目立たない所にある神社です。
御祭神 建御名方命白川砦の主、白川五郎満勝が信州諏訪神社より勧請し、砦の後方に諏訪神社を建立したと言われますが、創建年月日は不明です。
その後、永禄年間(1557~1569)に武田信玄が箕輪城攻めの折、当神社を崇敬して社殿を修理したと伝えられています。
明治四十年(1907)神社合祀政策により、村内十六社を諏訪神社に合祀し、土地の名前を採って白川神社と改称し、今日に至っています。
神社の参道の入り口には高い石灯篭と庚申塔が立ち、鳥居を潜って、対の常夜灯の間を進むと本殿となっています。
本殿の東側に集めて並べられている石造は、秋葉大権現、御嶽山権現、三笠刀利天(御嶽山の三笠山)、八海山大神といった山岳信仰の石神で、一心霊神(御岳行者の一人)を祀った珍しい石碑も見られます。
(神社案内板より)まず鳥居より手前、神社入口には寛政二年(1800)の大きな庚申塔があり、その横に背の高い御神燈石燈籠があります。
この場所は丘の上で遠くまで見通せるので、ここに灯をともしたら遠くからも見えたのではないかと想像できます。
鳥居を潜り左手には休憩できる東屋、右手には滑り台や鉄棒などの遊具が設置されています。
参道を進み、社殿左手には複数の石祠が並んでいます。
社殿右手奥は小高い丘になっていて、その斜面には寛政十年(1788)から嘉永五年(1851)に建立された道祖神石碑が七基、大正九年(1920)の秋葉大神と猿田彦大神の石碑、文久二年(1862)の御嶽座王大権現の石碑や石祠などがあります。
白川神社周辺は箕輪城の南を守る出城の一つである白川砦の砦址です。
砦将は長野十六槍の一人・白川五郎満勝。
神社後方の小高い丘は、砦の土塁だったのかも知れません。
信玄による最後の箕輪城攻防戦で、白川満勝の配下が守る白川砦は全滅、満勝は箕輪落城時に長野業盛に殉じたと諸記は伝えています。
(サイト「城館探訪記」参照)
am11時頃からバイクの騒音?みたいな音がします。
子供を連れて遊びますが子供に危険が及ぶと思うと怖いですね。
警察に対応してもらいたいです。
夜の11時以降、バイクが騒音を出してうろついているので注意!犯罪が起きないよう祈っています。
名前 |
白川神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
027-343-0753 |
住所 |
|
評価 |
3.4 |
目立たない所にある神社です。
武田信玄の名前も出てくる昔からある神社みたいですね。
地元の公園もかねているみたいです、ただし、地元民以外はめったに・・いや、ほとんど近寄らないかと思うぐらいの立地条件にあります。
憩いの場所とし使えるように屋根付きのベンチもありました。
社務所みたいな建物がありましたが、公民館?かなぁ??ポケモンGOのスポットになっています。
このあたりは、人口があまりいない。
減ってきている所なので、今後、この神社が・・・・にならなければよいが。