松井田城跡で歴史探訪。
松井田城跡の特徴
鎌倉期に北条時頼が築城した歴史ある山城です。
戦国時代の大道寺政繁の居城として重要な遺構が残っています。
整備された散策路を歩きながら歴史を感じられる場所です。
鬱蒼とした杉林の中に続く山道をフウフウ言いながら、右に左にかき分けるように登って、虚空蔵堂がある本丸跡に着。
城跡を窺わせるものは、大手門の石積のみ…。
でも、どこかで鬨の声がしたような…、空耳だったか…。
松井田城の歴史は現地パンフレットによると①鎌倉期に北条時頼の指示により青砥左衛門藤綱築城。
②戦国期、安中出羽守忠親築城、忠政のとき武田に攻められ落城。
③武田氏支配④織田氏支配⑤後北条氏により大規模工事、秀吉の北国勢(この時真田信繁初陣でしょうか)により落城、廃城。
城址保存会の方でしょうが駐車場のパンフレット、城跡歩道、案内標識などとても良く整備されていて心地よく散策できました。
あと熊除け用の缶タタキが随所に設けられていて少し安心できました。
ありがとうです。
駐車場から主な遺構の見学写真などで80分ほど経過してました。
gmapの松井田城跡の登録地点は安中郭付近のようですね。
ここ安中郭で安中氏は落城したようです。
私が見学して石積が確認できたのは大手門跡、水の手でした。
まだ他にもあるでしょうが。
お城入口に駐車(4,5台)できますトイレはありません入口の小屋にパンフレット、地図、杖、山蛭よけの塩水スプレーなどが用意されてますお城内には案内板や叩いて音を出す熊よけの缶、急坂にはロープが設置されてます4月2日に行きました山蛭対策で虫除けスプレーを足まわりと腕などに吹いてから入りましたが、まだいませんでした広いお城跡で、全部まわっておよそ100分でした落ち葉が多く急坂があるのでトレッキングシューズがいいです4月以降は山蛭がでるとのことですので虫除けスプレーは必須です二の丸から連続空堀へ降りる急坂はロープがありますが杖があって良かったです築城は1560年頃安中忠政が武田信玄に備え改修したそうですその後、武田氏の攻撃を受け開城し武田氏のお城となりました1582年3月武田氏は織田軍に攻められ勝頼が天目山で自刃し滅びますその後滝川一益の支配を受けますが、すぐに本能寺の変が起こり滝川は伊勢に撤兵北条氏直が松井田城に入り大道寺政繁を城代としましたこの政繁が現在の遺構のようにお城を大改修したそうです豊臣秀吉の小田原攻めで落城し、そのまま廃城されたようですこれだけの空間にすっぽり遺構が残っていることに驚きました見所はたくさんあります北側の尾根筋の連続竪堀、二の丸下の連続土塁と空堀は畝がよくわかります!大手の石積、二の丸と本丸を区切るダイナミックな大堀切、安中郭下の空堀とS字空堀など驚くほど遺構が残ってました。
歴史的に重要な城趾。
地元の人達の努力によって見学可能な整備されてるのは嬉しい。
欲を言えばもっと見学しやすいように地元の安中市も助成して貰えたらと思う。
最近の城廻ブームであちこちの山城跡整備は目を見張るものがある中で見劣りしてしまいます。
史跡としての価値は充分に星5、見学しやすさとかが見劣りするのでこの評価です。
バイパス沿いの入口から城跡へ登りました。
勾配があり枯れ葉が多いですが30分位で本丸に行けました。
行く道沿いには順路と説明板があり、道も整備されているので歩きやすいです。
木々があり、眺望はないですが城跡は広く遺構も残っており素晴らしい山城です。
戦国時代末期に北条氏の重臣、大道寺政繁の居城でした。
豊臣秀吉の北条攻めに際し、前田利家·上杉景勝·真田昌幸の軍勢に攻められ落城。
大道寺政繁は豊臣勢に寝返る形で北条氏の支城である八王子城に先陣をきり攻め込みました。
生き残った大道寺政繁ですが、結果的に開戦の責任を咎められ、自害させられます。
主君を裏切ってまで生き残ったのに哀れな最期です。
豊臣への寝返りも自分の為ではなく、一族の身を思っての行動かもしれませんので一概に責めることはできません。
切腹した河越城下の河越館跡(常楽寺)には供養塔が建てられています。
また、松井田城の南西にある政繁の居館跡(補陀寺)に墓があります。
その他、弘前の貞昌寺には養子の隼人が建立した供養塔が残っているそう。
