四年前、ゆっくり境内を見学しました。
御祭神木花開耶姫命 天照皇大神 石長姫命 品陀和氣命 宇迦之御魂神 大山祇命 八衢比古命 八衢比売命 大物主命 火産霊命 宇気母智命 波邇夜麻毘売命 猿田毘古命 建御名方命 大穴牟遅命 味鉏高彦根命 田心姫命 大日霊命 菅原道真公 少名彦名命 神日本磐余彦命 御食津神神社から北に800m程の黒熊信号付近に案内板があるようです。
「村社浅間神社」の社号標が立っている後ろの方ですが、運転しながらだと見逃してしまうと思います。
「浅間神社」浅間神社は、ここから約800m南の浅間山の中腹にあり、創建年代は不詳です。
明治初期、政府の神社合祀政策により、黒熊、小串地区では、小字毎に祀られていた氏神や祠が浅間山に合祀されました。
明治四十二年(1908)には黒熊地区にあった八幡宮、平地神社、諏訪神社、二荒神社、菅原神社、奇神社の六社が、翌年小串地区にあった菅原神社、二荒神社、神明宮、稲荷神社の四社が合祀されています。
祭神は木花開耶姫命他二十二柱で、本殿は木造銅板葺高床神明造り、幣殿は木造瓦葺平屋造り、拝殿は木造瓦葺向拝流れ破風造りとなっています。
当地方の浅間信仰(農耕や生活を支配する水と山の神)は、十八世紀元文年間の黒熊延命寺縁起文に記録されています。
浅間山の眺望は優れ、頂には入野碑が建立されています。
(黒熊信号付近の案内板より)境内にある「浅間神社大綱」碑にはさらに詳しく、ゴルフ場開発のことまでが刻まれています。
また境内の大きめの石祠についても「奥浅間神社石宮移転之記」碑に刻まれています。
高崎市指定史跡「入野碑」明治二十二年(1889)の町村制施行時に、多比良、石神、深澤、中島、小串、黒熊、岩井、小暮、馬庭の九か村が合併して入野村となりました。
入野という地名は、万葉集その他に詠われている「多胡の入野」から選び村名としたのもです。
碑は、同二十七年に村民が協力して建立したもので、碑が建てられている浅間山は、現在地から南へ約1kmの所にあり、入野の地名が理解できる眺めの良い所です。
(黒熊信号付近の案内板より)入野碑まで到達すると、案内板に、万葉集、新続古今和歌集、夫木和歌抄の「多胡の入野」の含まれた三首が書かれています。
大意も書かれていますので、現代人と何ら変わりない遥か昔の人たちの気持ちが伝わって来るようです。
名前 |
浅間神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.5 |
四年前、ゆっくり境内を見学しました。
婆ちゃんと来ました。
婆ちゃんが100歳まで生きるよう願いました。
それと両親の長寿を願ってのことでした。
縁があって藤岡市民訪問団で中国にご一緒しました。
懐かしいです。