高崎市榛名支所の東側にあります。
龍神様の絵や彫刻が素晴らしい。
鳥居を直す為の寄付が高いよ.. 4000円も..返せ。
立派な建物だった。
町中の寄りやすい神社です。
ウオーキングの途中にお参りしたりしています。
高崎市下室田町〔大森神社〕の社殿裏に芭蕉句碑が建っている。
百年のけしきを庭に落葉哉 芭蕉翁 文化4年(1807)10月12日(=芭蕉の命日)に建立された碑。
祭神 國常立命 大己貴命 建御名方命 日本武尊 八坂刀賣命配祀 譽田別尊 木花開耶姫命 大山祇命摂社 金鑽神社 祭神 素盞雄命境内末社北野社 愛宕社 西宮社 三峰社 秋葉社 織姫社伊勢内宮 疱瘡社 稲荷社伊勢外宮 三嶋社(境内由緒書より)大森神社 由緒弘仁六年(八一五)、従四位上検非違使源満季の三男で上野国西七郡を領していた群馬太夫満行は伝教大師の請によって、寺院建立の地を見て廻った時に、夕暮れ大森の火影を頼って行ったところ、祠があり、社名祭典などたずねたところ、神主、神宮直経が大森渓であると答え夜闇になったので青木の庄まで案内したと伝えています。
建久六年(一一九五)二月、上野国内社寺を管掌していた奉行藤九郎盛長と言う人に、日影社の由来を上申、盛長が調査にきているとも言い伝えられます。
下室田大日蔭の地は日蔭ではなく日光(ひかげ)の大日向、大日影ですが「ひかげ」の地名が残っているのはここだけです。
したがって大日陰の谷津を大森渓と言ったのかもしれません。
また大森渓は下室田から中室田へつながる滑川流域の大渓谷か、下室田谷津の渓かわかりませんが、大森渓の日影の社が大森神社の前身のようです。
建武元年(一三三四)、里見伊賀守時成が浄財を寄進社殿を再建したと伝えられています。
(『平成祭データ』より)寛永十八年(1641)、第二代上野安中藩主・井伊直好生誕の産土神として建立され、社領として石高八石一斗六升が寄進された。
のち、宝暦九年(1759)、拝殿を造営。
寛政五年(1793)、本殿を改築。
明治三十五年(1902)、拝殿を再建。
昭和七年(1932)、本殿・拝殿・末社・鳥居などを改築し、昭和十八年(1943)、郷社に列した。
(『全国神社名鑑』より)「従五位上 大木明神」の所在地が(行方村か、下室田村)と記され、下室田の当社・大森神社が大木明神である可能性を示唆している。
(『国内神名帳の研究』の上野国神名帳の項より)本殿の後方に、摂社の金鑽神社(素盞嗚命)。
その右手に石祠がいくつか祀られ、道祖神、御嶽大神、大山祇太神、庚申塔などの石碑があります。
高崎市榛名支所の東側にあります。
敷地は それほど広くありません。
果売箱というのはゴミ箱の事のようです。
高崎市榛名支所の東側にあります。
敷地は それほど広くありません。
果売箱というのはゴミ箱の事のようです。
名前 |
大森神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
027-374-3682 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.5 |
こじんまりとした神社。