松井田城はその後廃城となり、城域は一部を除き手を加えられず現在まで残っています。
連続空堀や竪堀など珍しい遺構が多く残っています。
そばにある後閑城もそうですが、この辺りには素晴らしい城跡がたくさんあります。
2018.8.30歴史のある山城跡です。
歩道が整備されており、看板が随所にあってどこが何の跡なのかわかりやすくて勉強になるのはとても良いのですが、自分が訪れた際はちょうど厄介なシーズンだったのか訪れる人が少なかったからなのか、とにかく蜘蛛の巣が歩行を阻むように大量にあり進むのに苦労しました。
木の棒を持って崩しながら進みましたが、最初に巣がたくさんあることに気付く前に顔面から蜘蛛の巣に突入してしまったのがややトラウマです。
ヒルもいるようですが幸いなことにこちらは遭遇しませんでした。
何にせよ虫対策はしっかりして行くのをおすすめします。
北条方の山城で堀切、竪堀や土塁、曲輪など遺構が沢山残っている山城。
今日は小雨、でも良く登城路や下草など整備されており滑ること無く散策出来た🙏登城前に補陀寺で御城印と御朱印を頂き、大道寺駿河守の墓所に一礼・合掌。
雨とヤマヒル対策で滑り止めのある長靴で被害無し。
2022/04/16山城で百名城・続百名城に認定されている城でもないのだが、整備がかなりキチンとされていること、駐車場が大手道の途中にあり、あまり山を登らずとも城の中心部にアクセスできることから、初心者でも気軽に登城しやすい城。
ただし熊の出没情報があることから、熊よけスズやラジオ等で対策するのが良いと思われます。
一応、城の要所には野生動物対策で缶カラが置かれています(叩いて音を鳴らす)。
またヒルが出るとかで、入り口で塩水をかける事を推奨していました(備え付けのスプレーが現地にあります)。
駐車場の仮設小屋にパンフレット等が充実しているため、事前に縄張り図などを出力していく必要はありません。
見学順として、取り敢えず環状の道があるので、それをグルっと回るだけで、城のメイン部分を概ねカバーできます。
どれぐらいじっくり見るか次第ですが、早ければ30分〜1時間程度で見れると思います。
『花の慶次』で舞台になっていた北条の城跡です。
地元の有志によって保存されており案内がしっかりしています。
山というほどには険しくはないので、路面が乾いているならあっさり本丸の虚空蔵堂まで登れますが、虫や動物にはご注意。
半ズボンやサンダルはやめましょう。
2018/5/4城の名前を聞いただけで涙がでてくるレベル。
こういう歴史上重要な城郭が地元の有志の方々のおかげで当時そのままの状態を維持されていることが本当に素晴らしい。
城域は極めて広大であり、堀は深く、城塁は鋭く、多くの曲輪があり、北条攻めの際になかなか落ちなかったことも理解できる。
近くの補陀寺は松井田城を守りぬいた大道寺氏の居館だったとも言われており、この松井田城にも尾根続きで行き来できたそうだ。
今は道路により分断されている。
素晴らしい遺構ばかりだったが、中でも連続畝堀が良かった。
ほかの城ではあまり見ないものであり、当時の形を想像するだけでも楽しい。
標高418m、比高約145m安中市指定史跡ですと駐車場に縄張図付きパンフレット、見学ルート図、見学路実測図とある。
スゴッ7時間かけて散策した....それでも全部見るのはムリだった..(ヾノ・∀・`)広いのナンノヨウコ♪
整備が行き届いていて、歩きやすかった。
所々に説明の看板が有り、分かりやすい。
歴史を感じながらハイキングしました🎵
入り口に未舗装の駐車場があり、3台ほど停められる。
登り口や分岐にお菓子の缶の蓋が吊るしてあり、叩いて熊よけになるようにしている。
ちょうど熊よけの鈴を持ってきたので良かったが、確かに熊が出そうで怖い。
駐車場から本丸跡まで多分200mくらいだと思うが、人一人が通れる山道が続いている。
定期的に草刈り等していると思われるが、木が鬱蒼と茂った林の山登り。
足元等ちゃんと装備していかないと、ヒルに血を吸われます。
二人で行きましたが共にやられました。
その分見事な自然の中に、北条式高い土塁が見応え有り。
珍しいのは連続竪堀。
北条式十字堀の前身かも?
