長根城址の鬼門に有ります❗️近くの神社を合肥して祭...
御祭神 菅原道真公 倉稲魂命 事解之男命 八坂刀売命 速玉之男命 大日霊命当社は明治四十五年(1912)宿鎮座の神明宮、権現堂鎮座の菅原神社、折茂鎮座の稲荷神社、上の場鎮座の熊野神社、安坪鎮座の諏訪神社の五社と境内末社を合祀し、新たに社地を求めて現在地に奉祀、その地名をとって長根神社と名称されました。
主神は菅原道真で、長根地域の安寧、平和とともに、子供達の成長、学業成就を祈る場所となっています。
境内地は長根城跡の一部で、高台にて眺望絶佳、春の花見期には参拝客で賑わい、桜の名所として親しまれる長根公園となっています。
秋季例大祭では、いずれも高崎市指定重要無形文化財の神楽獅子舞と獅子舞が奉納されます。
社宝に天正十七年(1589)に小林豊後守から当所熊野権現に奉納された鰐口があります。
(参道にある案内板より)吉井町指定無形文化財「長根神社宿 神楽獅子舞と獅子舞」神楽獅子舞「宿神楽舞」は寛政二年(1790)、伊勢の国から来た旅人が中長根の名主江原家に泊まり、そのときに伝えたものといわれ、歌詞にも関西地方の地名や名所等が多く入っています。
この神楽舞の囃子方には鼓の入るのが特色で、その使い方や舞のしぐさは能舞に似ている所もあって、県内では数少ない民俗芸能といわれています。
以前は神楽殿で舞われていたようですが、今は座敷、または土間にゴザを敷いた上で、一人が頭と前足、一人が後持ち(後ろ足)となり、頭に付けたホカンと呼ばれる大きな布をかぶり、二人一組で舞います。
演目は、悪魔祓い、広庭、岩、子持ち、神社までの行き帰りに神楽堂(輿)をかついで練り歩く時の道中囃子があります。
獅子舞「宿獅子舞」は古老の口伝によれば元禄年間(1688~1703)より伝わり、五穀豊穣、悪疫防止を神仏に祈願し、合わせて近隣同士の融和を計る意図から、当時の恩行寺住職が前頭を、当時の名主が後頭を、中頭を村一円で調達したといいます。
舞の流派は稲荷流で甘楽郡秋畑村那須部落の獅子連を招いて指導を受け習得したといいます。
以前は宿神明宮に奉納されていましたが、神社合併により長根神社に奉納されるようになりました。
昭和六十一年獅子舞保存会を結成し伝統ある獅子舞の継承に努めています。
(「社務所前の案内板」及び「吉井町HP」より)長根城跡長根城跡の一郭、本丸より一段下がった北側に長根神社があります。
神社は「長根城」の北東の方角、つまり鬼門に位置します。
長根氏は国峰城の小幡氏の一族で、当主長根重清(小河原氏)は小幡信貞の弟でした。
当時の西上州の小豪族と同様、所領を守るために上杉、武田、北条、小幡氏と主を変え、石倉砦の争奪、長篠の合戦、膳城・神流の合戦等に出陣し、武田勝頼の膳城素肌攻めのおり討死しています。
天正十年(1582)武田氏滅亡後徳川の世になると廃城となりました。
(サイト「高崎市周辺の古城跡」及び「むぎの城さんぽ」より)
長根城址の鬼門に有ります❗️近くの神社を合肥して祭っています。
名前 |
長根神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
2021/04/10