城のひとつ。
駐車場や門が整備されています。
山城で天守閣は残っていないが外堀がかなり広い、30分位でまわれます。
天気がよければ景色もキレイです。
箕郷は梅が有名なので、梅の季節になると箕輪城近辺でイベント等やっています❗
門が再現されていて昔の雰囲気が味わえます。
無料駐車場があります。
坂道ですのでスニーカーとかしっかり歩ける靴で訪れるのをオススメいたします。
当時を偲ぶ遺構は井戸程度しか残っていないのですが、城山の地形などはしっかり残っています。
手入れも行き届いており、復元された城門も立派で、覗き窓から坂を見下ろすとなかなか雰囲気があります。
表は明るい野原、裏手は鬱蒼とした湿気の多い林と変化に富み、それぞれに特徴的な植物が見られます。
本丸跡の真裏にはウラシマソウ、そこから少し登るとマムシグサが群生していて独特の雰囲気を醸し出しています(有毒植物のため、お子さんなどが口に入れないよう注意してください)。
駐車場も広く、ゆったりと過ごすことができます。
冬以外は虫除け必須です。
名前 |
箕輪城跡 |
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ジャンル |
|
電話番号 |
027-321-1292 |
住所 |
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関連サイト |
http://www.city.takasaki.gunma.jp/kankou/history/minowazyoushi.html |
評価 |
3.9 |
周辺のオススメ

日本100名城No.16の箕輪城へ行ってきました。
この城を武田軍が何度か攻め込むも、長野業正(業政)公が守り切り、武田信玄公に「長野業正がいるかぎり箕輪城は落とせない」と嘆かせた説があるそうです。
そこから時代が移り、猛攻に抗しきれずにとうとう落城となったエピソードが歴史の儚さを感じさせてくれました。
城跡としては良い保存状態であり、縄張りをほぼすべて見て回ることができます(時間がかかりますが)。
西側の冬の時期の朝の時間帯では至る所で霜が降りており、ザクザクと土を踏みしめる感覚がとても懐かしく感じられました。
日曜日であれば、東側の駐車場に御城印をはじめとした箕輪城に関するグッズ販売のテントが設けられていて、100名城スタンプもそこで入手できます。