看板のみで何もなし。
中山道や東山道、碓氷峠を抑える要所にある山城。
小田原征伐が起こると北条氏重臣、大道寺政繁が守将として籠城戦を展開し北国勢と持久戦となるも降伏、開城したされる。
後に廃城。
城跡の広範囲に遺構が残りとても見応えのある城跡。
見学順路が整備されており見学は容易であるが野生動物と遭遇する可能性があるため注意。
軽登山装備が無難。
現在の遺構は戦国時代末期の北条家臣、大道寺政繁の頃のもの。
東西約1.5キロ、南北約1キロの範囲で、当時の東山道は城址の北側、高梨子の側を通っていた。
国道を挟んだ南にある補陀寺は大道寺政繁の屋敷跡で、大道寺政繁の墓が建っている。
かつては補陀寺曲輪と本城とは尾根続きだったが国道18号が城址を削って通された。
本丸の西に三の丸があり、斜面下には連続畝掘という特徴ある遺構が残る。
この畝掘の直下がおばけトンネルで現在は立入禁止。
城が広く入り組んでおり、地権者が多いため整備は進む気配なし。
火山灰地層で崩れやすいため、碓氷郡の城址は表面を厚さ数十センチの粘土質な土で固められている。
遺構が削られた部分はコンクリートで固めてあるか、サラサラの砂っぽい地面が顕れている。
安中氏時代の城址は大道寺氏時代の遺構の一部に組み込まれ、安中曲輪と呼ばれる。
城の東の道路を挟んで東側の山には浅間出丸があり、城の西側の高圧鉄塔の土台あたりには松井田西城という別の城址がある。
歩いていると時々穴に足を取られそうになるが、これは山芋や花の球根を掘った跡だと思われる。
蛇や虫に注意。
約500年前の山城の遺構が良く残っています。
駐車場も案内板も整備されています。
昔ながらの遺構がしっかりと残っている。
整備もされているので歩きやすい。
山城好きはきっと好きになると思う。
もう少し散策路を整備してほしい。
前々日に後閑城跡を攻城したのですが、こちらは散策路や標柱、案内板は良く整備されているものの、殆ど山の中です。
駐車場から大手道を登るとシダが生えているのが目につき、多湿な環境に思えました。
ここの注目は堀切。
本当にシツコいくらい切ってあります。
また竪堀や空堀を多重に配置してあり、二重や三重どころでないのが凄まじいです。
本郭と安中郭は離れており、いくつかの城の複合体のようにも見えます。
それと水の口。
水源は井戸を想像しますが、ここの説明では湧き水をダムでせき止めたとあり、非常に納得しました。
後は所々に縄張り図があれば、最高です。
後北条氏家臣・大道寺氏が守った山城。
複雑な構造の遺構を沢山見られる。
後北条氏の有力支城だった松井田城の跡です。
東北部に登山口があり、多くの遺構を見ることができます。
名前 |
松井田城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
4.1 |
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熊鈴を持ったガチノヒトや、動物避けの缶の太鼓を見た瞬間、ビビリの自分は全部見て回るのは断念。
本丸と大手門のみ見学。
北駐車場からは割と楽に本丸まで行ける。
良かった。