横浜地方合同庁舎前に設置されています。
開港とともに宣教師として来日したヘボン氏。
聖書の翻訳、和英辞典の編さん、医術の普及などに貢献。
ヘボン博士邸跡に記念碑が有ります。
ヘボン式ローマ字表記を生んだ博士の邸宅跡地です。
横浜地方合同庁舎前に設置されています。
ヘボン博士は現在の日本では誰もが知っているヘボン式ローマ字の生みの親で、設置されている案内文を読むと、「開港とともに来日した宣教師の1人で神奈川成仏寺に3年仮寓、文久2年(1862)冬、横浜居留地39版に移転、幕末明治初期の日本文化の開拓に力をつくした。
聖書のほんやく、和英辞典のへんさん、医術の普及などがそれである。
昭和24年(1949)10月記念碑が邸跡に建てられた。
」とありました。
ここも横浜だけでなく、近代日本の歴史を感じられるスポットです。
ローマ字考えたり、和英辞典の編集に携わったヘボン博士の引越し先が、ここら辺だヨ! って碑。
ヘボンは開港直後に来日した米国の宣教師で、日本初の和英辞典「和英語林集成」を出版した。
この辞典に使われているローマ字表記が「ヘボン式」の元になった。
開港とともに来日した宣教師の一人で神奈川成仏寺に3年仮寓、文久2年(1862)冬横浜居留地39番に移転、幕末明治初期の日本文化の開拓に力をつくした。
聖書の翻訳、和英辞典のへんさん、 医術の普及などがそれである。
昭和24年 (1949) 10月記念碑が邸跡に建てられた。
こんな所に、ヘボンさんのお家があったのかと感動。
お金持ちで、日本のために色々御苦労なされたようです。
一応見て来て写メって来ました🎵
昭和24年(1949)建てられたもの。
建物の一角にあるので通りすぎてしまいそうになる。
石碑があるだけです。
税務署の入口にあります。
横浜開港と共に来日した宣教師ヘボン氏が3年仮住まいした神奈川町の成仏寺よりこの地に転居。
幕末~明治初期の日本文化の発展に尽力した。
現在、横浜中税務署の場所。
石碑があるだけの場所です。
明治学院高校一年生は入学直後この界隈を回ります。
山手の韓国領事館近くにはヘボンさんの自宅跡もあります。
名前 |
ヘボン博士邸跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
たまたま通りの掛かっただけなのですが、石碑に目がいっちゃいますね。
解説札もなかなかです。