神楽殿や境内末社に天照皇大神宮がある。
御祭神 高龗神 罔象女神辰砂・丹砂・眞朱・眞赭・銀砂などと呼ばれた硫化水銀を含有する鉱物が製する水銀にまつわる説話は数多く、それらを丹(に)とも云い、転じて丹の付く地名はこの鉱物を採取する場所・鉱山を指すようになりました。
丹を生産する意という丹生や丹土、丹波、丹後などですが、丹生と言う地名だけでも全国に数百ヵ所もあります。
その鉱床跡の多くは、九州から関東にかけての断層の中央構造線上に沿って点在しています。
神武東征の目的のひとつも、この丹の獲得だったという説もあります。
そして、古代から辰砂・丹砂採掘に携わっていた氏族が丹生氏で、その一族が奉じ、丹砂の神であり氏神とも思われるのが丹生都比売神です。
丹生氏の出自は九州の伊都国とされますが、真偽のほどは不明です。
魏志倭人伝には邪馬台国が丹を産すると記されています。
倭姫命が天照大神の鎮め奉る地を求め巡幸の途に着くはるか以前、丹生一族は水銀の鉱脈を求め、九州から出発しました。
四国を経て紀伊や吉野などに居を置き、さらに各地を探索して辰砂の採掘に従事していました。
水銀鉱床は浅く小規模な産出だったため、枯渇したり地下水の出水で掘削の限度に達すると、また他の場所へ移動して新たな採掘を行っていったと考えられます。
一族が奉じる祭神や地名の分布から見て、その行動範囲は、九州から近畿、北陸、関東、東北の一部にまで及んでいます。
(「にっぽん文明研究所」サイト参照)丹生神社という社名で調べると丹生都比売神という名前から、日本が倭国と言われていた時代に水銀鉱床を求めて九州から群馬まで順に移動してきた人たちに繋がり、「中国が呉や越の頃、倭国には金や水銀の鉱脈が露出しており、また住民は穏やかな人々である事が知られていた」という時代まで遡ります。
各地では水銀鉱床の枯渇や、新しい鍛冶技術の伝播により丹生神を奉ずる多くの人々は農民として民草の中に吸収されて行きました。
そのような中で丹生都比売命は罔象女神や高龗神へと変遷して祀られる場合もあったといいます。
(サイト「神奈備にようこそ」参照)
少し壊れた(原文)A little bit wrecked
三代の皇帝(原文)日本三代実録 貞観十七年十二月五日甲寅 丹生神。
水銀の女神様(友達の産土神)
旧村社格。
きれいで施設も一通りある感じ。
手入れが行き届いた大きな神社鳥居は2つ、神楽殿や境内末社に天照皇大神宮がある。
名前 |
丹生神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
3.8 |
空気が澄んでいて清らかな雰囲気の神社で、参拝したのが11月だったので境内にあるイチョウやカエデなどの秋の彩りを楽しむことができました。
社殿の横にある御神木がとても立派で迫力があります。
車を駐車できるスペースはありました。