また戦国期には武田信玄書状に出てくる岩鼻砦だと推定...
岩鼻代官所(陣屋)及び岩鼻県庁跡にある、天神山は陣屋時代には物見台として使用されましたが、元々は古墳であり、また戦国期には武田信玄書状に出てくる岩鼻砦だと推定されているそうです。
現在この一帯は日本化薬株式会社の関連施設の立ち並ぶ区域で、その中にこの天神山がありました。
日本火薬の研修センターの隣にあり、敷地の保存状態は良いかもです。
敷地内は芝生で小さい子供連れて行っても良いです。
関八州取締出役が拠点としていた場所です。
昔の時代劇ドラマを見ていた方なら懐かしいフレーズですが、現代版のFBIのような組織です。
この理由として関東は一国を支配するほどの大名が存在せず、村ごとに領主が違ったり、天領が入り乱れた状況で神社、仏閣もそれぞれ領地を持っているなど自治権(警察権)を持っているものが違うことから、横断的に取締をする組織が必要になったためです。
国定忠治は村から村から村へ、時には赤城山に逃げ込むなど権力が及ばない場所を伝い捕縛の追手をかわしています。
岩鼻は倉賀野の河岸にも近く水運交通が盛んな場所で例幣使街道にもアクセスが容易であること、中仙道最大の宿場である本庄にも近いことなどから物流、人の移動による情報収集がしやすかった利点があります。
結果、岩鼻県の県庁として明治時代には中心となりますが、鉄道の発達等により、次第に水運は陰りを見せ前橋、高崎に拠点が移っていきます。
むかし~昔~ここは岩鼻県、岩鼻代官所(๑•∀•๑)具体的な説明も書かれております(^-^)子供の遊び場、時節僧侶が集まることも。
毎年8月20日の岩鼻町子育て観音大祭の神輿折り返し地点。
名前 |
岩鼻代官所(陣屋)及び岩鼻県庁跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.4 |
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岩鼻代官所(陣屋)跡は徳川幕府が江戸の北側の拠点として西暦1793年に造られた所て南側には中山道があり、日光例弊使街道の起点があります。
岩鼻代官所跡地は日本化薬㈱の研修施設があり跡地は私有地です。
東側は比高があり、北側には土塁と空横堀があります。
天満宮の立つ所は物見台だったようです。
以前は古墳だったと他の人のコメントがありました。