道を通る度に気になりいつか行こーと思い今日行って来...
コロナに感染しないようお参りしましょう。
地元に根付いた神社でした。
車を停められる場所はあります。
地域に愛されている神社です。
いつ訪れても境内の掃除が行き届いていて、とても清々しい気持ちになります。
こちらには、まるで暗号のような石碑があります。
和歌のようですが、全て当て字のような漢字で書かれています。
書は小園江田宮。
幕末から明治にかけて起こった高崎藩の五万石騒動の際、蜂起した農民の思想的指導者だった人物です。
南西東北中行(ながきよや)風乗雨照生人(ゆめのうてなに)三九通八卦(さくつばき)実於業能孝子伝(みをばのこして)慕名廻千里顕流(はなのちりける)騒動に加わった人々は、容赦なく捕らえられ、指導者達は処刑されました。
こちらが犠牲者を悼むものなのかどうか…それは分かりませんが、そうだとしたら敢えて暗号のようにしたのかも知れません(;_;)/~~~なお、この神社の駐車場の横には、近くの古代遺跡で発見された巨石が保存されていました。
集落のいちばん高い場所に置かれていた物で、祭祀に使われたと考えられているそうです。
また、すぐ近くの交差点には、立派な双体道祖神があります。
大きな徳利を持って、夫婦で晩酌をしているところでしょうか。
酒は家で女房と飲むべし!という教えかな?(^_^;)
主祭神 天懸神 石凝姥命 木花佐久夜毘売命配祀神 倉稲魂命 速須佐之男命 菅原道真公当社は、天懸神(あまかかすかみ)、石凝姥命(いしこりどめのみこと)、木花咲夜姫命(このはなさくやひめのみこと)を祭神とし、鏡宮山光明寺の別当であった時、明和四年(1767)火災に罹り、宝物や古文書などすべて焼失してしまったので、由緒沿革は不詳です。
口碑によると神亀二年(725)太白星(金星)が白昼に輝き、不思議に思った村人たちは協議のうえ落ちた場所を掘り下げると、一つの古鏡が出土しました。
この鏡を祀るために社殿を建立し、二柱の神を祭祀し古鏡をご神体としたと伝えられます。
その後、長久年間(1040~43)の大地震の時、諸所に亀裂が生じ多くの人々が生き埋めになりましたが、この境内のみは何の異常もなかったと伝えられています。
明和六年(1769)伊勢神社御遷宮と同時に、大工笠原右膳に頼み社殿を再建し、明治四十年八坂神社・浅間神社を合祀しました。
(境内案内板より)鏡を祀るために祭祀した二柱の神「天懸神」の御神体は鏡で、天照大神の御霊代です。
「石凝姥命」は、天照大神が天岩屋にお隠れになった時、御心を慰めるために、天香山から採取した銅を用いて鏡を鋳造した冶工です。
鏡宮神社社殿と正観寺遺跡群祭祀巨石江戸時代後期の社寺建築の特色である無彩色の多種多様な彫刻を駆使しています。
当時の建築技術と建築様式を示す貴重な歴史的遺産です。
また、北西250メートルの地点で、高崎市教育委員会埋蔵文化財の発掘調査により、正観寺遺跡群祭祀巨石が発見されました。
周辺には多数の竪穴住居跡や大型の掘立柱建物跡も一棟存在し、古代の集落跡であることがわかりました。
(高崎市の工業団地HP周辺情報より)
名前 |
鏡宮神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
027-232-9511 |
住所 |
|
評価 |
3.5 |
道を通る度に気になりいつか行こーと思い今日行って来ました。
本堂に参拝し少し立っていると夏なのに少し冷たい風が吹きました。
眷属さんが狼さんなのも少し驚きでした。
気付いたら腕に4匹くらい蚊が停まっていました(笑)