境内には欅や銀杏の古木があり、地域の古社という雰囲...
境内には欅や銀杏の古木があり、地域の古社という雰囲気です。
火雷若御子神社(からいわかみこじんじゃ)御祭神 火産霊命 宇気母智神境内社 秋葉社(軻遇突知命) 城峯社(大山祇命) 八坂社(素盞嗚命) 菅原社(菅原道真公)由緒明治十二年(1879)の「上野国神社明細帳」によれば、「当社ハ往昔、那波郡下ノ宮火雷神社ヨリ勧請スト言ヘドモ、其年月詳ナラズ、其後保食命ヲ合祭シ村名以テ社号トスト云フ」と記述されています。
創建後、途中で中里神社と改称され、同二十八年に火雷若御子神社と復称されました。
御沓堂及び石造物境内には近隣には見られない御沓堂があります。
この土地の人々は農耕馬のための雷除けとして、無事に農業が営めるようにとの願いから、馬を引っ張ってお参りをし、御沓堂に馬のわらじや蹄鉄を奉納しました。
今もその一部が残っており、道路沿いに石仏・石神等の石造物が並んでいます。
(境内案内板より)おらいでんさま東中里町に「火雷若御子神社」が鎮座しています。
土地の人は「おらいでんさま」と親しく呼んでいます。
群馬県は雷の多いところですので、大雷大神や火雷大神を雷除けに神として祀った火雷・雷電神社が県下には沢山あり、明治十一年の「神社明細帳」によれば、354社の雷電神社があったことが記されています。
生活上いかに雷除けが必要であったかが伺われます。
万葉集に「伊香保嶺に雷な鳴りそね我が上には故はなけども児らによりてそ」(雷よ、そんなに鳴らないでおくれ。
私には何のこともないが、怖がる愛しい人のために、お願いだから)と雷を詠んだ東歌があります。
これは野の恋の一コマですが、同時に雷除けの呪文の意味を含んでいるといわれています。
東歌が万葉人の呪文と思うと、随分風流だなと感じます。
火雷若御子神社の境内に荒れた御沓堂という小さな堂があり、その内に奉納された小さな馬のわらじがあります。
農耕馬への雷除けの名残りです。
今の人が忘れてしまった、人間の自然への畏れの心を思い出させます。
(高崎新聞コラムより抜粋)岩鼻地区東中里町にある「火雷若御子神社」は、創建年不詳ですが、天保十二年(1841)二月までには建立されていました。
江戸時代に宿場町や河岸として栄えた倉賀野町や近郷の人達の道中(里中街道など)の往来の安全、特に禍や落雷などを避けるため祈願されていました。
また、地域の人々にも農耕馬の雷除けとして、無事に農業が営まれるようにと、沓堂に馬の沓や蹄鉄を奉納し、今も蹄などが沓堂の中に残っています。
現在の社は明治二十七年(1894)に改築され、境内にはブランコやベンチなどがあり、子どもたちの遊び場や住民の憩いの場になっています。
毎年境内の桜が満開を迎える四月に、五穀豊穣や落雷の少ないことを祈願する祭典春期大祭が営まれています。
(JAたかさき岩鼻支店パンフより抜粋)
社殿背後に双体道祖神。
高崎市東中里町の〔火雷若獅子神社〕の読み方が分からない。
通りかかった人にも聞いたが分からないという。
説明板が立っており、以下その一部:- 明治12年(1879)の「上野国神社明細帳」によれば「当社ハ往昔、那波郡下ノ宮火雷神社ヨリ勧請スト言ヘドモ、其年月詳ナラズ、其後保食命ヲ合祭シ村名以テ社号トスト云フ」と記されています・・ ということで、那波郡(佐波郡)下ノ宮火雷神社を調べてみると、「からいじんじゃ/ほのいかづちじんじゃ」と読むようだ。
この神社にも芭蕉句碑がある。
稲妻にさとらぬ人の尊さよ。
名前 |
火雷若御子神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
027-352-1839 |
住所 |
|
評価 |
3.4 |
30年ぶり位に参拝させて頂きました。
時が止まっているかのように感じました。