眺めが良く歴史を感じ、お散歩で交流の場。
知る人ぞ知る、高崎の微妙にマニアックな初日の出スポット美しい初日の出撮影ができました。
欠点は無いわけではありませんが、触れないでおきます。
その欠点を、欠点と感じずに済む人には素晴らしい景色が待ってますよ。
因みに、若い頃、営業マンだったワタシのサボりスポットでもありますが、今回の初日の出訪問で、好きな場所となりました。
かみつけの里博物館に隣接する前方後円墳です。
赤城山の噴火に埋もれていたとのことで、丘陵部が美しく復元され、背の低い笹に覆われてとても登りやすく整備されています。
見晴らす赤城山の遠景も美しい絶景古墳です。
当時のままのような佇まいで雰囲気があります。
真夏の昼間伺いましたが人もほとんどおらず、じっくり見ることができました。
階段の木がボロボロで草が思った以上ボウボウでした。
草に覆われた前方後円墳。
近隣にある八幡塚古墳、薬師塚古墳のうち最初に作られたらしい。
周囲を廻れるほか、墳丘の上まで登ることができる。
復元された八幡塚古墳のように、当初は石と埴輪で覆われていたとのことだが、緑に覆われた現在の姿は時の無常を感じさせる。
井出二子山古墳は発掘前の古墳の形状をできるだけ変えない手法で整備されました。
とあります。
資料によると、保渡田古墳群の西南部に最大規模の二子山古墳があり、その東北方に八幡塚古墳、その西北西に薬師塚古墳がある。
築造年代は、5世紀代の後半も終わりに近い頃から6世紀前半代にかけてであり、二子山古墳・八幡塚古墳・薬師塚古墳の順に造営されたと推定されている。
手をあまり加えていない二子山古墳の方が古墳らしい。
散歩コースとして古墳の周りは広々として良い。
この時期外堀と内堀がコスモスを植えてあって外観も見栄えします。
保渡田古墳群では一番規模が大きくて早くに見学できるようになったようですが、八幡塚が大々的に復元されて、こちらは忘れ去られたような佇まいをしています。
階段に設けられた木道は痛み、笹もほうぼう。
だけれど手入れはされていて、上部に上がれもします。
祭祀が行われたと推測される中島にも入れます。
但し発見されるよりも前に盗掘されて石棺も破壊されていたため出土品も僅かで、石棺があった場所と様子がわかる実物大写真が想像力を掻き立てます。
いずれにしても、土木工事で破壊されなくてよかったなと思います。
2021年4月10日に訪問。
保渡田古墳群の3つの前方後円墳で一番古い古墳です。
現状はありのままの姿で整備・保存されています。
博物館側から向かうと説明板と模型があり、そのまま堀を渡って後円墳に上がることができます。
笹に覆われていますが、途中に段差があることに気付くでしょう。
頭頂部には埋設された石棺の写真と調査時に状況の説明板があります。
風で笹の葉がこすれる音から歴史を感じさせられました。
こっちの方が通好み?墳丘長のサイズは108mと、隣の八幡塚古墳(102m)を上回り、保渡田古墳群最大を誇る長女のような古墳ですが、石葺きの派手なビジュアルの八幡塚古墳の陰に隠れている印象です。
まるで広瀬すずの姉広瀬アリスや、浅田真央の姉浅田舞などを彷彿とさせます。
しかし年を経るにつれ、五月みどり・小松みどりや安田祥子・由紀さおり姉妹のように、お互いの個性を引き出すベストパートナーになっていくのではないでしょうか。
あ、もう両古墳の年齢は1500歳だった。
八幡塚古墳に先行する前方後円墳。
ビジュアル面から八幡塚古墳ばかり注目が集まるが、墳丘長は二子山古墳の方が長く、設置された埴輪数も八幡塚以上と言われている。
また、人物埴輪が据えられた古墳として、群馬県内最古級ともされている。
埴輪の一部からは大阪・古市古墳群の埴輪の特徴もみられる。
内容を知れば知るほど被葬者の存在の大きさを感じとることが出来る古墳。
2020年3月26日 保渡田古墳群を訪れました。
二子山古墳は原型が良く残っていたため石葺を再現することなく笹を植えて保護しているようです。
周りの堀は掘り出して復元してあります。
はにわの里 二子山古墳 群馬県高崎市 二子山古墳は、5世紀後半から6世紀初めにかけてつくられた大型前方後円墳で、榛名山麓を治めた有力な豪族の墓です。
よろしければ、YouTube⇒秋田馬蓮⇒都道府県別⇒本スポットを動画にしていますので尋ねてきていただければ幸いです。
井出二子山古墳、保渡田八幡塚古墳、保渡田薬師塚古墳の3基から構成される保渡田古墳群の一基です。
それぞれが全長約100メートル前後の大型古墳です。
名前 |
井出二子山古墳 |
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ジャンル |
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電話番号 |
027-321-1292 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
4.1 |
八幡塚古墳は外形がコンクリートで整形され、敷石や埴輪が並び、綺麗だが、その素材がこの二子山古墳って感じ。
遥かに榛名山が望め、周りは高層建築物もなく、古来よりの田畑で、当地域における榛名山の価値というものを感ずる。