明神様の愛称で親しまれている神社です。
一般的な山の神社です。
定期的に整備されてるようです。
吉井町吉井の街中から南に向かい、神保・塩を抜けて、民家が少なくなっていく中、県道71号線を、最後の民家がある辺りまで進むと「鷲之宮大明神」があります。
東西両側に山が迫り、細い谷合に民家が並んでいますが、見た限りでは田畑のような農地は見えず、山の斜面と同じような木々に家が埋もれてしまいそうに見えます。
県道も段々細くなり、「この道路は通り抜けできません」と看板が立っています。
看板から先にも道は続いていますが、神社より先には行く気になれませんでした。
「鷲之宮大明神」は県道の西側の斜面にあります。
傾斜が急な石段を登ると鳥居があり、鳥居の足元に石祠が一基あります。
更に登ると崩れそうな石垣が組まれていてその上に石燈籠が両側にあります。
その更に上に境内があり社殿があります。
境内にも石祠が一基あります。
鳥居の足元の石祠と参道である石段は苔が葺いていてとても古く見えるのですが、鳥居と石燈籠と上の境内にある石祠は比較的新しいものに見えました。
社殿はブロック積みの上にトタン張りで、中に社があり、覆屋のような役割で社の保護のために囲ったような雰囲気でした。
その覆屋内にある木製の社は屋根など傷んできていましたが、朱に塗られた部分や土台に施してある彫刻など色が鮮やかな部分もあり、また供えられた榊の枝も新しいものでしたので、しっかりと保存に携わっている方たちがいらっしゃるのは確かです。
案内板や資料が見つからず、詳しいことは分からないのですが、もし御祭神が埼玉県久喜市にある関東最古の大社と言われる「鷲宮神社」と同じ天穂日命とその子の武夷鳥命であるならば、武夷鳥命は「勇猛な、異郷への境界を飛ぶ鳥」や「高天原から 夷(鄙・ひなu003d出雲国)へ飛び下った鳥」と考えられ、これより先は黄泉国と現し国との境界で、伊邪那岐神が黄泉の国から帰還した時に禊をして成った神「住吉三神」を祀る「住吉神社」と「東谷渓谷」がここからずっと下った吉井町大沢と東谷の境辺りにあるのも、何か不思議なつながりがあるように感じられました。
(あくまでも個人的な感想です)
名前 |
鷺之宮大明神 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
地元の氏神様でもあるようで、明神様の愛称で親しまれている神社です。